戯曲裁判

03

「森下くんはぁ、鈴木くんが悪いと思いますか?」
「悪いかどうか? うん、悪いかもしれないけれども、鈴木が悪いというよりは撫原が悪いんだろ」
  空乃と森下は鈴木の待つ演習室へと向かいながらそんな話をした。
「陸や海馬の言いたいことはわかるよ。どんな事情があろうと生徒会長が学校の金に手を出した以上それは汚職だってことだろ」
「そうなんですよねぇ。でも北斗くんは絶対何か弱みを握られているんですよぅ」
  前回井上を弁護するために組んだときは鈴木の写真にシャーペンの芯で穴を開けるような真似をしていた空乃だが、普段は鈴木の味方という立場を崩さない。
  森下はもちろん鈴木の味方というわけではない。ただ撫原の敵だというだけである。ならば別に陸や海馬のように検事側に回ったってまったく問題はなかったはずなのに、なぜか弁護側に回ってしまった。
  森下は被告弁護以外をやったことがない。正確には原告側や検事をやるのが苦手なのだ。追い詰めている相手は本当に有罪なのだろうか。初めて受け持った事件、陸の集団カンニング事件からその疑問は続いている。
  逆も言えるのだろう、弁護している相手は本当に無罪なのか。別に完全無罪を証明するつもりなど森下にはさらさらないのだ。その人間が守られるべき権利を主張するだけ、それが森下の考え方だ。
  それは陸の考え方とは真っ向から反対だ。彼女は被害者や決まりを守る相手の権利を守るために正義の立場に立つ。
  別に彼女の言っている意味がわからないわけではない。正直彼女に勝ってもらいたいような被告もいる。空乃や海馬のようにときと場合によって立場を使い分けられることのほうがずっといいこともよくわかっている。
  だけど森下には森下のやり方での正義の通し方があった。
  演習室の扉を開けると鈴木と冬姫が待っていた。
「北斗くーん、このたびは初めての被告席おめでとうございますぅ」
「空乃、それ嫌味だよ」
  ファイルを机に置いて空乃と森下は向かいの席に座った。
「さて、どうやって弁護するかだけど……」
  森下はファイルから鈴木と撫原の密会の写真を取り出しながら、言った。
「この写真に写っている人間、まずこれは須々木有でなく、間違いなく鈴木北斗本人だね?」
「…………」
「弁護する上で本当のことを言ってくれないと困りますぅ」
「俺、です……」
  空乃の言葉に鈴木が苦々しく認めた。
「じゃあ、こっちの男は晴嵐高校の生徒会長、撫原尚輝で間違いない?」
「……はい」
  森下と空乃は目配せをしてから、鈴木と向き直った。
「僕と空乃でちょっと決めたことあるんだ。もちろん鈴木くんが協力するのが嫌だって言うんなら、普通の弁護をするけれども、君だって撫原の奴に一泡吹かせてやりたいよね?」
  鈴木の目が真剣になった。
「お願いします」
  迷いのない声だった。

 一週間後、裁判は始まった。
  傍聴席は生徒でごった返し、鈴木は居心地が悪かった。
「大丈夫じゃ北斗くん。そがん心配せんでもわしが守ったる」
  空乃がそう言ったが、鈴木の緊張はほぐれる様子が見えなかった。
  裁判長の席に松山が腰掛け、木槌を振り下ろした。
「それでは今から、生徒会汚職事件についての審議に入ります。ひっ……く」
  そこまで言ったところで松山はしゃっくりをしはじめた。
「松山先輩大丈夫ですか?」
「戸浪く、ん……ひっ……大丈夫じゃ、ひっ……く、ありま、ひっく、せ……ん」
「誰か松山先輩を保健室へ」
  戸浪の指示で太田が松山を保健室へと連れていった。出て行く寸前に、松山は振り返ってこう言った。
「戸浪くん、あとは任せます」
「任されました」
  戸浪は静かに裁判長の席に着席すると、木槌を振り下ろした。
「ここからは自分が裁判長を代理で務めさせていただきます。では冒頭弁論を五十嵐くん、お願いします」
「鈴木生徒会長が組んだ外交費特別予算には生徒会長の私腹を肥やす魂胆がありました。外交相手の晴嵐高校の生徒会長とつるんで金をやまわけする算段を整えているところの現場の写真を西園寺くんが押さえました」
「了解しました。それでは審議を始めます。検事側からどうぞ」
