214事件

04

 教材準備室のドアを開けて中へと入った。
  中には開きっぱなしの窓とか、包装紙を破ったあととか、思いのほか痕跡が残っていた。
  鈴木は真っ先に半開きの窓へと近づき、下を見下ろす。西園寺がチョコレートを見つけたと言っていた場所が真下にあった。
「間違いない、ここだ。おい、加藤、突っ立ってないで中に入って来いよ?」
  加藤はポケットに手を突っ込んだまま、ぼけっとした顔をしながらなかなか部屋へ入ってこようとしない。
「入っていいの? んじゃ、お邪魔します」
  中に入ったら不意に物陰から誰かが出てきて加藤を取り押さえた。鈴木は一瞬犯人が出てきたのかと思って身構えた。
「動かないで。動いたらこのsmallなboyの脳天がボンソワールよ?」
  怪しいサングラスをつけた長身の女子生徒が加藤のこめかみにおもちゃの銃を突きつけた。
  なるほど、ポケットに手を突っ込んでいて、小柄な加藤のほうが狙うに有利と見られたか。しかし、加藤は並外れた運動神経をもっている。本気を出せば、あっさり立場逆転のはずである。
  だいたい、突きつけているのがおもちゃじゃあ、そう恐くもない。
  鈴木は体勢を立て直し、ゆっくり告げた。
「貴女が怪盗バレンタインですか? 加藤の頭は固いし、おもちゃの銃じゃあサヨナラなんてしません」
「そらどうかなー。ねぇさんが持っているそれ、S&WM19コンバット・マグナム6インチモデルっしょ?」
  加藤が横目でちらりと女に視線を送る。
「あら、よく分かっているじゃない」
「いや、おねぇさんにピッタリだと思ってね。ちなみに、このモデルガン、この至近距離で当たればかなり痛い。うわーん鈴木〜たぁすけてぇ〜! あの世にボンボヤージュしたくないよぉー」
  加藤がノリノリで助けを求めてくる。女もノリノリだ。
「私はシャリーン、スパイ探偵部よ。怪盗バレンタイン!」
「俺たち全然怪しくないじゃあないか!」
「犯人はまた犯行現場に戻ってくるもの。張りこんでいたらあなた方が来た。怪しいわ。三分間待ってあげる、言い訳でも考えて名乗ってみなさいな、自分が何者なのか!」
「一年三組鈴木北斗。生徒会長しています。今回の件で個人的に加藤竜弥と捜査しています」
  鈴木は即答した。
  ガウン!
「あぁぁあああぅーウッチ!」
  加藤は悲鳴をあげてこめかみを押さえながら床を転げまわった。鈴木は慌てる。
「シャリーンさん、なんで撃ったんですか!? 俺は本当のことを」
「オーゥ、ソーリー。三分間待つと言ったのに、あまりにノリが悪かったから、つい……」
「鈴木のバーカ! バーカ! バーカ!」
  加藤に罵られて、鈴木は自分のノリが間違っていたのか疑問に思いながら謝った。

「と、言うわけなんですが……」
  鈴木は今までの経緯をシャリーンこと、長谷川凛(はせがわりん)に説明した。
「そういうことですか。私はてっきり加藤くんが嗅ぎ回っているのは犯人だからとばかり……ゴーグルボーイ、本当にソーリー」
「いや、疑われてもしかたないしーべつにもういいしー俺は死んだしー」
「だからゴメンって言っているじゃあないか、加藤」
  加藤はこめかみをハンカチで冷やしながら拗ねたままだった。本気で拗ねていないのは長い間一緒なのでわかっていた。
  鈴木は加藤を放置して続けた。
「なので、俺たちもここを調べさせてほしいんです。邪魔はしません、お願いします」
「お友達を撃ってしまったお詫びをしなくちゃね、OKよ。好きに探してちょうだい。そして私が見つけた手がかりもお見せするわ」
  そしてシャリーンはビニール袋を取り出して見せてくれた。袋の中には何か透明な、脱皮した皮のようなものが入っていた。
「ゴミ箱から検出されたわ」
「なんですか? これ」
  ヒョイ、と鈴木の後ろから加藤が顔を覗かせる。
「美容顔パックだな、これ」
「私もそう思っていたところよ! おそらく、犯人が残したものに間違いないわ!」
  声の強張り方からして、今気づいたのだろう。
