拝啓 ジョン・レノン様。

 こんにちはジョン・レノンさん。私はあなたが死んだ数年後、あなたの死んだ日に生まれた女の子です。
  おばあちゃんは「太平洋戦争の始まった日だね」と私の誕生日に言いました。世界的災厄の頻発する日に私は生まれたみたいですね。
  私のくだらない雑談に付き合っていただけますか? なぜあなたに指でぽちぽちと携帯メールなんて書いている女子高生がいるのだろうとあなたは不思議かもしれません。返事はいらないので(でも貰えたらすごく嬉しいかも)、ただ聞いてくれればと思います。

 私は普通の女子高生です。お金はないけど食べられないほど苦労はしてないし、勉強する時間も遊ぶ時間も、本を読む時間もあります。服はいっぱい欲しいけれども、家では制服を脱ぐのが面倒でそのままベッドで寝ちゃうような、甘いチョコレートが大好きで、音楽とファッション雑誌とかわいいものと、あと流行しているものもお気に入りです。時間が経つと飽きるあたりも普通の子と変わらないと思います。
  知能も特別天才ってわけではありません。努力しても物理の成績があがらないのが悩みの種です。
  私は平凡だと悩みながら、どこかで変わり者な自分に悩んでいます。

 私の家はその町では変人ぞろいの家族でした。
  父も母も無宗教でしたが、家には聖書が五冊、ヴェーダが一冊、コーランが一冊、なぜ聖書だけがこんなにあるかといえば二人組でくる宗教団体の女の人たちがタダで本までくれたからです。高いだろう本をタダでくれるなんていい人たちですね。
  中学生のときに母親の読んでいる本が気になって、神智学と人智学の違いを聞いてみましたが、もちろん理解できないしあまり興味もわきませんでした。
  ただ、母が私にカントとシラーの言葉を教えてくれたのは理解しやすかったです。

「義務よ、崇高で偉大なる義務よ。おまえは好みのもの、媚を身につけたものを、何も含まない」

 これがカント。
  そしてシラーの冒頭は「愛よ、」からスタート。

「愛よ、あたたかく魂に語りかける衝動よ。わたしは友人たちに尽くす。だが、わたしはそうしたいからそうするのだ。だからわたしは有徳ではないかと悩む」

 私は愛を信じるように教えられました。
  私の家は繰り返し言いますが、特別な宗教はありません。
  両親は無神論者ではありませんでしたが、私は中学時代からかなりの虚無主義者でした。
  神は死んだ!
  死んだかもね。ニーチェっておもしろいなと思うような子でした。
  神は信じていなかったけれども、だけど私は「愛」は信仰していました。歌謡曲で愛だの恋だの歌っているし、みんなもきっと好きな言葉だと思います。
  愛よ、あたたかく語りかける衝動よ。
  先人は言葉の表現力が豊かでうらやましいです。私にも少しは文才があればなあ。
  だけど私の住んでいた町は、カントの「義務」すら機能していないような残念な町でした。
  だいたいの子たちの基準は「好き」か「嫌い」かで、好きなら全部許す、嫌いなら全部排除する、それが当たり前の常識だったのです。
  だから私は高校に上がって引っ越すまでは相当浮いた子でした。
  それは私が変わった子だったのもありますが、価値観そのもので相当ギャップに悩んだ覚えがあります。
  そこでの普通の感覚がよく理解できない子でした。
「劣等感」と「優越感」がピンとこないのです。私は感情の鈍磨した子だったので、自分が人より優れているとも思っていなかったけど、劣っているとも思っていなかった思いあがったガキでした。
  だから友達たちにアンケートをとりまくって、人が嫌がることリストをエクセルで作成してみました。
  でもみんなが何故劣等感で傷つくのかわからなかったので、十項目以上あるものは全部丸暗記でした。応用力のない私はよく誰かの自尊心を傷つけ、そして浮きます。
  だけど不思議だったことは、受験生の年にみんなが神社にお参りに行ったことです。私はその町にひとつしかない神社が、何の神を祭っているかもみんな知らないんじゃあないかと思いました。少なくとも学問の神様じゃあないのは確かでした。そしてどんな神様なのか気にしているのは私だけでした。

