俺の祖国は空に浮いた巨大な環。
  おおきな指輪の内側にびっしりとたった塔を飛びながら行き来する、重力がちょっとおかしい都市。
  朝昼夜と各々の生活リズムはばらばらだし、どこかに定住する癖がない俺たちには住所がない。そこで、各自が連絡をとれるようにと考えだされたのがリングだった。
  自立する年齢になると俺たちはひとりひとりが指輪を買う。
  その指輪にはそれぞれ違う番号が記してあって、その番号を教えた人とシンクロして情報のやりとりができるというシステムだ。情報といっても、大概の場合が無駄にしゃべって終わり、だからそう、俺たちは直接会わずにこのリングを使って会話することが多いんだ。

 この大きな環の中にできた指輪都市は、誰が最初だかはわからないけれど「環国(わこく)」と呼ばれるようになった。
  国なわけではないが、小さな自治体組織のようなものだ。

 さて、俺も十五で自立してからけっこうな時間が経った。右の薬指と小指、左の中指と3つの指輪が現在ははまっている。業務連絡用、友達用、そして誰にも番号を教えていない指輪がひとつ小指に。
  この指輪は十五のときに買ったきり、一度もはずしていないためもう抜けないし、この指だけが妙におさない。
  俺の仕事は運び屋だが、その荷物の大概が軽くてとても綺麗なもの。つまり指輪専門の運び屋。
  要らなくなった指輪を集めて、それを回収工場にまわしたりするのだ。
  たいていの指輪はナンバーを削り取られて、中古指輪屋にまわされたり、鎔かして新しい指輪にされたりする。
  運良く、芸術的価値がある指輪だけは何も手が加えられず骨董屋にもっていかれるのだ。
  指輪の運び屋はこのなかのいちばん最初、どこにどれをもっていくかを分別するために、研ぎ澄まされた審美眼が要求される。より良いものは良い場所へと流さなきゃいけないからだ。
  だからこの職業についている者はみな良い指輪をつけている。それが自分の目の正しさを周りに誇示することに繋がると思っているからだ。
  でも俺が持っている指輪はどれも安物。純度もそう高くない鉛色の銀指輪と、ひとつだけ白い貝殻の指輪。

 俺にとって良い指輪を使う意味はないんだ。指輪はすぐに変えてしまうから、いい指輪を買う意味がない。

 本日は1193214番さんのところに指輪をとりに。
  俺はもう人を名前で覚えられなくなってきていた。
  すべてが番号に見えた。
  顔も声も思い出せても、名前だけは思い出せない。
  彼は指輪の価値がわかっているのか否か、ともかく祖母や祖父や、もっと昔の先祖が所持していた指輪を生活が苦しくなると売る。
  俺は彼がその価値をまったく理解していないのを知っていてそれを相場の半額以下で下取りするものだから、そんなはした金、すぐ使いきって彼はまた指輪を売る。

 幾つかの指輪を待ち合わせした場所で即金で下取りし、そのまま俺はアンティークショップへと向かった。
  途中で新聞をワンコインで買い、紙を広げて読み読み歩いた。
  最近指輪を安易に買って安易に捨てる若者が増えていることが社会問題としてとりあげられているらしい。
  その原因としては昔は高価でなかなか手にはいらなかった指輪が、今は安い素材・量産型生産方法により多量に市場に出回っていることや、ナンバーを教える、ナンバーを聞くというその行為が昔ほど親密な関係をあらわさなくなったことなどがあげられている。
  そうたとえば、仕事上指輪の番号を知っているほうがやりやすい。そのために番号をあっさり教えてしまったり、またちょっとお近づきになった街角のお友達に気軽に番号を教えたあと、人間関係が面倒になってその鎖を断ち切るように指輪をはずしたり。
  親しい友達にだけ新しく買った番号を教えればなんら今までの生活に支障は残らなかった。
  つまり俺はこの社会問題、時代の申し子のような若者なわけだ。

カラン……
  扉をあけるときにいつもカウベルが鳴る。
  その内側はセピアと臙脂色のシックな部屋だ。照明が暗く、蝋燭のような明さで仄かにあたりを照らす。
  骨董屋の主は初老の女。黒髪の間に灰色が混じった、少し声が低くしわがれた女だ。彼女の名前は、知っていた――

「ダヤン……」

 名を呼ぶと振り返る。
  その仕草もひどく緩慢である。皺の深く刻まれた顔を笑ませて、ああ、と言った。

「すこしだけ耳がとおくなっちまったかねぇ」
「でも一度で振り向いた。まだ使えるさ、充分にね」

 よっこいと手近な椅子に腰掛けて皮の小箱をとりだす。俺がそうしている間に彼女は金色のよく磨かれたレンズをとりだす。それを眼にはめ込みカウンタに寄ってくるのを見計らい、俺はその箱の蓋をもちあげる。
  そこには数種類の指輪が薄紫の絹に包まれ横たえられているのだ。
  素材は高くもなんともない真鍮だったがその造りがとても細かかった。
  その細工の出来を丹念に検分する彼女の右中指はなかった。第二関節あたりでなくなってしまっているのだ。
  どうやら昔誰かと繋いでいた指輪が抜けなかったために、指ごと切り落としてそうなったらしい。その話について聞いてもダヤンはいつもすこしだけ笑って
「柵(しがらみ)を振り切ってまで自由になっても幸せにはなれなかった」
  そう言うだけだった。