  こんな変な、広げてもいない物を袋の外から一発で当てる加藤。得意げに笑っているところをみるとすっかり機嫌は直っているようだ。鈴木は眉根を寄せて言った。
「だとすると、これで変装したってことだな」
「そうね、これで顔を変えていたとすれば、まさに百面相!」
  シャリーンと鈴木の顔を見て、加藤は水を差すように言った。
「ああ、たしかにこれは怪盗の忘れ物だろうけど……これで変装なんてできないって。これはあくまで美容用の下地。使われていた仮面は別にある」
  ガウーンと音が聞こえてくるほど、テンションの下がるふたりを面白そうに見ながら笑う。
「まぁ、あれっしょ。下地ってことはー、本物の顔に直につけたってことだし。仮面見つけるより、こっちの方がよっぽど手がかりかもね? 犯人の顔の形がわかるってもんだ」
「たしかに」
「私もそう思っていたわ!」
  シャリーンは携帯を取り出して探偵部のHIDEへと連絡をとった。
「こちらシャリーン。犯人の顔が取れたわ」
「でかした、長谷川。だが少し遅かったな。久保田が怪盗バレンタインを現行犯逮捕した。犯行もバッチリ見た」
「K様が怪盗バレンタインを!? 確かなのHIDE!?」
「ああ、もう連行されている。お前はとりあえずその証拠品を僕に見せに来い。犯人のものか照らし合わせる」
「ラジャー……」
  シャリーンは携帯を切るとその場にへたれこんだ。
「またしても、やられたわ。また抜かされた、普段幽霊部員のくせに。ううう、私ってやっぱり駄目な女。マリーンがいないと何も出来ない……でも、マリーンはもう……ああ、マリーン」
  なんだか一人でひたりはじめたシャリーンの肩を鈴木は叩いた。
「どうかなさったんですか?」
「ええ、私たちはいいコンビだった。でも、マリーンはあの日から人が変わってしまったわ」
「いや、そうじゃなくて。『K様が怪盗バレンタインを!?』のほうです」
「いや、俺はマリーンの方が聞きてぇよ」
「うふ、それは今度じっくり、ディナーでも食べながらお話しましょう、坊やたち」
「たちって……」
  聞きたがっているのは加藤だけなのに、と鈴木はうめいた。シャリーンは顔を上げる。
「怪盗バレンタインが現行犯逮捕されて、今聴聞室で取調べを受けているわ」
「捕まったんですか!?」
「うそーん! つまんねぇー! 俺と怪盗の対決シーン無しかよ!?」
  鈴木は加藤を睨みつけて黙らせた。そして立ち上がり
「俺たちは確かめに行ってきます。シャリーンさん、貴女は十分優秀な女スパイです。マリーンさん無しでもやっていけます。こうして確かな証拠を貴女は見つけ出したじゃあないですか。そう卑屈にならないでください」
「ビーダマボーイ、貴方もいい男よ」
  これでいいんだろう? ノリを合わせればいいんだろうが、加藤よ。半ば自棄な鈴木だった。
  加藤は目を細めて「姫に言いつけてやろ。他の女口説いてたって」と小声で呟いた。
  鈴木は加藤を置いてとっとと元来た道を戻った。加藤も立ち上がる。
「違うと思うんだけどなぁ。シャリーン、本物捕まえる時、手伝ってな? まだまだ行けるって」
  加藤もそう言い残し走って鈴木を追いかけた。
「本物の怪盗はまだいるってことかしら……負けていられないわよ、シャリーン」
  自分にそう言い聞かせ、シャリーンは証拠品を持って探偵部へと向かった。

◆◇◆◇
「姫副会長様! 糖分検査用の器具を大学に行って集めてきました!」
  剛が生徒会の扉を開けて入ってきた。深沢と水緒も続いて入ってきた。水緒が取り扱い説明書と許可書を冬姫に差し出し、自慢げに言った。
「血液検査用小型血統計測器三十五個。尿検査用が五十個で、詰め替え用なので衛生的にも問題ありませんわ。うちの学校にも十台ほどあるみたいだし。ちなみに全部タダですのよ? ホォーホホホ!」
「よくもまぁそんなに、どうやって?」
  冬姫は詐欺まがいのことでもして強奪してきたんじゃあなかろうかとひやひやしながら聞いたが、深沢がにっこり笑う。
「簡単です。元東雲高校出身の先輩方に被害者と応援軍団と泣き女と剛くんをつけて、一時間くらい訴えかけましたから」
「そらたまらんな……」
