俺の祖国は空に浮いた巨大な環。 おおきな指輪の内側にびっしりとたった塔を飛びながら行き来する、重力がちょっとおかしい都市。 朝昼夜と各々の生活リズムはばらばらだし、どこかに定住する癖がない俺たちには住所がない。そこで、各自が連絡をとれるようにと考えだされたのがリングだった。 自立する年齢になると俺たちはひとりひとりが指輪を買う。 その指輪にはそれぞれ違う番号が記してあって、その番号を教えた人とシンクロして情報のやりとりができるというシステムだ。情報といっても、大概の場合が無駄にしゃべって終わり、だからそう、俺たちは直接会わずにこのリングを使って会話することが多いんだ。 この大きな環の中にできた指輪都市は、誰が最初だかはわからないけれど「環国(わこく)」と呼ばれるようになった。 さて、俺も十五で自立してからけっこうな時間が経った。右の薬指と小指、左の中指と3つの指輪が現在ははまっている。業務連絡用、友達用、そして誰にも番号を教えていない指輪がひとつ小指に。 俺にとって良い指輪を使う意味はないんだ。指輪はすぐに変えてしまうから、いい指輪を買う意味がない。 本日は1193214番さんのところに指輪をとりに。 幾つかの指輪を待ち合わせした場所で即金で下取りし、そのまま俺はアンティークショップへと向かった。 カラン…… 「ダヤン……」 名を呼ぶと振り返る。 「すこしだけ耳がとおくなっちまったかねぇ」 よっこいと手近な椅子に腰掛けて皮の小箱をとりだす。俺がそうしている間に彼女は金色のよく磨かれたレンズをとりだす。それを眼にはめ込みカウンタに寄ってくるのを見計らい、俺はその箱の蓋をもちあげる。 「これぐらいで折り合いつけないかね?」 ばちばちと十露盤の音と共に弾かれた金額を一瞥して俺もうなづく。 「なあ……ダヤン……」 答えはあっさりかえってきて終わりだ。 「もし気がかわっていたのなら、いい指輪をプレゼントしようかと思ったんだ」 はっ、と笑って金額どおりの硬貨を目の前にすべらせてきた。それを皮財布の中へとちゃりちゃり音をたてながら入れながら尚且つ食い下がってみる。 「一回付き合いがうまくいかなかったからってなんだよ。次こそはいい出会いもあるかもしれないじゃないか。ダヤンの指はあと九本あるんだろ?」 「ばかだねえ」 あっさり馬鹿だと言い切って、にやと笑ったダヤンが俺の額をぴっと弾いてみせた。 「節くれにもひっかからないような仲の奴にゃ私は番号を教えない。そういう時代の人間なのさ」 そう言われて黙り込み、古い木の匂いのするカウンタに頬をすりよせた。金貨を一枚くるうりくるりと指先で弄びながら問う。 「……ダヤンは、俺のやりかたは間違っていると思うか? 俺は判断力の欠如により人と言葉を交し手を繋ぎ、忍耐力の欠如でその手を振りほどき、口を噤んで……記憶力の欠如により再び誰かの手を握るんだ」 馬鹿だと思うか? 間違っていると思うか? 「ばかだねえ。だがそう、間違っているわけじゃあないんだろうさ。正しいわけでもないが……私の時代と今は違う。時代がかわっちまったのさ。お前が生きたいように生きて、交したい言葉を交わし、手を繋ぎたい奴と繋いで、別れたい奴とわかれりゃいい」 そこまでワンブレスで話して一呼吸ついて、皺皺の手を俺の右小指に重ねた。白い貝殻の指輪のある指。 「たまに疲れたら、いつでもここにいる、住処をひとところに決めてしまった私のところで休憩してまた出て行けばいいさ。指輪なんてなくたって話はできる、心は触れ合える。それに指輪があったって、話せない相手もいるだろう?」 うっすらと首を擡げて眼を細めた。 「特別の時以外呼ぶなって言われてて、病気の時にだけ呼んだんだ」 空間のなかにゆるい笑みを浮かべる老婆の口元だけが見える。深い、皺の幾重にも重なった笑みでやや重たそうだ。 「それ以来話し掛けてない。嫌われているかもしれない」 かぶりを振って肩を竦めてみせる。 「でもまったく互いの声も、感情も、流れてこなくなっても、俺はこの鎖を断ち切ることができないんだ。指を切り落とす勇気が俺にはない」 そう言い切った彼女の口調はえらく軽く、俺の肩をぽんぽんと叩いてから入ってきた扉を指し示した。 「指輪は連絡をとるためにつくられたけれどそれ以外に価値が付加されてきたもんなんだよ。はめてりゃあいい、自分からは捨てきれず、捨てられた痛みを感じて生きていけばいい。いままで捨ててきた指輪の数を思い、時折感傷にひたり……これから捨てる数の指輪を思い時折泣けばそれでじゅうぶんさ。じゅうぶん……」 それは罰なのだろうか、罪なのだろうか…… 「ダヤン……」 俺はすこしだけ逡巡して、わずかばかり笑ってみせて、首をやや傾けて、そう細かい動作を少しずつ加えて最後に 「また来ていい?」 別れの挨拶はとても単純なもの。 (了) |