欲しい文章は渇きを潤すものではない

それぞれの人が読みたいタイプの文章があると思うし、世の中には文章たくさんあるから好きに選べばいいじゃない? と思う。

 ニノさんが「姉は二次創作で何が読みたいの?」と聞いてきた。
「殺伐とした、価値観に衝撃が走るもの」と答えてみたらすごい顔をされた。
  思わず二次の話をよくする友達と語りあった。

 一次にしろ二次にしろ、商業にしろ同人にしろ
  欲しいものは「エネルギー」じゃあなくて、「魂の糧」なのだ。
  明日を生きるファイトではなく、明日飢えても生き延びてやるという執念のようなものだ。
  魂を揺さぶられ、価値観を揺るがされ、心に訴えかけてくる衝動のようなものが欲しいのだ。
  渇きを潤すような文章ではなく、もっと喉が渇いてもっと欲しいと思うものを読みたい。

 と話したら、その友人が
「私は昔、読書は痛みをともなわなければ読書じゃあないと思っていた。今はそこまで切羽詰ってないけれど」
  と言った。

 今私は切羽つまっているのだろうか。
  でも自分の作品群を見ていると、見えてくるものが
「誰も助けてくれない」「人生は不条理だ」「唱えれば心の傷が回復する魔法なんてない」
  みたいな思想だったりする。あまり明るいテーマではない。
  しかし最終的に私のいつもたどりつく結論は「だけど生きろ」なのだと思う。
  私がその手前であげる孤独さも不条理さも増える傷も、全部結論は「だが、生きろ」に繋がってくるんだろうと、そう思った。

 極端な言い方をするなら、
「盗んでいい、生きろ」
「逃避してもいい、生きろ」
「弱さを否定しても強さを否定してもいい、生きろ」
「何も有意義さがない人生でもいい、生きろ」
(以下略)

「間違ってていい、だから生きろ」

 というそれくらい、生きてほしいと願っている。誰に対しても。
  しょっちゅう色んなところから自殺の話がとびこんでくるせいもあるだろうけど、私は今、明日がんばろうなんて考えていない。
  明日を生き延びよう、それでいいじゃん? それくらいいい加減だ。
  人生を謳歌するなんていうのは、生きてる人間につく付属価値でしかない。
  だからとりあえず、生きよう。