  騒音どころの騒ぎではない。強烈な光景を想像して李樹が耳を押さえた。
「あとでお礼とお詫びをいれに行かなければなりませんね」
  冬姫の顔も心なしか引きつっている。書類に目を通しながら聞いた。
「準備のほうは?」
「保健委員と風紀委員の手配はしました。献血データ欲しさに動く部活もいくつか用意してます。あとは先生の許可なのですが……」
「それなら許可をとりました。念のため、先生方の血液も調べさせていただくつもりですが……それに対しては許可が取れませんでした。そこで」
  冬姫はしばし間をおいてゆっくりと言った。
「受ける受けないは自由にしますが、採血を拒んだ者はみんなリストに入れといてください。副会長命令として放送にはさんでいただきます」
「リストってなんのですか? 容疑者としての?」
「私が個人的に会って問いただすためのリストです」
  冬姫の発言にいっせいに手があがる。
「俺一番!」
「じゃ、私二番!」
「じゃ、ぼ、僕は三番目に!」
「採血の順番なんてどうだっていいですけど、私たちはどちらにしろここで検査します。川島くん、針と尿、どっちがいいですか?」
  深沢のいきなりの質問に李樹はぎくりとしながら叫んだ。
「絶対針や! 俺はさっきトイレ行ってもーたし! 針の大きさにもよるけど。どんな注射なん?」
「なにーあんた。注射怖いの〜?」
「でかいのは痛いですよねぇ……僕は嫌いです」
「喧しいわい!」
  水緒と月崎の言葉に李樹は怒鳴り返す。深沢が穏やかに言った。
「心配いりません。針はとても細いです。髪の毛ぐらいでしょうか? ちょこっとチクリとするぐらい……だ、そうです」
だ、そうです。だそうです。だそうです?
  その言葉が反芻される。とりあえず、李樹が第一犠牲者として代表で採血することとなった。
「まず、使い捨てセンサーをパックから半分出して、装置に挿入し、パックを引き抜く。センサーの部分には触れないようにして用意しておきます」
  さっさと手際よく深沢はセットした。
「次に採血です。まず、人差し指に消毒します。採血器に使い捨て針を刺し込み、乾燥した人差し指に刺します」
  ブスリ。
「痛ッ!」
「やっぱり痛いんですかー!?」
  李樹の声に剛が悲鳴をあげる。
「いや、効果音が。口がつられただけや。思ったより痛くないわな、これで泣いたら馬鹿だ」
「一滴絞り出し、センサーの先端を軽く触れさせます」
  ピッっと小さな音が鳴った。
「この音が鳴ったら三十秒後に結果が出ます。…………李樹くんの血糖値は、低いですね」
「これはチョコどころか、糖分殆どとってないわね」
「砂糖舐める?」
「カラムーチョばっか食べるからですよ」
「喧しい!」
  口々に心配なのかちょっかいなのかわからないことを口にする生徒会メンバーを怒鳴った。
「まあ、こんな感じで採っていきます」
  と深沢はにっこり笑った。
  五人は順番に検査してみたが、特に問題はなかった。剛が一番高かったくらいだが、もともとこの男は甘い物ばかり食べるのでこれも特に疑いはかからなかった。

 ピーン ポーン パーン ポーン―――
――全生徒および先生に告ぐ。今から糖分検査を行います。各指定場所に担当員がスタンバイしています。至急近くの空いてるエリアで採血を受けてください。数が限られてますので、遅く来る者は皆強制的に尿検査になります。尚、検査を拒んだ場合、飯島副会長が直々に尋問に伺うそうなので、死にたくない人は「おかし」「おはし」を守り、速やかに行動しましょう。――ブツ。
――ピーン ポーン パーン ポーン

◆◇◆◇
  裁判部はこの数日後に行われるバレンタイン裁判に向けて準備中だった。部員全員の動きが止まっていた。
「今の放送反則じゃない?」
  海馬と森下がポカーンとした顔で呟いた。陸が無言で立ち上がり、一直線に指定エリアへと向かった。
「ああーん、陸ちゃんフライングですぅ〜。みゅーもいっしょに行きますぅ〜」
  空乃がその後ろを走っていった。
「森下、走るわよ!」
「別に尿検査でもいいじゃん。それにきっともう人で埋まっているよ」
