モノカキの主張に「間違ってる」定義というのはほとんどないと思う

「エロしか書けない人を尊敬してはならない」
  みたいな書き込みを友達の日記についたコメントで見た。
  知らない人だったし、言いたいこともわからなくもないけれども、人間の三大欲求のひとつをとことん突き詰めて書くことができるならば、堂々と「エロしか書かない」って言ってもいい気がする。
  無論それだけ書き込めないならば残念な人で終わるのかもしれない。
  他人の萌えは自分の萎え、自分の萎えは人の萌えとはよく言ったものだ。

 逆を言えばそれだけ十人十色なのだから、誰かに媚びて自分の好きを追求しないのも損かもしれない。
  否定する人間の数と肯定する人間の数があまりにアンバランスなら、ちょっとくらい考えもするけれども、認められすぎるのも否定されすぎるのもやっぱりちょっとバランスを欠いている気がするのだ。
  モノカキの主張というのは、「これが素晴らしい」という雛形が存在しないのがいいと思う。そういう思想統制がされていない世界だから、色々なものがあって、自分で選べるというのがとてもいい。

 極論するならモノカキの主張で
「私は褒められたいけれども努力はしません。自分は酷評しますが私の作品は甘口感想しか受けつけません。初心者モノカキの悪いところをいっぱいあげつらい、いい文章はアラしか探しません」
  というとても恥ずかしい主張でもいいと思うのだ。

 だけど人間的に外しちゃいけないポイントはあると思う。
  だからそういう主張をする人は、人間的にとても成熟していないととても恥ずかしい人間として周囲から思われるだろう。
  そういうことにはなりたくないから、だいたいの人は無難な範囲で相手を褒めるし、自分も精進しようとするし、ちょっと謙虚にもなれば、自分を棚上げしてアラ探しなどもしないのだ。

 本当に天才で、努力せずに褒められるだけの文章を書き、酷評された人が悔しくてそいつの文章を見たらいい感想しか出てこなくて、初心者モノカキに愛情のある指摘ができて、いい文章の本当の悪い欠点を言える人がいるのだとしたら、それはとってもとっても魅力的なモノカキだと思うから、そういう人に作家になってもらいたい。