質のいいカウンセラー候補はその道を諦める

 たまに起きているほとんどの時間は、執筆していなかったら誰かの相談に乗っていたり、悩みを聞いていたりする自分に、誰かお給料をくれないだろうかと、そんなことを考える。
  一時は六時間ぶっとおしで人の話を聞くのが毎日だったりした。さすがにボランティア精神にあふれた私でも限界があるのだ。自分の生活をある程度保障されたいという願望がある。

 だけど結局そういう人たちに付き合っていたのは、別に私が無理矢理、いやな内容を聞かされていたわけではない。私が自分からその人たちの話を聞きたいと思ったから時間を無理矢理作ったのだ。
  私が自分の時間やら体力やら魂やらを削ってそういうことをするのは、恥ずかしい言い方をすると愛しているからなのだ。私は自分の人生すべてを使って、誰かを愛したってことをめいいっぱいやりたいのだ。
  私がやりたいからやるのだ。金をもらって嫌いな相手の話まで聞きたいわけではない。

 だからきっと、私ほど人の悩みを仕事外で聞く人も珍しく、そしてカウンセラーに向いていない人間もあまりいないと思う。
  心理学科出身の友達はカウンセラーの正体がどんなものか知っている。
  だからだいたい、心の開ける友達に普通に相談している。
  私も質のいいカウンセラーが少ないことを知っている。知ってて、二人あげられる程度だ。
  だってカウンセラーを志す人のほとんどが「誰かを救いたい」と感じてなるのだから、そりゃあ誰も救えないでしょうね、と思わずにはいられない。
  救えなかった無力さも知らずに、結局自分を癒やすのは他人でなく自分だということも知らずに、「自分が救ってあげられるんだ」と感じているような世間知らずには、誰の心に響く言葉も出てきやしないでしょう。そんな存在に、心を開くおばかさんもそんなにいるわけがない。
  だから質の悪いカウンセラーにお金を払って、カウンセラーとは思いのほか役に立たないものだと思う人が多いのだと思う。
  だいたい人を救えないことを自覚して、心理学の道をあきらめた人たちこそ、人の心がわかっているような人たちが多いから、本来はそっちの人たちになってほしいものなのだけれども、残念ながら彼ら彼女らは無力な自分や人間は人間を救うことができないという本当のところを知っているのだ。
  とても残念だと感じる。
  もし質のいいカウンセラーが多い世の中ならば、私は安心してあの人もこの人も、あいつもこいつもそいつもみーんな「いいカウンセラー知ってるよ」と紹介するのに。
  残念ながら、私が相談にのったほうがまだまっとうな答えを出す手助けになれると思うような存在しかごろごろしていないのだ。
  とても残念なカウンセラーたちしか存在しないのだ。
  だから心理学を勉強するのはオススメするが、カウンセラーになるのだけはやめておけと言いたい。
  きっとカウンセラーになっても、無力な自分を実感するだけだ。
  そこで「ああ、人のためになっている」と自分に酔うような人は、とても残念なカウンセラーだから、自分がカウンセラーという名の毒であることに早々に気づいてほしいのだ。