  陸ががたんと立ち上がり、そして言った。
「この写真を見てください」
スクリーンに映し出されたのは鈴木ともうひとりの男性が会っているシーンの写真だ。
「このように、被告人が撫原尚輝と会っていたのは写真より明らかです。ここに写っているのは撫原で間違いありませんか? 被告人」
「間違いありません」
「ではなぜ、撫原と会っていたんですか?」
「黙秘します」
  始まったと同時に黙秘した鈴木を見て、陸はこれは鈴木が言い逃れできない状況だからそうしたのだと判断した。
「黙秘……ということは、鈴木くんは撫原と会っていた理由をこの場で言えない、そう認めていると思っていいですね?」
「黙秘します」
「裁判長、被告人は撫原と会っていた事情を説明できない状況下にある、と記載してください」
「異議あり!」
  異議を申し立てたのは空乃でも森下でもなかった。冬姫だ。
「飯島さん、なんでしょうか?」
  戸浪が傍聴席の一番前に座っていた冬姫に聞いた。
「鈴木は、私をかばっているんです」
「かばっていると言いますと?」
「証言台に私を立たせてください」
「弁護側、被告側、異存はありますか?」
  陸と海馬は顔を見合わせた。どちらにしろ黙秘されている以上らちがあかないのだ、ここは冬姫に証言台に立ってもらう必要があるだろう。
「認めます」
「こっちも認めるけんのー」
「では、飯島さん、証言台にあがってください」
  戸浪の指示で冬姫は証言台に座った。入れ替わる瞬間、鈴木が心配そうに冬姫を見たが、冬姫は「大丈夫よ」とつぶやいた。
「それで、飯島さん、さっきあなたは被告人が自分をかばっていると言ったわね?」
「はい」
  海馬は証言台に乗り出して、聞いた。
「何を隠していたか話してくれる?」
  冬姫は顔を少し伏せて、こう言った。
「揚足裁判での、安藤組事件について撫原さんに詳しい事情を聞かれていました」
「揚足裁判というと、ついこの前の生徒会裁判のことですね?」
「はい。そうです」
「どんな内容について聞かれていたんですか?」
「実父、安藤深冬の殺人罪について真相を探ろうという内容です。冤罪ならば、私が父に会うことができると……」
「撫原がそう言ったんですか?」
「はい」
「撫原はどうして飯島さんの昔の事件のことを知っているんですか?」
「それは……」
  言いよどむ冬姫のかわりに鈴木が立ち上がった。
「俺が話したからです。俺は十年前の事件について調べていました。冬姫が過失を認めるだけで冤罪の父が救われるんです、俺たちは別にもう守ってもらうばかりの子供じゃあない。冬姫と話し合って、コネクションの強い撫原に相談しました」
  森下はそこでがたんと立ち上がり、こう言った。
「このとおり、被告は話したくないようなプライバシーについていわれもない中傷を受けております」
  海馬が渋い顔をしてから「話を元に戻すわ」と言った。
「撫原とは生徒会について一切話していないの?」
「はい」
「ならば来年の予算案に外交費を含んだ理由は何故かしら?」
「それが東雲高校のためになると判断したからです」
「あなたのためでなく?」
「異議ありじゃ」
「異議を認めます。検事は憶測でものを言う態度を謹んでください」
  戸浪が海馬に注意をした。
「北斗くんが罪を犯したことを立証でけんならこの裁判の意味はないんじゃ。原告は憶測でものを言っとる」
「西園寺くん、君は予算案に不服だった。そしてそのときたまたま撫原くんと会う鈴木くんの写真を見た。他の時期ならば気にしなかったはずなのに勝手に結び付けただけじゃあないですか?」
  空乃と森下の言葉に西園寺が「そんなはずはない」と呟いた。陸もそう思う。今回は西園寺が正しいと。
「そもそも鈴木くんの証言があてになるのかがわからないわ。ポリグラフにかけてください」
「認めます。心理学研究部、ポリグラフの用意を」
  心理学研究部が大きな機材を運び込み、鈴木の腕にポリグラフの吸盤を装着した。
「では、始めます」
「あなたは撫原に会った」
「はい」
  嘘はついていないようだった。
「それは飯島さんの話をするためである」
「はい」
  針が嘘をついている値を出した。
「……。生徒会の話は一切していない」
「はい」
