ラリーことローレンスと酒を飲むときはたいてい気楽だった。
  仕事の接待でもなければ、宅飲みの寂しさもない。
  二人でナッツをつまみつつグラスを傾けるだけ。
  黒狸は最初にマティーニを、ローレンスは最初にバーボンを。
  黒狸は最後に烏龍茶を、ローレンスは最後もバーボンを。
  つまりローレンスは酒に強い。どれだけバーボンをあおろうが、他の酒もちゃんぽんしようが酔うことがない。
  白人は酒に強いと聞くが、ローレンスはそのとおり酒をジュースのように飲んでいた。
  肴にする話はたいていお互いの女について。
  たいていはろくでもない話だから女性を連れてくることはない。

  その日、黒狸が用をたしている間にローレンスに声をかけている女性がいた。
  黒狸が気をつかって別のスツールに腰掛けると、ローレンスは酔った女がしなだれかかって「あんたでもいいのよ」と言っているのを丁寧に相手していた。

  ねえお嬢さん。どうしてそんなに誰でもいいみたいに声をかけるの?
  誰でもいいのよ。本当に。
  そうか。話聞くよ。
  話すことなんてないわ。
  そうか。じゃあ飲めばいいよ。何がいい?
  テキーラ。
  いいね。じゃあ俺も同じものを。
  テキーラなんて嫌いよ。 
  そうか、じゃあ違うものにしようか。ワインはどう?
  ワインは嫌いよ。
  ワイン以外にしよう。ラム酒は?
  ラム酒なんて嫌い。
  カクテルとかどう?
  カクテルも嫌いよ!
  ごめん。怒らせちゃったね。何がいい?
  テキーラ。
  テキーラを2つお願いします。

  テキーラでいいんじゃないか。しかもべろんべろんの酔っているのにテキーラか。
  ローレンスは女がテキーラを呷るのを止めなければ、ローレンスの皿から勝手にチーズをかすめとっても「それ、美味しいよ」と言うだけだった。
「テキーラはいらない」
「おつまみがいい?」
「おつまみもいらない」
「そうか。何が欲しい?」
「あなたがいい」
「ごめん、俺、今日は友達と来ているんだよ」
「……女?」
「いいや。男」
  あっち、とばかりに黒狸を指さす。
  いや、そこは女を選べよ。もうすぐ落ちるぞとインチキモールスを送るが、ラリーはまじめにこう言った。
「お嬢さん、俺は友達と飲みに来たんだよ。それともいっしょに飲む?」
「……ううん、テキーラありがとう」
  お嬢さんはテキーラのお代は払わないつもりらしい。
「お嬢さん、困ったらまたここのバーに来るから、そのときでいいかな?」
「ううん、いいわ。ありがとう、もういいの」
  女は酔った足取りでふらふらとローレンスから離れていく。黒狸はローレンスのほうに席を移動し、「落ちたぞ?」と言った。
「いいんだよ。今日は酒を飲みにきたんだ」
「ラリーって真面目すぎないか? 気にする仲でもないのにさ」
  ナッツをつまみ、女の残したテキーラに手をのばそうとしたらローレンスがそれを遠くにやった。
「ヘイリー、俺はヘイリーと今日酒を飲みに来た。そうだろ?」
  書面を交わしたわけでもないのに、ローレンスはこれは大事なことだとばかりにそう言った。
「そうだったな。俺はマティーニで、お前はバーボン」
「最後は烏龍茶とバーボンだ」
「今日はテキーラもだな」
「テキーラはいいねえ。強いのが好き」
  本当にすぐにさっきの話題を切り離して、元のヘイリーとの話題にローレンスは戻る。
「テキーラは嫌いよ」
  女の口調を真似てそう言ってみると、ローレンスは
「テキーラください」
  とそこだけ意地悪した。黒狸の目の前にストレートのテキーラが出される。
「テキーラは嫌いだって言っただろ?」
「でもさっきの彼女、テキーラが好きだった」
「俺はテキーラ嫌いだ」
「じゃあ俺が飲むよ。テキーラは好きだ」
  二杯テキーラ。黒狸には真似ができないが、ローレンスは美味しそうに安っぽいテキーラを口に含む。
「俺といっしょに来てなかったら彼女どうしたの?」
「お話聞いたよ」
「それだけ?」
「あとテキーラ」
「もういいよ。テキーラとお話な」
「うん、嫌いになったあいつの話や、悲しかった今日の出来事ね」
「たいていそうだよなー。聞いてらんないネタもあるじゃん?」
「そう? たいてい面白いって言ったら失礼だけれど、でもひとつひとつ違うよ」
「どれも同じに聞こえるし、たいてい相槌の種類かえる程度だぞ」
  黒狸も相槌の種類はたくさん持っているし、手間もかけるがローレンスほど真剣にひとつひとつ聞いちゃいない。どれも同じに感じる。
「そうだな。テキーラは嫌いなヘイリー、女の相手してすねてんの? ごめん、ワインにする? ラム酒? それともマティーニ?」
「すねてねーよ。女扱いすっと、もういっしょに飲みにこないぞ」
「そりゃあ困る」
  困ったぞとばかりにローレンスはそう言った。
「楽なんだよ、ヘイリーって」
  だからヘイリーがいいと言われて、悪い気はしなかった。
「俺もラリーがいいわ」
「まあ、酒の相手にはだけどな」
「当然。他に何があるんだよ?」
  ローレンスは少し考えて、答えるかわりにナッツを口に含んだ。
  コリコリと噛む音、そして飲み込む音。
「愚痴だな、今日」
  ローレンスの酒が不味くなるといけないのでやめにしようと思った。
「お話は聞くだけだよ、ヘイリー」
  それ以上は関係ないとばかりにローレンスは言った。
  黒狸はそんな効率の悪いことに付き合いたくもないし、付きあわせたくもない。
「ラリー、飲もう」
「いいよ、何がいい?」
「テキーラ。お前の口つけてないほう」
「ケチくさっ」
  ローレンスは笑ってオールドグラスを差し出した。
  ぴりっとした喉を焼く感覚は、あまりに安っぽくて疲れをとるのには向かなかった。
「テキーラは嫌いよ」
  女の口調を真似てそう言ってみる。
「じゃあ何がいい?」
「テキーラ」
  遊んでいるだけだ。ローレンスは笑って
「じゃ、テキーラいっしょに飲もうか」
  と言った。黒狸の頭の中では、こいつ自覚せずに「いっしょに」とか口にしてるんだろうなあとそんなことを考えた。
「お前タチ悪い男だな」
  本当に、お前はどこへ行っても誰かが拾ってくれるよと付け足すと、ローレンスは笑うだけだった。
  そんな人に自分もなれたらよかったのに。そう胸中付け足した。