 いろんなところで自分の常識と他人の常識の食い違う変な子だったんです。
  ところが私の行った高校は変わり者の集まるので有名な学校だったので、私は高校にあがると同時に平凡すぎる自分の姿に悩みました。
  今の高校は少なくとも陰口を叩くのを楽しいと思う人がほとんどいません。勉強するのは学生ならば当然だと思う人たちで、盗みはよくないし、困っている人は助けるのが当たり前で、大掃除の日は誰もサボらないし、入学式には金髪のヤンキーたちがニコニコしながら有志で校歌を歌うような、だけどそんな学校でもいじめは「ない」なんて教師も生徒も信じていない、そんな学校です。
  私は浮いた変な子から普通の女子高生になりました。
「ソフィーの世界」を回し読みする学校なんて今時あるのか? 私の驚きでした。
  狭い町の常識を押し付けられてきた私は、この、図書室に官能小説からホモ小説、哲学書も漫画もほとんど揃っているフリーダムな高校が普通の、ありふれたどこにでもある学校ではないことくらいわかっています。
  最初のクラスに「空気を読む」という言葉が存在しませんでした。そのかわり「空気って何?」という空気が流れていました。
  みんな常識と思うものが違うので、みんな違って当たり前、それがそこの常識でした。
  誰も「愛」なんて口にしなかったけれども、そこに「義務」で動いている人なんていない集団です。
「私がやりたいからそうするのだ」とみんな言います。
  これが私の高校の常識です。

 さて、長くなりましたが、私は特別立派な子ではないということがご理解いただけたでしょうか? それどころか今は普通すぎる自分の没個性に悩んでいます。
  ジョン・レノンさん、私は歌は下手だけれども、音楽が好きです。
  どうすればあなたみたいな歌が作曲できるか、作詞できるか、考えます。
  あなたが殺されてからもう十年以上経ちますが、世界はまだ飢えや戦争が絶えません。
  だけど恵まれているはずの私たちも、心が渇いています。
  あなたの時代から悲しい差別は一切変化していないのに、悲しい犯罪だけは日に日に増えています。
  景気はどんどん底冷えしていって、環境破壊は止まることなく進行していて、一人暮らしの老人も増えて、それと同じくらい学校に行けない子供も増えて、誰も未来が明るいだなんて思っていません。
  私はこの世界に何ができるのですか?
  私のお財布では世界中の飢えた子供を救うことができません。私はノートで勉強するけれども、それは東南アジアの木々を伐採してできた紙です。
  私は無力です。私のペンも無力です。
  祈るだけじゃあだめだとわかっているけれど、寝る前に世界が平和になるように祈ることしかできません。
  ジョン・レノンさん、教えてください。私は次の世代のために何が残せますか?
  生意気な弟たちに希望のある未来を残すためにはどうすればいいですか?

 私は無神論者です。宗教を否定もしなければ肯定もしていません。
  自分の上に広がっている空がみんなの上にも広がっていて、天国も地獄もなければいいと思っています。
  私の祈りは空に届いているでしょうか。私の声は誰かに響いているでしょうか。
  幼稚園の頃、何もわかっていないくせに、母親に「信仰ってなあに?」と聞いたそうです。言葉の概念がわかる年齢でない私に、母は「神様の服の袖を握って離さないことよ」と言いました。
  私は自分のてのひらを見下ろして、神様の服がいつの間にか消えてしまったことを知りました。
  私は神を信じていません。私が信じているのは「愛」だけです。
  空の下に争いのない世界が広がるためにはどうすればいいですか?
  ジョン・レノンさん、あなたのような言葉を紡ぐためには私に何が足りないのですか?
 
  あなたが死んでから十年以上経ちます。
  変わらずにあるのは空だけです。
  天国も地獄もなく、空だけです。

 敬具


(了)

 

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