「お前のこれから会うすべての人々は何かを必ず怖れている。何かを必ず愛している。何かを必ず失っている。何かを必ず信じている。それを肝に命じなさい」
  父の言葉の意味が理解できなかったのは、自分だけが不幸だと思っていたからではなかった。
  俺の中は色々ちょっと変わっていた。
  愛してる。しかし愛してくれる人たちに興味があまりない。
  失う。失ったものはほとんどない。
  怖れる。怖いものは多いが、その実心底避けたいものは特別思い至らない。
  信じている。色々信じているが、これだけは譲れないという信条はない。
  ともかく俺はそういう人間で、そのために何かを愛せず、何も失わず、怖れは実現せず、信じるを見失ってるのだと思う。

「レノリアさん、しりとりとまじかるマフィアどっちがいい?」
「どっちも嫌」
  事務所で資料を見るのに飽きてそう言ったところ、仕事に飽きるという言葉を知らないレノリア嬢にぴしゃりと断られた。
「じゃあ一人でしりとりしてる」
「どうぞご勝手に」
  ええ。なんかそういう感じはした。レノリアは寂しい男に付き合ってくれない気が。
「し・り・と・り」
  スタートの言葉を大声で言うとレノリアの眉がくわっとしかめられるのがわかった。美人の眉間のしわはなんとなく色っぽい。
「利用する。留守のふり。理解する。累計をとる。ルールを守る」
「るばっかよ。どんな縛りなの? それ」
  ツッコミはすぐに入った。なんだかんだ優しいというか、俺がかまってちゃんなだけだが。
「俺にとって大切なことシリーズ」
「ルール守ってるところ見たことないんですけど」
「俺のルールを」
「人のルールと違うのね」
「ルールを守る。る……る……あれ意外とないな」
「当たり前じゃない。大切にしてるもので冒頭にるがつくものなんてそれほど多くはないでしょう」
  呆れた顔をされた。呆れ顔も好きですレノリアさん。
「付き合ってよ」
「断る」
「しりとりに」
「交際するほうと勘違いなんて自意識過剰」
  色々俺、年下にまで嘗められること多すぎだよなあと思いながら、パソコンのキーボードをのろのろ打つ。
「煙草」
「粉雪印のココア」
「アルコール」
「またル? ルナちゃん」
「何それ」
「近所の猫。可愛いの」
「ふうん。ルナちゃんって聞くとなんかキャバ嬢想像する」
「何それ。ルナちゃん、次は?」
「んで終わってるんですが。お気づきになってレノリアさん」
「じゃあ仕事しましょう」
  もしかして付き合ったの一瞬だけですか。わざとんを選びましたね、レノリアさん。
「ごちゃごちゃ考え事をしているならば、相談に乗ってあげてもいいのよ?」
  レノリアはキーボードを打ちながらそう言ってくる。相談する内容は特になかったが、何かたぶん困ってることがあるのは確かだった。
「特に困ってるわけじゃあないんだけど、すごく困ってることがあってさ」
「うん。矛盾してるけど何?」
「俺さ、親父もおふくろもすごく大人で、金もある程度ある家で育ったから困ったことがないのな。失ったものもないし、別段不幸を感じたこともないんだけど」
「はいはい、幸せね」
「うん。で、紅龍会にはけっこう癖のある過去の持ち主がいてさ、みんなそんなこと言わないけれど顔に書いてあるじゃん? でも俺の顔にはなんか書いてあるかってと、」
「軽薄」
「うんまあ……返す言葉ないけど」
  確かに軽薄そうな顔してるんでそれはなんとも。
「俺、色々生まれてくる前に忘れ物したみたいなんだけどそれが思い出せなくて困ってんの。情けないことに俺の欠陥がどこにあるのかわからなくてさ」
「色々壊れてるのはわかってるけどたしかに何がと明確には言えないかもね。ところで文脈繋がらなかったけれど、そのひとつ前の文章との関連性は?」
「んー」
  たぶんレノリアも自分も、言わんとしたいことと表現したいことはわかっている。しかし明確な言葉が見つからないのだ。
「みんなみたいに目立って失ったものはないけれど、なんか違うんだよな。何か違うけれど、なんなのかわかんなくてだな」
「そうね。私にはあなたのことがわからない」
「しいて言葉を上げるならなんだろうな」
「存在の無意味?」
「ひど。でも近いかも」
「え?」
  レノリアが何いってんの、ナルシストのくせにと顔をあげた。
「みんな大切だと思いながら、どこかでどうでもいいと思ってる」
  やっと思い当たるようなものにぶちあたった。どうでもいいんだ。うまくいくもいかないも、苦しいも楽しいも悲しいも愛も人間も命も弟も何もかも、大切だと思っているし大切にしているが、その実どうでもいい。
「じゃ、何か大切にしたいものは?」
「探してるとこ」
「手がかりは? 一生かけて捜すつもり?」
「んー。そうだな、手がかりはある気がして」
  それは俺の能力にも関係あるわけだが。
「キーワードは、『信じる』だと思ってる。俺の中で唯一ゆらがない感覚だから」
「は?」
  え。なんか今のところ格好いいとか思ってほしいんですけどすごく冷たいレスポンスでしたよ、レノリアさん。
「あなたは嘘ばかりでしょ」
「俺の言うこと信じられない?」
「信じられないわ」
「でも気づけば信じてない?」
「あんたの口がうまくてね」
「俺もね、変だと思うのよ。このうえなく胡散臭い上に俺自分で言ってて嘘と真実わからないままごちゃごちゃ話してるのに皆信じてくれるからさ」
「うわっ最低」
「だから俺の大切なものは、その嘘と真実のゴミの中に埋もれている、宝なんだと信じている」
「ふうん。嘘つきすぎて何が大切かわかんなくなったのね。へえ」
「なんつーかレノリアさん、汚いものを見る目でさえ最近見てくれないですよ。なんかもうミジンコぐらい価値のない男になりましたか? 俺」
「まあそれはどうでもいいけど」
  スルーされた。俺がミジンコ以下なのかゴミ男なのかはどうでもいいらしい。
「見つかるといいわね、あなたの信じている宝物が」
  レノリアは最後にそう言って、こちらに笑顔を作ってくれた。
「俺なんか、レノリアさんはどんな大人になるんだろうなっていつも楽しみだわ」
「私はもう大人よ」
「俺もだけどね」
「あなたのような大人にはならないけれどもね」
  あんな大人になりたくないと思っているうちは若いと思うけれどもなあと思いながら、たしかにレノリアにこんな大人になって欲しいとは思わなかった。
「そういえば、『信じる』もるで終わるな」
「ルナちゃん。はい、しりとり終わり。こっちの書類鳳様に持って行って」
  顎で遣われてるのになんかお手をどうぞと言いたくなるのは俺がマゾだからか。レノリアから資料を受け取り、自分のものもその上に重ねると扉に手をかける。
「あなたはわけがわからない」
「俺もレノリアを知りたいな」
「私はあなたと個人的にお付き合いする気はないわ。おモテになるんでしょ? じゃあね」
  手を振るのが左右でなくしっしなのはどうでしてですかレノリアさん。
「レノリアさん大好き」
「はいはい、私も大好きだから早く行って」
  しつこい男が嫌いなレノリアをしつこくからかいながら部屋を出る。
「見つかるといいなあ」
  ぽつりとそう呟きつつ。

(了)