あふ。と黒狸(ヘイリー)は欠伸をした。
  昼下がりである。公園である。緩衝地域である。誰も敵がいないのだから、気も緩むというものである。そうなのだからして、ベンチに腰掛けて緩慢な太陽の光を浴びながら、今黒狸はだらだらモードに入っていた。
  手にはミルク味のソフトキャンディー。デフォルメされた女の子が舌を出している。なんとかはママの味とか言っていたはずだ。だけど黒狸は知っている。母乳は苦いということを。備蓄してあった弟用のおっぱいを飲んだ時にそれは知った。一度はおっぱいに憧れを感じなくなったのに思春期頃からまたおっぱいに興味が出始めた。
  苦くてもいいので女の子のおっぱいが恋しくて仕方ありません。
  ミルク味の飴を噛み締めながらそんなことを考える。
  仕事は午後からだ。それまでのこの微妙な時間をどう潰すかに黒狸は困っていた。
「暇……」
  呟き、もう一度欠伸をした。大きく欠伸をしたところで、お向かいにある、ちょっと離れたベンチに座った女の子と目がかち合った。
「こんにちはー」
  にへら。と笑ってそう言ってみる。女の子の表情はちょっと固い。
「ん?」
  そうしてすぐに、黒狸は今、マフィアの証である黒いスーツと赤い腕章をつけていることを思い出した。
「ああ、ええと」
  言い訳を考える。女の子はウサギのような印象だと思った。ふわふわもこもこしていて、抱きしめたくなるほど可愛い少女だった。いや、いきなり抱きしめたりしたら痴漢呼ばわりだぞ。そう自分に言い聞かせ、懐柔する方法を考える。
「いい、天気ですね……」
  しかし出てきた言葉はあまりに常套句すぎた。
「いい天気だね」
  女の子はまだ警戒の色を弱めないまま、ぽつりとつぶやいた。色素の薄い髪が風に揺れている。いい香りのしそうな女の子だと改めて思った。
「お嬢さん、ええと……」
  気を楽にさせるんだ、楽に! そう思うのに咄嗟に言葉が出てこない。
「あんた、マフィアなの?」
  しどろもどろになっているうちに相手のほうから先制攻撃があった。なんとなく助かった気持ちになる。肩ではあ、と息をした。
「まあ一般人ですって言っても、信じちゃもらえないかなあ」
「うん、信じない」
  女の子はきっぱりとそう言う。しかし視線は……なぜか黒狸の手元のほうに注がれていた。手元に銃は握っていない。握っているのは、ミルク味の飴。
「欲しいの?」
  試しに、ミルクキャンディーの袋を掲げて聞いてみる。ぴくりと反応した少女が、眉をちょっとだけ引き締めた。
「知らない人からお菓子もらっちゃいけないんだよ。特にマフィアからは」
「緩衝地域で毒なんて盛らないのに。甘いの好きなの? それとも低血糖症? 糖尿病ってことはないよね? 禁煙中? どれ」
  どうでもいいことになると口先がぺらぺら動く黒狸に、女の子はいよいよ唇を結ぶ。
「甘いのは好き。だけどボクに飴をあげてどうする気? 食べるの? キツネさん」
  出てきたキツネという名称に思わずどきりとしたが、別に自分の所属しているグループ、狐のことを言っているわけではないことにはすぐ気づく。顔が尖ってて、目が糸目だからキツネのようだという意味なのだろう。
「俺タヌキだよ、黒い狸って書いてヘイリーって読むんだ。あと飴くらいで釣られるお安い子じゃないことくらい分かってるって。警戒心強いな」
「相手がマフィアじゃなかったらそんなことはないよ。ここが緩衝地帯じゃなかったら、あんた、きっとボクにひどいことするくせに」
  もこもこのニット服の裾をきゅっと持って彼女はそう言う。たしかにそうかもしれない。見た感じ、彼女はギルドのようだと思った。ボスの鳳に言わせれば搾取するべき対象である。黒狸自身も最近は搾取することに抵抗がない。しかし……
(眠いんだよなあ)
  戦える気がしない。戦っても勝てる気がしない。そして今ここは緩衝地帯の公園のど真ん中だ。子供がちょっと離れたところで遊んでいるような環境でドンパチするつもりもない。
「質問にひとつ答えてくれたら、そっちにひとつ飴を投げるよ。答えたくない質問だったら答えなくていいし」
  要は暇つぶしなのだ。動く意思はないよ、とばかりにベンチの背もたれに背を預けて、脚を組んだ。
「名前は?」
「……空音(そらね)」
「友達からは何て呼ばれてる?」
「……くぅ」
  そこまでで、キャンディーをふたつ袋から取り出し、ひとつずつ投げた。くぅはそれをひとつずつ、両手でキャッチする。
「君のスキルは?」
「教えるわけないでしょ」
「そうだよね。年齢は?」
「十八」
  飴をひとつ投げる。投げながら質問の内容を考えた。
「スリーサイズ」
「馬鹿」
「彼氏いる?」
「まだいない」
「俺、望みある?」
「ないよ」
  あっさりすっぱり切り捨てられて渇いた笑いを浮かべた。飴を投げる。
「くぅはなんでギルドに入ったの?」
「教えない」
「甘いもの好きなんだよね? 好物は?」
「……飴」
  なんとなく飴を見ていた理由もわかった。そして視線をずらし、公園にある時計を見れば、もうすぐ移動時間だ。いい暇つぶしになったが、最後の質問はちょっとひねりたかった。
「最後の質問。答えられたら、全部あげるよ」
  そう言うと、くぅは緊張したような顔をした。
「ミルキーは何の味?」
  くぅはちょっとだけ質問の意味がわからないという顔をして、ぽつりと
「おふくろの味」と答えた。
「カツ丼と同列かよ! ぷはっ」
  思わずけらけらと笑い、ベンチを立ち上がると女の子のほうに歩いていった。顔をこわばらせた女の子の手に、袋を握らせ、ご丁寧に手をぎゅっと上から握り、それからぱっと手を離した。
「楽しかったよ。じゃあね」
  手を振って公園の出口に向かう途中も、脳裏に唐突に「ミルキーはおふくろの味」と流れて、それがツボに入ったらしく吹き出してしまった。
「さあて、」
  公園を出て、大きく伸びをする。太陽も昼下がり気味になってきた。片手に持っていた帽子を目深にかぶり、顔に手をあてる。お仕事のためのうさんくさい微笑を貼りつけて、黒狸は歩き出す。
「仕事の時間だ」

(了)