「シフォンケーキ焼きたいなあ……」
  そう呟いたのは仕事が終わった現場だった。仕事、といっても、普段のマネーロンダリングの仕事ではない。目の前には血に濡れて倒れた、かつて命だった誰か。見下ろしてる男――仲間はもう一人いた。実働部隊"狼"に所属するチャイだ。
「死体だ」
「見られたのは失態だったな」
「死体失態くっく……」
「くっく……うんまあ、死体の始末しようか」
  チャイに恥をかかせぬよう一緒に親父ギャグを言う。あまりクリーンヒットなネタではなかったことくらいわかっている。それどころか死体も失態もマズイことばかりだ。
「仕舞って始末。くっく」
  え。今のなんか笑うところあった? と思いながらチャイの殺した男を車の中に運びこむ。ガソリンを車の近くにばらまいて、数歩距離を取った。
「じゃ、先生お願いしますよ」
  黒狸が隣のチャイに目配せをする。手をパチンと鳴らせば、火柱が夜の工場に咲いた。
「綺麗な火柱だな」
「火柱人柱。くっく……」
「え。怖いそのギャグ」
「じゃ、黒狸が面白いギャグ言ってよ」
「我々は社畜です、人々は家畜です。とかは?」
「黒狸のも笑えない」
「韻踏んでみたのに。ひどい」
  精一杯考えたオヤジギャグが酷いことんい黒狸だって気づいている。
  そのままオレンジ色に輝く火柱を背中に、チャイと黒狸は歩き出す。懐を探ってマルボロを取り出すと、口に咥えた。火をチャイに貸してもらいたかったが、彼は能力を使ったばかりだった。仕方なくライターで火をつけてポケットに仕舞い直す。
「シフォンケーキはチョコレート味?」
  先程呟いた言葉をチャイが覚えていたらしい。何味にするかは決めてなかった。
「ドライパインを入れるのと、ピスタチオパウダーでどっしりしっとり重く作るのと、どっちがいいか悩んでいたところ」
「ジャスミンティーで食べたい感じだな」
「ジャスミンミルクティー味のシフォンケーキも忘れちゃいけなかったな」
「アールグレイもそしたら忘れちゃいけない」
「ほうじ茶味も美味いと思う。ほうじ茶はクッキーにしよう、そしてアールグレイはマフィンにする」
「色々作れるんだな」
  そんな色々作れるというほどでもない。作る方法さえ知ってしまえば、そんなに難しい料理でもない。そうして表通りに出た。
  黒狸は表通りの異邦人街で売っている食材屋を見ながら、チャイに言った。
「先、帰ってていいいぞ。俺ちょっと食材見ていくから」
「何作るんだ?」
「黒米ライスプディングとタピオカのシーミーロー、ココナッツミルクのシャーベットと胡麻団子、桜味の道明寺粉ケーキ。あれ、ここにある材料だけじゃおかずが何も作れないじゃないの? もう一箇所回るか」
  てきとうに切れている材料を手にとり、会計を済ませる。チャイがついてくることになんで? という思いを感じながら、ふと聞いた。
「食べ物ゲームしねえか」
「なんだ、それ」
「俺がチャイの言った食材の料理名を言う、それが不味そうだった段階でアウト」
「じゃあ、寝ゲロ」
「幼女の寝ゲロ風、カニのあんかけチャーハン」
「うわあ」
  自分で言ってて酷い自覚はある。しかし寝ゲロは精一杯調理してそのレベルだ。
「うんこ」
「子宝運のつくスタミナ丼」
「運子かい」
「うん」
「ギャグ? 黒狸の」
「ごめんなさい忘れて」
「チョコレート」
「クーベルチュールのザッハトルテ」
「ナス」
「ナスとバジルのナンプラー炒め」
「トマト」
「カッペリーニの冷製トマトパスタ」
「ひじき」
「ひじきと菜の花のマクロビ風パエリヤ」
「キュウリ」
「ラタトゥユ」
「あれってズッキーニじゃなくて?」
「キュウリでもできるよ。キュウリ炒めるのって一般的だし」
「一般的じゃねえよ、明らかに」
  きゅう、とお腹が鳴る。市場で気づけばけっこうな量を買い物していた。両手にビニール袋を下げて歩く黒狸に、チャイが「お前何でも作れるんだな」と言った。
「何でも作れるけれども、唯一作れないものがある」
「何だ、それ」
「マズイ料理」
「マジかよ」
「作ったことがない」
「小さい頃一度も失敗したことないのか?」
「ない」
  異邦人街の端にあるマンションのところまでチャイはついてきた。これ以上ついてこられるとご飯を作る羽目になるのかな? と思ったところだった。
「飯食ってく? それとも帰る?」
「いや、今日はいい。女の子と約束あるし」
「ああそう。男と食う飯なんてマズイだけだよね」
「そんなこともねえけれどもな」
  ふとチャイは、「美味しい料理を作れる奴に、本当に愛情の欠如した奴なんていないよ。女の子が一生懸命つくった料理は、いつでも美味しいもんだ」と言った。
  その言葉に黒狸はうれしそうににっこりと笑った。
「俺男だけど、それはそう思う」
「あとオヤジギャグが下手な奴にも悪いやつはいない」
「そうだといいけれどもな」
  その瞬間、チャイが薄く、唇を開けると舌なめずりをするのが見えた。
「今度料理、食べにいくよ」
  そう言ってチャイが踵を返し、消えていく。
  背中が汗でじっとり濡れるのがわかった。今のはご飯じゃなくて何か別の美味しそうなもん見つけた場合の目ですよね? と。
  しかしこんなおじさんにわざわざ手をだしてくる年下もいないと思うので、自意識過剰ということで片付けることにした。
「今晩のおかずと今夜のおかず。くっく……あーうまくいかね、くそっ」
  最後はばっちぃシモネタしか浮かばなかったことに心底舌打ちして、黒狸はエレベーターのボタンを押した。

(了)