蝋燭の火が掻き消える。白い煙が暗い闇の中にほんのりと昇った。
「さあ、次は貞子の番だ」
  黒い浴衣を着た、長い黒髪の少女がにんまりと笑った――

◆◇◆◇
  今日はお盆である。僕の地方では精霊流しはもうないけれども、毎年この時期は盆踊りがある。
「やー、今年もいっぱい参加しているな」
  隣で古くから付き合いのある、三郎がそう言った。
「本当だ。いっぱい参加しているね」
  僕もそう呟く。生身の人間の間にちらほら、ひとり、ふたり、あっちにもこっちにも、帰ってきたご先祖様たちの姿。
「清(きよし)、俺たちも行くぞ」
「おう」
  三郎がお面をかぶって下界に飛び降りた。僕も続けて下界へとダイブする。
  もうわかると思うけれども、僕たちは生身の人間ではない。僕は昭和の始め頃、三郎は明治の終わり頃に死んだ人間だ。
  盆踊りのときにお面をかぶるのは、ご先祖様たちが安心して下界で遊ぶことができるようになんだって。
  子供のときにそう聞かされて、本当かよ? と思っていた僕だけれども、幽霊になった今ならわかる。知り合いに顔を見られることもなく祭りに参加するためにお面は必要不可欠だ。
「だからといって何故にプリキュアのお面なんだろう」
  今の時代のお面はよくわからない。三郎が仮面ライダーを持っていってしまったから、僕は女の子のお面をかぶるほかなかった。
  お盆は僕たちにとって魂の洗濯の日だ。人間界に迷惑をかけなければ何をしてもいい期間だから。
  僕は霊界から支給された現代の紙幣(今は樋口一葉が五千円札らしい)を握り締めて夜店を回った。やきそば、ラムネ、金魚すくいももちろんやって、思い切り"夏休み"を楽しんだ。
「清、こっち来てみろよ」
  三郎に呼ばれてそちらを見ると、彼は墓場に続く道を指差した。
「肝試しやってる奴らがいるんよ」
「今墓場にいっても幽霊たちはみんな留守なのに?」
「わかってないんだねえ。幽霊に会いたいならば冬がいいのに」
  そんなことを言いながら三郎が僕の背中を押した。
「子孫たちにサービス、サービス。お前そこらへんでぼんやり立ってろよ」
「はあ!?」
「俺、向こうで鬼火出してくるから」
「ちょっと、三郎待ってよ!」
  三郎は幽体だけになるとあっという間に藪の中へと消えていった。
  あとで何か言われるのが嫌だった僕も、肉体を消して藪の中へと進んでいく。
「ここらへん、がいいかな?」
  ちょっと開けた空間を見つけて、そこで立ち止まる。人間たちにも見えるように、肉体をつくって、そこに待機した。
「ねえ、あれ人間?」
「あんなところに人間がいるわけないだろ」
「やだ、幽霊!?」
  そんな声が墓場のほうから聞こえる。怖がっている、怖がっている、なんだか楽しくなってきたぞ。と思った瞬間だった。
  後ろに鬱蒼とした気配を感じて振り返る。
「うわっ!」
  そこにぼんやりと立っている、長い黒髪の少女がいた。
「こんばんは」
  女の子はにやぁ、と不気味に笑った。
「こここ、こんばんは」
  いつからいたのだろう。幽霊独特の気配がないことから、彼女は生身の人間なのだと思う。だけどなんとも不気味な気配だ。
「君、ここで何やってるの?」
「幽霊の真似」
「真似?」
「ここに私が立っていると、不気味でしょう?」
  うん、否定できない。たしかに不気味。
  彼女は黒い着物を着ているせいか、肌がぼんやりと白く見える。美人というほど美人でもないけれども、よく見ると端正な顔立ちだ。
「あなた、名前は?」
「清。君は?」
「貞子」
  僕に倣ってか、彼女は名前だけ言うと僕を振り返った。
「あなた、幽霊でしょう?」
「違います」
「でも私見ちゃったもの。あなたがいきなり現れるの」
  しまった。周りに人がいるのを確かめればよかった。まさかこんなところに人がいるなんて思わないもの。
「清さん、他の幽霊たちに会わせてくれない?」
「……。なんで?」
「幽霊の仲間入りがしたいのよ」

「そんなわけなんです」
  僕が幽霊集会に貞子を連れていったら、幽霊たちは笑ったり呆れたりした。
「お前、貞子が怖くて幽霊集会に連れてきたのか?」
「貞子ってたしか有名な映画に出ていなかったっけ?」
「貞子ちゃーん、こっち向いてー」
  幽霊の数人は夜店でビールを飲んだらしく、酔っ払っている。だから久々の肉体にビールはきついって注意しておいたのに。
「なあ、せっかくだから毎年恒例のあれやろうぜ」
「あれって?」
  三郎の提案に貞子が首を傾げる。
「怪談だよ。僕ら毎年この時期にやるの」
  はあ、とため息をつく。
  幽霊たちは貞子を怖がらせようと意気揚々だ。さっそく怪談が始まった。
  ひとりめ、ふたりめ、と自分とっておきのネタを披露する幽霊たち。僕は何度も耳にタコができるほど聞いたネタだから、あまり怖くもなんともないけれども、貞子はどうなのだろう。そう思って貞子のほうを見ると……見なかったことにしよう。とても邪悪な笑みを浮かべている。