「これぐらいで折り合いつけないかね?」

 ばちばちと十露盤の音と共に弾かれた金額を一瞥して俺もうなづく。
  積み上げられた金貨の枚数をしっかり数えながら椅子に座ったままダヤンを見上げた。

「なあ……ダヤン……」
「なんだい?」
「もう指輪をはめたりはしないわけ?」
「しないねえ」

 答えはあっさりかえってきて終わりだ。
  そうかいと頬をぷうとふくらまし顔をそらした。

「もし気がかわっていたのなら、いい指輪をプレゼントしようかと思ったんだ」
「へえそいつは気前のいい。プレゼントしてどうする気だい?」
「俺の番号教える」
「あんたのその指からすぐすっぽぬける指輪の番号を?」

 はっ、と笑って金額どおりの硬貨を目の前にすべらせてきた。それを皮財布の中へとちゃりちゃり音をたてながら入れながら尚且つ食い下がってみる。

「一回付き合いがうまくいかなかったからってなんだよ。次こそはいい出会いもあるかもしれないじゃないか。ダヤンの指はあと九本あるんだろ?」
「おまえさん私の指がぐーしかできなくなるまで私に指を切れってぇのかい?」
「切らなくたっていいじゃないか。指より少し大きいやつや、あとはフリーサイズの指輪を使えば」

「ばかだねえ」

 あっさり馬鹿だと言い切って、にやと笑ったダヤンが俺の額をぴっと弾いてみせた。

「節くれにもひっかからないような仲の奴にゃ私は番号を教えない。そういう時代の人間なのさ」

 そう言われて黙り込み、古い木の匂いのするカウンタに頬をすりよせた。金貨を一枚くるうりくるりと指先で弄びながら問う。

「……ダヤンは、俺のやりかたは間違っていると思うか? 俺は判断力の欠如により人と言葉を交し手を繋ぎ、忍耐力の欠如でその手を振りほどき、口を噤んで……記憶力の欠如により再び誰かの手を握るんだ」

 馬鹿だと思うか? 間違っていると思うか?
  問いを重ねると老婆は笑うだけ。

「ばかだねえ。だがそう、間違っているわけじゃあないんだろうさ。正しいわけでもないが……私の時代と今は違う。時代がかわっちまったのさ。お前が生きたいように生きて、交したい言葉を交わし、手を繋ぎたい奴と繋いで、別れたい奴とわかれりゃいい」

 そこまでワンブレスで話して一呼吸ついて、皺皺の手を俺の右小指に重ねた。白い貝殻の指輪のある指。

「たまに疲れたら、いつでもここにいる、住処をひとところに決めてしまった私のところで休憩してまた出て行けばいいさ。指輪なんてなくたって話はできる、心は触れ合える。それに指輪があったって、話せない相手もいるだろう?」

 うっすらと首を擡げて眼を細めた。
  黄昏の闇に部屋が沈み互いの顔も見えぬ濃い暗さが空間を満たす。

「特別の時以外呼ぶなって言われてて、病気の時にだけ呼んだんだ」
「へぇ……」
「でも来なかった。返事もこなかった」

 空間のなかにゆるい笑みを浮かべる老婆の口元だけが見える。深い、皺の幾重にも重なった笑みでやや重たそうだ。

「それ以来話し掛けてない。嫌われているかもしれない」
「向こうからは?」
「全然」

 かぶりを振って肩を竦めてみせる。

「でもまったく互いの声も、感情も、流れてこなくなっても、俺はこの鎖を断ち切ることができないんだ。指を切り落とす勇気が俺にはない」
「それでいいんじゃあないすかね」

 そう言い切った彼女の口調はえらく軽く、俺の肩をぽんぽんと叩いてから入ってきた扉を指し示した。

「指輪は連絡をとるためにつくられたけれどそれ以外に価値が付加されてきたもんなんだよ。はめてりゃあいい、自分からは捨てきれず、捨てられた痛みを感じて生きていけばいい。いままで捨ててきた指輪の数を思い、時折感傷にひたり……これから捨てる数の指輪を思い時折泣けばそれでじゅうぶんさ。じゅうぶん……」

 それは罰なのだろうか、罪なのだろうか……
  それは聞けず、がたんと椅子を後ろに引いて指し示されたとおりに扉のほうへと向かった。
  ドアノブに手をかけて、ああと後ろ振り向く。

「ダヤン……」
「なんだい?」

 俺はすこしだけ逡巡して、わずかばかり笑ってみせて、首をやや傾けて、そう細かい動作を少しずつ加えて最後に

「また来ていい?」
「どうぞ」
「じゃ」

 別れの挨拶はとても単純なもの。
  ばたんと扉が閉じる音、カランとカウベルの音がつられて鳴って、舞台は闇へと沈んだ。

(了)

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