裏切裁判

03

 そうしてむかえた裁判当日。
  加藤は服とプリンセスの行方を追っていて、今はいない。こんな心労の多々っているときは、近くに気心の知れた人がほしいものだが、そんな時に限って冬姫はいない。
  そういえば冬姫はなぜかここ数日会っていなかった。自分が忙しくて会いに行っている暇がなかったというのもあるが、今日法廷のどこにもいないのは見渡してすぐに分かった。
  鈴木は急に心細くなって胃を押さえた。
「今日もなんかとんでもない事が起こりそうだ……うう、胃が……」
「裁判そのものがとんでもないんだから、ストレスで胃が痛むのも当然だけど。気をしっかりもって」
「んじゃ、んじゃ。シャキッとせんかい!」
  武装した検事二人にバシッと背中叩かれ、鈴木はよろめいた。よろめいたついでにふらふらと法廷の扉のほうに向かう。
「あの、ちょっと失礼します。胃が……」
  そう言って鈴木はトイレにとぼとぼと歩いていった。
  その丸くなった背中を見ながら陸が呟く。
「そうとう不安みたいね」
「男の人は緊張するとトイレにこもる傾向があるけど、大丈夫じゃろぉか?」
  空乃がそう言った瞬間、トイレのほうからもの凄い音がした。何事かと思って空乃と陸がそちらのほうに駆け寄る。
「な、なんの音? 鈴木君、どうかしたの!?」
  不自然に思って男子便の扉を叩くと、ぎぃ、と扉は軋んで中からすっきりした顔の鈴木が出てきた。
  今までの憂鬱そうな顔が吹き飛んで、なんとも爽快そうである。
「気合入れるために頭を軽くぶつけてきただけです」
「そうか、よかったの。気分はどうじゃい」
「そうですね、もう浮き足だったものがちゃんと地面についた感じです。俺、陸先輩や空乃先輩のこと信じてますから」
  そう言って鈴木は自分の席についた。陸と空乃は顔を一瞬だけ見合わせる。
「生まれかわったのかしら?」
「見てみぃあの座り方。さっきまで貧乏ゆすりしよったのに今じゃあ脚なんぞ組みよって。へたに緊張しとるよりもよっぽど助かるが」

◆◇◆◇
  西園寺も落ち着きが無かった。
  自分の爪をしきりにガリガリと擦り合わせながら法廷の外で森下に怒鳴る。
「あの偽者を訴えられないとはどういうことだ!?」
「だって、他校生だし。どこの高校なのかわからないし、連れて来ることもできない。だいたい証拠といったら、この鈴木そっくりの写真くらいだろう?」
  森下が渋い顔をして写真の中に写る須々木を見た。どう見たって鈴木北斗である。
「こんな写真出したところで、これが偽者だってことを証明するのだって一苦労だっての」
「最悪ね。大元の犯人わかっていればなんとかできたかもしれないけど……手がかりゼロ……とにかく守りを固めて、いざって時はてきとうに犯人でっち上げてしまいましょう」
「勝つためにはそれも必要だな」
  最初から犯人をどこかに捏造する気満々の弁護士ふたりに西園寺は言った。
「僕じゃなければ、誰が犯人でもかまわん! とにかくこの戦いには勝て! じゃなきゃ僕の生徒会生命がッ!」
「あんたの政治生命なんか元々低いけれど、これ以上下がらせちゃ今度こそ追い出されるでしょうね……」
「ま、やるだけやるか」
  森下の半ば投げやりな発言に西園寺はヒシヒシと不安を感じた。