  海馬が誘うのに森下は動かないつもりだ。
「ヒック! 部長、それ以上ハーゲンダッツを食べているとヤバイですよ!」
「待って、もう少しで食べ終わるから!」
「部長、この薬飲むと少しはマシになりますよ?」
「五十嵐、それキシリトールガム! 虫歯予防だよ」
「ガム飲んじゃ駄目ですよ! お腹の中でびよーんびよーんになっちゃうよ!」
「自分コネで検査器わけてきてもらいますね」
  戸浪が風紀委員のところに検査器をとりにいった。

◆◇◆◇
  一方、他の生徒はといえば、一斉に動き出した。
  あっという間に指定場所は埋まっていく。
「押すなボケー! ほらーお前ら、散れー! 順番守れ! どこ触ってんだ貴様ー!」
ピピーッ! ピー! と、笛を鳴らしながら風紀委員の海堂理佳が怒鳴る。
女子プロレス部所属の彼女のその体格のよさはもはや女のものではない。鉄パイプを振り回すその姿も風紀委員に見えなかったが歴とした体育系エリート風紀委員である。
「ん、貴様。ヤケに数値が高いな。そのゴーグル、加藤竜弥だな?」
  ゴーグルをつけた赤毛の男はニヤリと笑ってその場を立ち去った。人の波にもまれて理佳は追うことができなかった。

 ピーン ポーン パーン ポーン―――
――全生徒および先生に告ぐ。今から糖分検査を行います。各指定場所に担当員がスタンバイしています。至急近くの空いてるエリアで採血を受けてください。数が限られてますので、遅く来る者は皆強制的に尿検査になります。尚、検査を拒んだ場合、飯島副会長が直々に尋問に伺うそうなので、死にたくない人は「おかし」「おはし」を守り、速やかに行動しましょう。―――ブツ。
―――ピーン ポーン パーン ポーン

◆◇◆◇
「糖分検査?」
  妙な放送に鈴木と加藤が顔を上げる。聴聞室に向かう途中だった。他の生徒たちがドタバタと走り抜けて行く。すごい騒ぎである。
  加藤が笑いながらこちらに視線をやる。
「姫もやるねぇ。でもさ、肝心の生徒会長がここでこんな事していていいわけ?」
「学校中大混乱じゃあないか。これじゃあ犯人が逃げやすくなるんじゃ……」
「そうそう、逃げやすい。つーことは、逆に犯人に動きがあるってこと。きっと尻尾を出す」
「そんなに安直に考えていいのか?」
「じゃあ犯人は冷静に行動すると考えて、何もせず、検査だけ受けるのか? 鈴木」
「とりあえず怪盗は捕まったんじゃあないのか? それを確かめに行くんじゃあないのか、俺たちは!」
「絶対違うって。誓っていい、そいつは模倣犯なの!」
「なんでそんなに断言するんだ!」
「こんなタイミングで捕まっちゃカッコ悪ー、だろ?」
「怪盗を格好良いとか格好悪いとかで見るなよ! チョコ盗むあたりで既にカッコ悪ーじゃないか?」
「いや、怪盗はカッコ悪くてもいい。でも俺がカッコ悪いのはNGだ! リボンつけて渡すって約束したんだぞ? じゃなきゃあ面目丸つぶれ。加藤竜弥としてこれどうよ? 最悪すぎ」
  鈴木は加藤の頭を一発叩いた。
「そんなにリボンつけたいなら、自分にリボンつけて殴られてこい。真犯人かどうかは見てから決めろ、いいか、分かっているのか? 格好良いかどうか気にして動いている様が一番お間抜けだ。第一お前、格好良いとこ見せるために動いているのか?」
「……。ワリ、正直言って面白くないが本音。真犯人はそう簡単に捕まらないって確信じみたものを持っていたから……納得いかないだけなのかもしれないけど。引っかかるっていうか、ピーンとこないわけよ、ここが」
  加藤は親指で自分の胸を突いた。
「頭でピーンときても、ココが無反応な時って、だいたい違っていたってことが多いから」
「……わかった。そこまで言うなら違うのかもしれない。でも、確かめようよ? その偽物……」
  鈴木が折れる形で、今捕まったのは偽者ということになった。鈴木は腹の奥からたまりにたまった何かを吐き出すような深いため息を漏らして、偽者を見に行くことにした。

「すみません。先程怪盗バレンタインらしき人物が捕まったと、探偵部の人から聞いて来たんですが、お会いできますか?」
