「私、怒ると怖いよ?」なんかじゃすまない

 エッセイやら日記の整頓をしていたら、18歳頃に書いた言葉が出てきた。
  今も感じていることだったから10年間かわってないのかと思った。コピペしてみる。

「我々は現実の社会に戻れば一般人で、或いは敗北者で、勝者もいるかもしれないが、社会にとって歯車でさえないスペアのひとつでしかありえないことはなんら変わるまい。もしこの電脳社会で自分がさも秀でた何かであると勘違いしているならばそれはおそらく現実社会で戦えなかった敗北者の哀しい勘違いである。 by18歳の花南さん」

 自分は怖い子供だったな、と思った。
  自分の18歳の時の文章は、なんだかすごく痛々しかった。
  痛い文章というより、あまりに生々しい感情に蓋もなんもつけていないような状態なのだ。
  もう少し言葉を選んだりすればいいのに、「相手に伝えるための言葉」ではなく「あらゆる語彙をフル活用して攻撃する」ような文章でなんか嫌だなと感じた。

 今はそういう心無いことをする人間ではないと思っている。
  だけど私は、いつだってそこに戻る覚悟もある。
  格好つけて、自分をダークヒーローとでも思っているのか? と思われるかもしれないが、私にはいつでも人を攻撃する心の準備ができている。一度砲火しはじめると相手を壊すところまで蜂の巣にする実力があることを理解しているから、余程自分や周囲に被害が出ない限りは我慢しているのだ。

 たまに、自分の感情を刺激してくる存在がいる。
  目の前で若い世代の心を傷つけたりされると、許せない感情が膨れ上がる。
  私は暴力を否定しない。暴力でもっと残虐な暴力をおさえつけることができることを知っているから、建設的に暴力を使うことには賛成する。
  世界が核ミサイルを全部廃棄したら結果テロが横行するようになって止められなくなったでは問題ありなのだ。「あそこを攻撃するのは報復が怖い」と思わせる必要は絶対にある。
  私はアメリカのように自分の正義を振りかざしてあちこちを攻撃したりはしないけれども、自分の身内が攻撃されたときに火の粉を根元から消すくらいの狂気は持っている。

「嘘だろ?」と言いたくなるかもしれないが、これでもいい子のフリをしているのだ。
  これだけ性格悪いことを普段から言っているけれども、もっと性格が悪くなれるのだ。
  だから私が「私を怒らせないでくれる?」と言うのは、怒ると怖いよなんていう可愛らしいサインではない。ぶっ潰すがぶっ殺すに変わる前にやめないと、お前を消す方向に動くぞというサインだ。

 自分がとても螺子の飛んでいる人間なことを自覚しているから、その螺子をゆるめるための大義名分を与えないでほしいと、そういうお願いなのだ。
  私は自称悪い子で本当はいい子なんて人ではなく、いい子のふりをした悪い子なので、私のいい子の化けの皮をはがすなと言いたいだけなのだ。
  喜んで攻撃する方向に一度だってギアが入ったあとの怖さを熟知しているから、刺激するなと言いたいのだ。