こんだけ宗教が嫌われている国って他にない

 何故日本は宗教が嫌われるのだろう。外国では宗教がないほうが嫌われるのに。
  新興宗教にはいると抜けるのが難しいイメージが強いのだろうか。そんなのキリスト教だってイスラム教だって仏教だってみんないっしょなのに。
  入ったら出るのは難しいから、最初から入らずにいるのだろうか。そんなものが必要なのは自分だけでは生きていけない人間とでも、思っているのだろうか。
  私からしたら、どんな神が奉ってあるかもわからないのに初詣や合格祈願に出かけることのほうが非常識だと思うのだけれども、それは日本人の習慣なのだろう。
  これだけ宗教を毛ぎらいしているくせに、心の底から「神はいない」と思っている人は少ない国は珍しい。
  阪神大震災の際、誰も列を乱さずにひとりひとり、平等に同じものを配当されているのを見て世界は驚愕したそうだ。宗教のない国に、こんな秩序があることが驚きだったのだそうだ。

 宗教関連について何かとやかく言うのは、身内だけにしておくことにしている。
  だから別にこれから言うことはキリスト教にいちゃもんをつけているのではなく、そういう人に会ってみたいというお話だ。

 ディアボロスという映画だったと思う。
  今でも覚えているシーンは、サタンが「お前と俺は同じだ。神が信じられない」と主人公に言うシーンだ。
  なんだか衝撃が走った。私は困ったら神頼みするけど、神様はいると思っているけど、でも私も神を信じたくないと感じるところがあるから。
  悪魔崇拝者じゃあないし、本当の悪魔崇拝の怖さも、悪魔じみた霊的存在の怖さも、知っているけれども、それでも悪魔に肩入れするというべきなのだろうか。母は私に「神様とのつながりが薄い」とよく言う。
  私の知り合いで、「モノカキで証明したいことは神は存在するということだ」と言った人がいる。じゃあ私が証明したいことは何か、悪魔の存在だ。
  悪魔のすごいところは「悪魔はいない」と思わせること。神様のすごいところは「神様はいる」ってどこかで思わせること。だけどそれが逆転すると、世界がすごいものに見えてくる。
  これはいいことなんだと信じた美徳は全部不完全な善でしかなく、悪魔が神のフリをしているだけ。
  神様の存在を探せば探すほど、よくわからなくなる。
  そういうことで迷った人はどれくらいいるのだろう。神の存在を本当に追及した人間はどれくらいいるのだろうか。そういう葛藤を感じたことのある神父さんとか牧師さんとか、グルに会ってみたい。
  日本じゃあ宗教が敬遠されてるけど、妄信とも学問とも違う、そういう意味での信仰の門を叩いてみたいなあと感じる。

 そこにはどんな世界があるのだろう。私が探している神様はいるのだろうか。
  いたとしたら、私の頭を撫でてくれるだろうか。
  特別宗教はないけれども、神様の存在も本当に信じているのかわからないけれども、やっぱり神様はいるって信じたいのだ。
「神は存在しない」と考えている人ですら、神という言葉の概念を認めているのだ。
  それだけ神様の存在とは、偉大なのだと思いたい。