綺麗な顔をした男がいた。カフェで細い取手をつまんで、もう片方の手でクッキーをつまんで食べている。
喪服かと思う黒装束なことから、まるで黒揚羽のようだと思った。
私は近くの席に座って軽食を注文する。二人しかいないカフェで、居心地悪く体をもぞもぞと動かした。
「お美しいですね」
ふと、声がしたのでそちらのほうを向く。もちろんその男が言った言葉だ。
「結婚指輪をつけていなかったら、口説こうかと思いました」
私は自分の薬指を一瞥して、男を見ました。
「私は男ですよ。そんなに女顔だとも思っていませんが」
「それは残念。さぞかし女性におモテになるのでは?」
自分でモテると言えるほどモテてもいない、そして嘘をつくほど、モテないわけでもない。
「私は、あなたのほうが綺麗だと思いますよ」
なんだろう。顔の造形が特別絶世の美男子というわけでもないのに、妙に精緻な造りをしたその男は、妖しい魅力をもっていた。
特に、その金色がかった茶色の目が綺麗だと思った。
「綺麗な目」
私は呟く。男はふと、こちらを振り返り、そして席をたって自分の前までやってきた。
隣の席に座られると、金色の目が同じくらいの高さにきた。
「標本にでも、しますか?」
男はこちらを見て、目をぱちりと瞬きさせて聞いてきた。
なんとなく、何を言えばいいのかわからなかった。ただ、その目で見つめられると、標本にされたのは自分のような気がした。
「遠慮しておくよ」
「そう、残念です」
金の目が、獲物を捕りそこねたときのように曇った。
「ああ、私は……」
「入江基紀さんでしょう?」
名前を言ってもいないのに当てられた。こいつ、もしやストーカーか? と思って少し警戒する。
「手品みたいなものです。だいたいやると、みんな驚くので」
「手品? 種はどんな」
「種をあかしたら面白くないじゃあないですか。手品は騙されることを楽しむゲームです」
たしかに騙されてこそ楽しめるのが手品だなと思った。
「何か当ててほしいものがあるなら言ってください。もし外れたら……」
「はずれたら?」
男は自らの耳たぶをいじって、言った。
「ここに、もうひとつピアスをあけます」
「それ、私にはなんの得があるのでしょうか……」
「あなたの標本(コレクション)になるって証明じゃあだめでしょうか? 押しピンで留められるように、僕もあなたのような男に所有されたい」
上質の黒揚羽のような男がそう言った。
こくりと、喉が鳴る。
「私の秘密がわかる?」
私は思わず、そう聞いた。
私の秘密、それは眼球に対して異様なほど興味があるという、偏執的なものだった。
男は金色の目を細めて笑った。
「だから差し上げると言ったのですよ」
冗談で言っているのか本気で言っているのか。
だけど眼に対して興味があっても、実際に抉ったり集めたりする趣味がない私は、苦笑いするだけだった。
「当たり」
「ピアスを開けるのはまた今度のようですね」
黒い揚羽蝶は笑って立ち上がり、花から花へと飛びまわるように、私の前をあとにした。
◆◇◆◇
「あなた、なにそれ」
妻は私がはじめて買ってきた標本の箱を見て、びっくりしたように言った。
「何かひとつくらい、夢中になれるものが欲しくて」
箱の中には一匹の黒揚羽。
壁を見るたびに私は金色の毒に夢を見せられているような気になる。
(了)
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