大多数派という名の暴力

 割と私はカッとなるとこう言う。
「マジョリティに帰属するだけで安易に自己肯定できるなんて、なんてお手軽なんだろうね」
  と。性格が悪いマイノリティな人間だ。
  世の中はマイノリティにやさしくない。それは当然のことなのだ。だいたいのマイノリティは理解されることを諦めているはずだ。
「私はマイノリティなんです」
  という人間に真のひとりぼっちマイノリティは少ない。
  だいたい世界を探せば、似たような属性の人間がいる、比較的大きなマイノリティだ。
  だから私も自分と似たようなマイノリティ属性の人間はきっと存在するだろうと思っている。

 とはいえ、探すのが面倒だからだいたい自分の価値観が浮いていることに気づかされる場面が多い。
  そして自分を肯定することが難しいこともある。安易に大多数派で肯定されやすい考えだから、自分を肯定できるという人間を見ていると、あなたの考えは異端なのだとバッシングされているように感じてむかむかしてくる。非常によくない。

 前にとある漫画で、獣姦ネタのエロ本をもっていることを指摘されて怒ってるキャラがいるという話を友達から聞いたときに
「自分の性嗜好に口出されたときは迷わず怒っていいんだよ!」
  と言ったら、友達の反応が少し不思議だったことがある。
  これがリアル強姦が趣味というならば問題だが、実際に動物を虐待しているというのであればやっぱりそれも考えるけれども、そうでないのであれば馬鹿にしているキャラクタのほうが恥ずかしいと私は感じるのだ。
  とはいえ、私の「誰かの迷惑でないのであれば価値観を認めてもいいのではないか」という発想も、比較的マイノリティの中では市民権を得ているほうなのだ。
  なかなか人にとても迷惑な行為や、人を虐げる行為に「賛成」と言うだけの勇気も覚悟もない。

 私も結局、大多数派の暴力に加勢しているのかもしれない。
  だけど暴力的な存在を肯定するような非暴力的な存在にだけはなりたくないと感じる、そんな非暴力暴力人間なのである。