  さっき来た時よりもさらにごった返している風紀委員聴聞室。どの人も忙しそうで取り合ってもらえない。
「だめだ、もう少しあとで来たほうがいいのかな?」
「多分、検査でひっかかった奴らの取調べでこんなことになったんじゃね? あとになればなるほどもっと酷くなるって。それに、普通怪しい人物ほど別室で取り調べを受けるもんだろ? おそらく、隣のこの部屋!」
  加藤は言うやいなや、べたりと真横の扉にへばりついて隣の部屋の会話を聞こうとしはじめた。鈴木は半ば呆れる。
「やめろよ、みっともない。格好悪い、不審人物」
「なるほど、へぇ〜……ん?」
  加藤がフムフムと聞き耳を立てているので、本当に聞こえているのか気になって、鈴木もいっしょに扉に耳をあててみる。
「…………」
「…………」
  たしかに中で何かしゃべっているが、いまいち外の雑音が大きいので聞こえが悪い。何を言っているのか聞き取れない。
「加藤、なんて言ってるんだ?」
「『俺は怪盗バレンタインの真似した偽者です。ごめんなさい』とか言っている」
「本当かよ?」
「ごぉらぁ! そこのふたり、何しくさっているんだ!」
  後ろから怒鳴り声が聞こえたかと思うと固い金属音と振動が伝わってきた。
  振り向くと恐そうな女が鉄パイプを持って立ちはだかっていた。加藤は女を指差して言った。
「扉を鉄パイプで殴るのは器物破損だぞ。風紀警備屯所の前でよくそんな事できんね、ゴリラァ」
「俺がその風紀委員だ! お前らこそ、こそこそしていればまだ放っておいてやったってーのに、堂々とそんなところで立ち聞きしているんじゃねーよ、馬鹿が」
「スンマセーン、座って聞けばよかった?」
「加藤、お願いだから刺激することは言わないでくれ」
  相手が鉄パイプを持つ手に力が籠ったのがわかったので鈴木は慌てて止めた。
「すみません。ついみっともない真似を、お恥かしい。俺たち捕まった仮バレンタインに会いに来たんですけど、その……」
「面会だろうがなんだろうが、駄目だ。重要人物として隔離している」
  きっぱりと断られ、取り付く島もない。なんと言い返そうか考えていると加藤がまたいらない口を挟む。
「お前、生徒会長の鈴木北斗が頭下げて頼んでいるのにそらないんじゃない? ついでにこのマブ友とかほざかれてる加藤様もこう言ってんじゃん! 会わせろってば」
  ニコニコしながら言う加藤だが、この名前を出して丸く収まった覚えはあまりない。
「ふん、知っている。だからどうした? 坊、ここは時代劇じゃあないんだ。紋所見せられようが、桜吹雪見せられようが、風紀委員が頭下げても俺は頭下げねぇ!」
  鈴木はこの俺女に西園寺と重なるものを感じた。
「加藤、たしかに生徒会長だからって特別扱いとか地位とか関係ないよ。お前が勝手なのは知っているけど、俺も勝手に生徒会を抜け出して勝手にバレンタインを追っている。だから、俺は一生徒としてバレンタインと会い、決着をつけたいんだ。それに、今捕まっているのはバレンタインじゃあないんだろ? 加藤。俺もなんかそんな感じがしてきたし、別をあたろうよ」
  その会話に反応する理佳。鈴木はガシッと肩を鷲づかみにされて、壁に押し付けられた。
「今何て言った?」
すごい形相で突っかかってくるので何事かと思った。寧ろ恐い。
「今捕まっているバレンタインは偽物」
「違う、前だ! 前! 『俺は一男としてバレンタインに会い、決着をつける』ってたしかに言ったよな!?」
  なんだか微妙に違うけれども、言いたいことの趣旨は同じだと思ったので頷いた。
「お前、男だよ! 生徒会長の座を降りても、ただ愛する女のために命張って戦うんだな!?」
「わー! 鈴木ー男だなぁー!」
  加藤がここぞと言わんばかりに割り込んで、話がこじれていく。うまく進展しているのだろうか、この展開。
「そうなんだよ、さっきもひとりで木刀持ってここに現れたしさー! こいつ本気だよ? だーかーらー、面会を」
「却下だ」
「オーンノッ! ケチだなぁ」
「ほら、うまくいかないって、こんな展開じゃあ」
  寧ろこんな展開で話を進めたくはない。もっとナチュラルにいきたいものだ。
