季節はずれの大寒波で、衣更をして随分経つのに服を押入れから出さなければいけなかった。
どこにカーディガンは仕舞ったっけ? とあちこち探していた。そしたらダンボール箱の角から懐中時計が出てきた。引越しする前になくしたと思ったのに意外だった。
◆◇◆◇
転校生の山本くんは懐中時計を見ていた。
今時懐中時計? とびっくりしたけれど、妙に紳士っぽい雰囲気にそれがマッチして似合っていると思った。
学校が放課後になると、彼が懐中時計を確かめる。そうしていつも急いで帰っていく。
どうしてそんなに急ごうとしているのか気になって、あとを追いかけようと思ったのは本当に気紛れだった。
こっそりあとをつけたにしろ、素人の露骨な尾行だというのに、彼はそんなことにも気づかず急いで目的地に向かう。
彼は病院の中にはいっていく。
もしかして彼は病気だったり? 透析を毎日定時にしなければいけない体だとか? と心配したら、入院病棟の奥へと歩いていく。誰かの御見舞いだろうか? 私は気がひけたけれども、なんとなく可愛い女の子のお見舞いだったりしたら文系少年と病弱な少女の恋物語だわ! と文芸部の血が騒いで、逆に倫理の声は沈黙し、結局追いかけていってしまった。
案の定、可愛い子はいた。
小鳥のような声でころころ笑う、天然系の女の子という雰囲気だった。
何、この「負けた!」って思わずにはいられない美少女は。私は山本くんに恋していたわけでもないのに、彼にこんな可愛い女の子の知り合いがいるなら勝負はついたって思ってしまった。
そりゃ、ちょっといいなあとは思っていたけれども、あくまでちょっとだ。だけど衝撃はでかかった。
そのとき山本くんがこっちに気づいた。怒られるかな? と思ったら、彼はそ知らぬ顔で
「あいつ俺の友達の宰川って言うんだ。女の友達もほしいだろ? つれてきた」
と嘘をついてくれた。気まずい思いをせずにすんでほっとした。
美穂ちゃんは高校に行ってないそうだ。中学を卒業する頃に病気になって、今にいたるらしい。実際に話すとそんな風には思えないのに、内気な性格で友達もほとんどいないとか。
私たちは少しお話をして、それから面接時間が終わりを告げたのでいっしょに帰った。
山本くんはそこで初めて私を睨みつけて、困ったようにため息をつく。
「俺は転校する前はめちゃくちゃ不良でだな、俺がお礼参りをした直後にぼろぼろになって帰ってきたとき、彼女が行き倒れている俺を介抱してくれたんだ」
なんというお約束な展開。
「あいつな、『不良でもね、いい不良と悪い不良がいるんだよ』と言ってくれた。俺がいい不良だと思ったのは何故かって聞いたら、懐中時計を取り出して、『今からあなたに暗示をかけます。あなたはいい不良になるいい不良になる〜』って言うんだよ。ずれてるだろ?」
ふっと笑って山本くんは歩き出す。
「実際、俺はいい奴じゃあないけどさ、あいつの病気が治る間くらい、魔法にかかってやってもいいかなって思ったんだ。いい不良ってよくわからなかったから、頭のいい不良でいいよな……くらいで」
「もしかして、彼女の病気って悪いの?」
山本くんは少し翳りのある表情で「悪いよ」と言った。
それから私たちは何も言わずにずっと夜の道を歩いた。駅のところで山本くんとは別れて、そして家に帰りついても、なんだかすっきりした気分にはならなかった。
それから、一ヶ月後くらいだろうか。
山本くんは退学した。正確には、退学させられた。
家の事情で遠くへ引っ越さなければならないと先生は説明してくれたけれども、風の噂で借金だらけだったとか、隣町の高校では相当な悪い奴だったとか、色々と好き放題な噂は流れた。
私はどんな噂も信じたくなかったけれど、あいつが「俺は不良だった」と言った言葉から推察するに、まったくの嘘というわけでもないのだろう。
私は、美穂ちゃんの病院を訪ねた。
そしたら彼女の病室のテーブルに、あの懐中時計があった。
「返すって言われちゃった。あげたんだから持って行ってくれればいいのに」
美穂ちゃんが笑う。
「最後にね、『お前は絶対によくなるよくなーる』って言っていったよ。あいつ本当最後まで自分のこと話さなかったよね」
彼女は無理矢理笑顔をつくっていた。私も仕方なく笑顔をつくって、
「山本くんは強がりだから」
と笑った。美穂ちゃんのお見舞いは私がバトンタッチされた形だ。
◆◇◆◇
その美穂ちゃんも、闘病半年くらいで、今から少し前に亡くなった。私の手元に残されたのはこの懐中時計だけ。
彼女が死んでからしばらくは、ぼんやりと懐中時計を眺める日が続いたのに、いつの間にかどこかに仕舞いこんで、そしてそのうちどこに仕舞ったかもわからなくなり、今なんの因果か出てきた。
私は懐中時計を開く。秒針は止まっていた。ゼンマイを回して、時を刻み始めたその懐中時計を、目の前で大きく振り子させてみる。
「新しい土地でも、いい出会いがあ〜る、あ〜る。素敵なことがいっぱいあ〜る」
振り子はゆっくりと左右に揺れて、そのたびに山本くんと美穂ちゃんの顔が浮かんでくるようだった。
だけど私はもう大学生で、きっと社会人になる。美穂ちゃんは違うけれど、山本くんもどこかでそうなっているだろう。
先へ進むもう一歩の勇気がほしい。
「あなたはだんだん幸せにな〜る」
美穂ちゃんのぽわぽわボイスを思い出しながらそう唱えてみた。
自然と怖いものなんて何もない気がした。
(了)
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