「さあ、次は貞子の番だ」
  三郎にそう言われて、貞子がにんまりと笑う。
「これは本当にあった話」
  ごくり、と幽霊たちが唾を飲む。
「――だといいわね」
「作り話かよ」
  幽霊のひとりが残念そうに呟いた。
「あるところに双子がいました。顔も体型もそっくりだけれども、彼女たちは一目見れば区別がつきます。ひとりはとても薄汚れていて、もうひとりは普通の格好をしているからです。その子たちの母親は、双子の姉のほうを愛することができませんでした。だから妹のほうだけを可愛がり、姉にはいつも意地悪をしていたのです」
  シンデレラの逆バージョン? でも実の母親だよね。そんなことを僕が考えていると、貞子は話を続けた。
「あるとき、母親の大切な仕事の入っているノートパソコンに、妹が間違えて花瓶を倒してしまいました。ノートパソコンは壊れてしまい、妹は青ざめます。こんなことをしたら、私も姉と同じ目に遭わされてしまうと思ったからです。『お姉ちゃん、私の替わりに怒られてよ。私よりお姉ちゃんのほうが怒られ慣れているでしょう?』妹は姉に罪をなすりつけようとしました」
「ひどい妹だな」
  三郎がぼそっと呟く。
「だけど姉はもっと酷いのよ? 『じゃあ服を取換えましょう。私があなたのフリをして、お母さんに謝ってあげる』そう言って、洋服を取換えて身だしなみを整え、そうして妹に言いました。『先に帰って、妹がノートパソコンに水をこぼしたって報告してきて』って」
  なんだか嫌な予感がひしひしとしながら、僕は話を聞いた。背中がぞわぞわする。あれ? 僕幽霊なのに鳥肌たっているのかな。
「姉は妹が折檻される時間をたっぷりと用意してから、ゆっくり帰りました。そうして扉を開けると、鬼のような形相をした母親と、床に転がる妹の死体を発見しました。『この子があなたのせいにするのが悪いのよ』母親はそう言いました。姉は妹を見ました。こんなはずじゃあなかった、という顔をしています。だけど今まで一度だって助けてくれなかった妹に、姉はまったく感情が動きませんでした。『とんでもない姉ね。死んで正解だわ』彼女はそう言って、何事もなく家の中にあがりました」
  しーん、としている中で貞子が「おしまい」と呟いた。
「こ、こええ」
「人間って怖い」
  幽霊たちが青ざめた顔をさらに青ざめさせてそう言った。
「それからその親子はどうなったの?」
  僕が質問をすると、貞子は肩を竦めて「お話だもの。知らないわ」と答えた。
「じゃ、気を取り直して次の幽霊……」
  幽霊たちの怪談はさらに続いた。

「なあ貞子、お前そろそろ家に帰らないとやばいんじゃあないか?」
  もうすぐ盆踊りの終わる時間である。三郎にそう言われて、貞子が携帯を確認した。
「そうね。そろそろ帰るわ」
  貞子は立ち上がると、僕の服を引っ張った。
「帰りのボディガードはこいつでいいかしら?」
「よりによって一番もやしっぽいのを選ばなくても……」
  僕はしぶしぶ立ち上がり、貞子のエスコートをする。貞子は墓地の間を怖がりもせずにすたすたと歩いている。
「なあ、怖くないの?」
  僕は思わずそう聞いてみた。貞子は振り返って「私は幽霊だもの。怖いわけがないでしょう」と言った。
「貞子は幽霊じゃあないよ。肉体があるんだもの」
  僕がそう反論すると、貞子は足をとめた。
  青白い顔で、にんまりと笑ってから彼女はこう言う。
「私は、もう死んでいるの」
  それってどういう意味だろう、と聞き返そうとした瞬間だった。
「冴子ー、あんた肝試しの最中に消えるなんてびっくりした!」
  向こうから友達らしき女の子が駆け寄ってきて、そして僕を見上げる。
「あら、冴子の彼氏?」
「いい男でしょう。幽霊なんだって」
「ああ、そういう設定なんだ」
  友達が笑って、貞子も笑う。先程までの不気味な雰囲気はつゆとも感じさせない、可愛い笑顔で。
「ねえ、夜店終わっちゃったよ。そろそろ帰ろう?」
「そうね。はぐれちゃってごめんなさい」
  貞子はにこにこ笑って、僕を振り返ると言った。
「じゃあね、清さん」
  からん、ころん、と下駄を鳴らして、彼女の姿が遠のいていく。
  貞子、冴子。一文字違いの名前。別にそれだけの話といえばそれまでだけど、双子に似たような名前をつけることはよくあることだ。
「もしかして貞子って……」
  あのお話の姉のほうだったり、するのだろうか。
  熱帯夜のはずなのに背筋がぞぞぞ、とした。
  幽霊よりも生身の人間のほうが怖い。僕はくるりと貞子に背を向けると、一目散に墓場のほうへと走った。僕の背後では、盆踊りが終焉を迎えようとしていた。
  僕が肝を冷やした、幽霊より怖い幽霊少女の話はここで終しまい。

(了)

使用したお題
焼きそば、ラムネ、金魚、夜店、墓参り、熱帯夜、幽霊

お名前(任意)
メッセージ(任意)
サイト内で引用   
一言感想