  理佳はフンと鼻息荒く言った。
「俺はケツの穴の小さい女ではない! 面会は無理でも代わりに別の人に会わせてやろう。重要参考人だ。ついて来い!」
  鉄パイプをくるんと回して、小脇にはさむようにして兵隊持ちすると離れてある面会室へと向かった。

「おい、K様くん。面会だ」
  ガンガンと鉄パイプで壁を叩いて部屋の端で相談しているふたりに声をかけた。
  カウボーイハットを被った巨体の男が、のっそりとこちらに振り向くとぺこりと会釈をした。鈴木も頭を下げる。
「あの人がK様? K様って探偵部の?」
「そうだ。探偵部二年生、久保田昇(くぼたのぼる)だ。身長は一八〇センチ、七三キロで喧嘩は強いし成績だって良いほう。無口だが、いい奴だ。どうだ、いい男だろう?」
  理佳は得意げに久保田を紹介した。加藤がずかずかと久保田に近寄ると隣にならんで、背伸びをした。
「見ろよー! 鈴木ぃー!」
  加藤の身長は背伸びしても久保田の胸のあたりで精いっぱいだった。
「おじさん、悔しいからさ! 肩車してよ」
「馬鹿加藤、馬鹿っぽいからやめろ! そして失礼だよ!」
  久保田はゆっくりと手を挙げると、加藤の頭を撫で撫でした。
「鈴木、やっぱこれおじさんだよ。反応がさ」
「お前がガキなだけだよ! 反応しきれないんだよ、きっと!」
「ふたりとも両極端なだけですよ……」
  ぼそぼそと呟く声が聞こえた。久保田は口を動かしていないので、しゃべっているのは別の人だ。しかもどこかで聞いたことのある声である。声の主を視線で追うと、久保田の真横に裁判部の戸浪がぼんやりと佇んでいた。
「加藤くん。昇くんは正真正銘の十七歳で、自分とは同学年です。冗談で言っていらっしゃるのはわかりますが……一つ差の後輩に『おじさん』と言われるのは少し複雑だと思います」
「そうでもない。この子相手だとしっくり来る」
  淡々とそう述べる戸浪に久保田も淡々と応える。
  戸浪は「それは失礼……」と頭を下げ、久保田もまた「こちらこそ失礼」と頭を下げた。思わず鈴木も加藤の頭を掴んでいっしょに「失礼しました」と頭を下げる。少し脱力した。
「このふたりはマイペースすぎなんだ。気にせずマイペースに話せ、さっさと」
  理佳が後ろからちっとも話が進まないと苛々気味に言った。
  遠慮なく先に口火を切ったのは加藤だった。
「先に、シャリーンさんに会いました。そしたら、携帯で現行犯逮捕されちゃったって聞いたんだけど。今捕まっているのって、ぶっちゃけ、本物じゃあないんしょ?」
  久保田は黙ったままなので、鈴木も続けて質問する。
「すみません。話をややこしくするようで。これだけの大規模な犯行だと一人じゃあ無理だと俺たちは思っています。本物か偽物かというよりも、その人は何かの組織の一員でまだまだ怪盗は存在するんじゃあないかと思った次第で……その、お話を……」
「この事件はグループや組織的なものではない。みんな、単独犯だ。今まで捕まっている犯人は捕まり方もあっけないものだった」
  やっと口を開く久保田に聞き返した。
「どんな風に捕まったんですか?」
「紙製の怪盗の仮面を被った男が、部室を荒らしていたので、職務質問したら、逃げたので、捕まえて、チョコが見つかった。だが、犯行カードは違うものだった」
「馬鹿だ」
  鈴木は短く感想を言った。戸浪も頷く。
「馬鹿ですね」
「それー、劣だろ?」
  加藤が笑った。鈴木ははっとして隣の理佳に聞いた。
「そういえば、西園寺は? まだ捕まったままなんですか?」
「ああ、奴なら見張りをつけて帰した。ついでに血液検査もしてみたが、思った程ではなかったな。それより、そいつのほうが派手に高かった。糖尿で死ぬぞ? お前」
  理佳が加藤の肩を小突いた。
「えーなんでお宅が俺の血糖値なんてしってんのさぁー?」
  たしかに自分の血糖値は今最高潮のはずだ。だが、学校側にはまだデータ的なものは何も渡っていないはずである。なぜならまだ検査していないからだ。
  鈴木も疑問に思い聞き返した。