  またしても嘘の値を示している。
「生徒会の予算案は撫原と決めた」
「はい」
  今度は嘘をついていないようだった。
  ポリグラフがはずされ、海馬は確信を持ってこう言った。
「このとおり、鈴木くんの発言は偽証です」
  ざわざわとざわめく傍聴席を木槌で静めながら、戸浪は「被告側、何か異論は?」と聞いた。
  森下はため息をついてから、立ち上がる。
「はい、偽証でした」
「認めるんですか?」
「僕が鈴木くんに偽証をするようにお願いしたんです」
「裁判の席で偽証をさせるということはルール違反です。何か理由があるんですか?」
「あります、裁判長」
  森下は西園寺を見てこう言った。
「ところで西園寺くんはアイコラを作るのが得意なんですよ。あの写真、本物なんでしょうか。今のよくできた偽証のように、よくできた写真ということはありませんか?」
「巫山戯るな! あんなださい服着た馬鹿生徒会長が他にどこにいるっていうんだ」
  西園寺が怒り狂いながら立ち上がった。
「じゃああの写真が本物だという証拠を提出できますか?」
「できます。井上さんを召喚してください」
  陸が井上を召喚した。広報部の後ろのほうでネタ帳にメモをとっていた井上はいそいそと証言台にあがる。
「この写真をとったのは井上さんよね?」
「はい、そのとおりです」
「そもそもこの写真はどこで撮ったんですか?」
「新宿駅の近くです」
「この図を見てください」
  スクリーンに今度は神奈川の地図が映し出された。そこにおはじきをふたつ、陸が置いた。
「赤いおはじきが鈴木くんの自宅、青いおはじきが撫原くんの自宅です」
  その位置からかなり離れた新宿駅を指差して、陸は言った。
「なぜ、地元で会わないのか、人目を避けているように感じます」
「たしかにそのように感じますね。被告人はどうしてわざわざ新宿駅で会ったのですか?」
「……黙秘します」
  鈴木が渋面を浮かべてそう言った。
「質問を変えましょう。写真が本物なのも鈴木くんの発言が偽証なのも証明しましたが、本当は何を話し合っていたんですか?」
「それは……」
  鈴木が言いよどんだ瞬間、法廷のドアが乱暴に開けられた。
「その裁判、待ったー!」
元気よく突進してきたのは加藤だった。
「加藤!?」
「待たせたな、鈴木」
  加藤は制服を着ずに私服のままだった。傍聴席の間を縫って証言台までやってくると、井上をどかして勝手にそこに陣取るように座った。
「この事件、悪いのは全部撫原と俺だぜ」
「やめろよ、加藤」
「いいんだ、鈴木」
  加藤は鈴木を睨みつけると、ぴしゃりと言い切った。
「ケジメはつけさせてもらうぜ」
「…………」
  結局ここまでかばったのに。そんな表情を鈴木がした。加藤がにんまりと笑うと口を開いた。
「撫原はこの学校のマドンナ秋野千早と付き合っていた。秋野先輩のことが好きだったかどうかはともかくとして、先輩を利用するためだ。この撫原って男がひどい男で、先輩のことをボロ切れのように棄てようとしたから、怒り狂った俺が撫原をぼこった。これが揚足裁判の最中の出来事だ」
  加藤は放送部のカメラめがけてカメラ目線のまま続ける。
「それを四ヶ月も経った今になって傷害罪として持ち出した理由……それは鈴木に撫原が近づくためにだ。俺は自宅謹慎をしていたからまったく知らなかったけれども、森下先輩に聞いたぜ。俺を退学させたくなかったら特別予算を組むように無理強いされていたっていうんだからな!」
  加藤は証言台を拳で叩いてスタンディングオペレーションをしながら言った。
「こいつの足を引っ張るくらいなら、俺は学校をやめます。生徒会長には鈴木北斗こそがふさわしい」
  加藤は言いたいことだけ言うとひょい、と証言台から降りて、そのまま法廷をあとにした。鈴木は呆気にとられたまま、それを見ていた。
「今の証言……本当ですか? 鈴木くん」
  戸浪がそう聞いたのに対して、鈴木がこくりと頷いた。
  戸浪は木槌を振り下ろして言った。
「判決をくだしたいと思います。被告鈴木北斗、有罪。罰はとくにありませんが、被告は予算案について考え直すこと」
  生徒会汚職事件の裁判はそうやって幕を閉じた。