人の性的なことを馬鹿にする奴は気持ちが悪い

 百合の感覚はよく理解できないんだけど、やたら薔薇の感覚だけは理解できるので、女に生れたホモなんじゃあないかと悩み続けたことはある。
  何故自分は女に生れたんだろう、男に生れればもっと男と理解しあえたかもしれない、と。
  セクシャルマイノリティの兄ちゃんに思い切ってその感覚を説明したら
「たぶんジェンダーなんでしょうね。女になりたくはないけれども、女の下着を見につけたいとか、女装すれば満足するレベルというか」
  と言われた。うん、なんかそんな感じだ。
  堂々と前向きに「男といちゃいちゃしても自然にみられる」と割り切ることもできるけど、自分が女として扱われる瞬間にたまーに鳥肌が立つのだ。
  やっぱり自分が女なことにはすごく抵抗があるというべきなのだろうか。まあ男になったとしても葛藤とかはあるのだろうけど。

 そんなときには昔Mさんが「のびたが女物の下着を身につけているジェンダーな夢を見た」と話してくれた内容を思い出すのだ。
  小学生の社会ではあまりにジェンダーに風当たりが強すぎる、そんな妙にリアルなお話で、思わずのびたに同情した私だった。
  たぶんセクシャルマイノリティがある人の大半は、そういったものに悩むのだと思う。
  大人はもうちょっとデリケートに扱うけれども、子供は本当にそういうこと考えないだろうから、怖いなあと思った。

 おそろしいまでにこの世はヘテロ社会で、また変態と名乗っている人間の中に真の変態性欲の人間は少ない。どちらも市民権は全然まだ得られていないと感じる。
  市民権が得られていないという話だけであって、別に得られるべきだとか、そんなのは存在してはいけないとか、そんなことを主張するつもりはない。

 ただあまりにも大多数派が占めているとそれが普通すぎて本当の少数派に対してやたら無神経になるのはどうにかならないのだろうか。
  別に二次元と結婚する人間も、ダッチワイフをお嫁にする人間も、「気持ち悪い」と否定する必要はないじゃあないか。
  むしろ彼らの可愛い妻や恋人を不当に扱って笑いとばす奴らのほうが、とっても気持ち悪いと私は感じるのだ。何故そこまで、人の性的なことを馬鹿にできるのか不思議になるのだ。
  好きと感じる感情を否定して、無難に愛していない人と世間体を考えて結婚したりセックスしたりするのがいいというのであれば、そんな人たちのようになりたいと私は思わない。
  それは性的には正しい行為をしているのかもしれないけれども、人間として正しいとは思わない。
  正しい正しくないではあまり考えない私だけれども、やっぱりそう感じてしまうのだ。