「どうして知っているんですか? 加藤が大量のチョコを食べまくっていること」
  理佳がヤリ眉を上げて加藤をまたどついた。
「検査しただろうが! 計値200以上ぶっちぎりだったろうが! 寧ろ、お前は今のところ血糖値が高いベスト10の上位あたりをうろちょろしているぞ!」
「うそぉーん! それ、かなりの勢いで偽物だよ!」
「そうですよ、何を根拠に。俺とずっとこいつといたし!」
「そらー、会長さん。お友達は可愛いでしょうよ! でもね、でもね、俺は見たんだよ! この目で見た! 赤いツンツン髪、ゴーグル、チビ! お前意外に誰がいる? つーか重要参考人として逮捕だ!」
  ガシャン、と加藤に手錠がかけられた。鈴木は慌てて抗議する。
「待ってください! 加藤は、たしかに赤いツンツン髪でゴーグルチビですけど、そんな人物アニメの世界じゃあごろごろいるじゃあないですか!」
「なにそれ。俺、アニメ扱いか?」
「つまり、変装すれば誰だってできます!」
「いや、無理だと思う」
  加藤が隣からあっさり否定する。しかし鈴木は諦めない。
「いいえ! やろうと思えばできます! 俺の偽物出回ったときだってあったんですよ? なら加藤だってあり得るじゃあないか! それ、本当にこいつでしたか? たしかですかそれは!」
  勢いで畳み込む鈴木のものすごい剣幕にさすがの理佳もびびり気味だ。しげしげと加藤を見る。
「そういえば……」
「そういえば?」
「こいつの身長は少し足りないな。チビには違いないが、私が見たのはもう少し身長があった。この身長じゃ、雑踏にすぐ呑み込まれるだろう」
  海堂はぺんぺん、と加藤の頭を叩きつつ自分の記憶している身長と目算した。
「それは怪盗バレンタインの可能性が高いです! 彼は変装の名人です! その血液と現場状況を詳しく知りたいんですが」
「それは駄目だ」
  久保田がボソリと言った。
「機密情報だ。どっちにしろ、その子は怪しい」
  ぐっと鈴木が何か言いかけたところで、加藤は言った。
「もういいよ、あとになればわかることだし。それより、俺の本当の血見たくない? きっとベスト10どころかベスト3いけると思うんだけど?」
「それも駄目だ、鈴木会長も無理だ」
「なんで!?」
「個数がない」
「それだけか!?」
「尿検査ならできるが……」
  他人に尿を触られることに少し抵抗はあったが、鈴木は半ば自棄だった。
「尿検査だろうがなんだろうがこの際やってやる!」
「俺は嫌だー」
  加藤が駄々をこねた。鈴木に睨まれてもいつものペースで我侭っぷりを発揮する。
「だってさー、血液検査と尿検査じゃ、対等な価値ないじゃん? 押しが弱いってーかさ。それに俺は、尿検査を、学校に真当に提出した経歴がない男だし」
  とどのつまりは尿検査は嫌なのだ。
「たしかに、同じものでないと比べようがないと思います」
  戸浪が話に割り込んできた。
「もし、よければ……自分は部員用に特別に血液検査用を持っているんですが、うちの部員にふたりほど尿検査に回ってもらって、おふたりの血液検査にまわして差し上げましょうか?」
  思いがけない戸浪の提案に鈴木は遠慮がちに首を振る。
「でも、悪いですよ。そんな」
「あ、じゃあ一名だけお願いしよーかなぁ? 鈴木は尿検査がいいらしい。注射怖いんだってさ!」
「二名お願いします」
  鈴木はあっさり血液検査組へとまわった。理佳はちっとも納得いかないような顔をする。
「もういい、好きにしろ! でもあの結果は帳消しにはできないからな! それと、お前は信用ならないから……」
  もう片方の手錠を鈴木の腕に嵌めて理佳は言った。
「しばらく、この状態でいろ。もし手錠外れてたり、ふたり一緒にいない時はそいつは間違いなく容疑者だ! いいな!?」
「たしかに、とろい鈴木と一緒じゃあ犯行は無理だね」
「ちょっと待ってください。勝手に手錠かけないでくださいよ、変な疑いまたかかるじゃあないですか!」
  もちろん、井上あたりに勘繰られるという意味だが。というより、まだ井上園子に遭遇していない。出番的にそろそろ出てきそうな予感がして鈴木は先行きが暗くなるようだった。