モノカキ仲間とぶっちゃけた話をしていると、表面上仲良くしていても、やっぱりどこかで本当に心から認めている文章と、そうでない文章がある。
上手いと感じる文章と、下手だと感じる文章は絶対にあるのだ。
ところがその「上手い」と感じるのはどこを基準にするのかがとても難しい。
文法上めちゃくちゃでも、面白いと感じる文章もあれば、面白くはないけれどもきっちり書かれたものもある。もちろんどちらも素晴らしい文章もあるし、どっちもめちゃくちゃな文章も存在する。
ということで、私はどんな文章を上手いと感じるかは、すごく定義が難しいのでほとんどコメントしないことにしている。
私の文章を歴代の文学者と比べてまだ劣っていると言われたことがあって、その発想自体が面白いとは思ったけれども、私がドストエフスキー並のサスペンスやミステリーを書けるとは思っていなかった。どこかで限界を自覚している。
作品に求める質は人によりさまざまで、プロと同レベルのクオリティを求める人もいれば、それ以上を求める人もいる。もちろん最初からオンラインノベルにはそこまで期待しないという人もいるだろう。私も比較的、オンラインの小説にプロと同じレベルのものを期待はしていない。
じゃあどういうものをオンライン小説で読みたいかと聞かれれば、その人の伝えたい気持ちが乗っかったものだ。
稚拙でも伝わってくる文章はある。文章は磨けば向上するけれども、その人が伝えたいメッセージ性のようなものは容易に進化したり退化したりするものではないと思う。
その人らしさというべきだろうか。別に立派である必要もなければみっともないと思う必要もない。
むしろ下手くそでもいいから、伝えたいことがある文章が読みたいのだ。
こじんまりとまとまっていて、何も言いたいことが伝わってこない文章は、いくら上手でも読みたいとあまり思わないのだ。
だけどそういう、何も伝わってこない文章でも面白みのあるものもあるわけで、そういうのを見逃すのは勿体無いのかもしれない。
でも私が面白いと感じるのは、何も伝えるべきもののない面白いものではなく、その作者の感じ方だから、だからそれが小説ににじんでいる小説を読むのが好きだ。
しかしながら、小説の中にあまりにも作者の素の顔が垣間見えると、それはそれで物語を楽しむよりそっちが気になるのでちょっといただけなかったりもする。
オンラインの小説には基本肯定的な私だけれども、実はとても好き嫌いが激しいのかもしれない。 |