 カンカン、と木槌の音が高らかに響き、部長こと裁判長が黒い服を着て椅子に着席したところで開廷である。
「これより生徒会長衣類窃盗事件の初公判をはじめます。松山、事件の説明を」
「は、はい。十月四日より鈴木北斗現生徒会長の衣類が紛失。同日リサイクル部のお下がりコーナーで販売されているのが見つかり、窃盗犯を捕まえるべくはり込んだところ、十月十一日17:15分、一年三組の教室にて西園寺勝を現行犯逮捕。一週間ほど前から西園寺が三組の出入りするのを目撃した者多数。以上です」
  今日はしゃっくりの持病も出ずにストレートに言えた松山が胸を撫でおろしながら着席した瞬間、ひっく、ひっくとしゃっくりをはじめた。すぐさま戸浪が付き添って、保健室へと連れていかれる。
「五十嵐、松山がいなくなったので引き続き証言のあらましを説明してください」
「へーい、目撃者の証言。早朝と放課後に西園寺が三組に出入りしているのを反対がわの校舎から目撃とのこと。ということで犯人は西園寺です。ほっぺたにお米粒をつけているのが証拠です」
「被告人はお米粒をとりましょう。五十嵐、意味わかんないこと言わないでください」
「西園寺、ほっぺた確認してんじゃあないわよ。五十嵐はいつも変なこと言うだけなんだから」
思わず頬を確認してしまった西園寺が海馬に言った。
「くそう、どうりでおかしいと思った。僕は朝はクロワッサンなんだ」
「どうでもいいわよ。昼食はどうしたの?」
「緊張して食えんかった」
  意外なところでナイーブさを発揮している西園寺に、海馬はため息をついた。そういえば西園寺がなぜ三組に出入りしていたかについて聞いてみたが、それについてはノーコメントだった。他に何を隠しているんだろう、そんな考えがよぎる。
「では冒頭弁論に入ります。原告側は起立してください」
  冒頭弁論の担当は空乃だった。高く結い上げた頭とけんか腰としか思えない眉の書き方の空乃はしゃべりはじめた。
「原告は容疑者西園寺勝を現行犯逮捕しとるんじゃけぇの。見てつかぁさい、鈴木君がかわいそうじゃゆぅて思わんのんか? よりによって男子生徒に自分の衣類を盗まれたなんて、ほいで売られとったんじゃのぉんて、かわいそうすぎてそれに対して弁護でけん!」
  ちらりと鈴木を見る。すまして自分の髪の毛をいじっていて哀れさが微塵も感じられない。
  陸が鈴木の手を押さえて
「鈴木君、ふっきれ過ぎだから!」
「ああすいません。どうでもよくなってきちゃって……」
  半ば自棄になっているのかもしれない。
  海馬が立ち上がった。
「弁護側は被告人西園寺勝が無罪であることを主張します!」
  ざわっ……と傍聴席がざわつく。広報部のカメラがかしゃかしゃと動く。海馬はこの騒然とした瞬間の空気が好きである。気分が盛り上がるからである。
「……以上です」
  がくんと場の気分が盛り下がった。西園寺が海馬に掴みかかる。
「あんなハキハキ無罪を主張しといて『以上です』とは何事だ!? 何言ってくれるのか期待しただろうが!」
「分かってないな。へたに何も言わず、一言……な?」
「そうよ。決して何も弁護する言葉が思いつかなかったとかそういうわけじゃあないのよ?」
  そのまんまである。
「なんだ、今回の裁判盛り上がんないな。期待はずれか……」
「記事の部分少なくしましょうか。『西園寺、有罪』だけにして」
  そんな広報部の会話が裁判部の耳に入った。まずい、このままでは自分の顔が載らない。およそ自己主張の強い連中ばかりの裁判部に戦慄が走った瞬間だった。海馬が立ち上がる。
「待った、弁護側思い付きました!」
「異議あり、検事側からも言わせてもらいましょうか!」
  陸もスタンディングアクションに出た。海馬はびしっと陸を指差した。
「こっちから先制攻撃よ。弁護側は目撃者の証言が本当に西園寺勝当人かその立証を原告に要求します!」
「ふん、そこらへんの調べはもう確実なのよ。その最悪のヘアスタイルは真似しようにも真似しようがないし、大体上から下まで真っ黒なのよ。白いといったら顔色の悪さぐらいじゃない!」
「陸さんの毒舌が出たぁー。今のテロップで入れようぜ」
  放送部が盛り上がるのに海馬が反論する。
「今のアタシが言った台詞じゃない。著作権侵害だわ! 森下証言してよ、アタシが吐いた名言だって!」
「だって黒だって認めたら負けじゃあないか。落ち着けよ、台詞くらいパクらせろよ」
  森下にたしなめられる向かいでは陸が台をダン、と叩いている。
「西園寺がなぜ教室に……そんなの簡単なこと、悩むことはないわ。鈴木君の服を盗み出していたんです!」
「鈴木君の服をブルセラに売ったなぁわれじゃろー西園寺!」
  検事側は直球勝負できた。空乃に名指しされて指差されて、西園寺が怯えている。
  あまりにもストレートすぎる攻撃に、森下と海馬の気分が萎えた。
「なぁ、もうちょっと段階を追いながら言えないわけ? これだから女ってやつは……」
「直接的すぎる表現は法廷で控えろ、ばーか、リーク、ばーか、そーらの」
  駄目だ、この三人。話が進まないと森下が立ち上がった。
「ではなぜ鈴木生徒会長の服を盗むなんて行動におよんだのかそこらへんの動機は何か説明していただけませんか?」
「そんな簡単なこと聞いてくるなんて森下あんたもネタがないんでしょう?」
「うるさいよ! うるさいよ陸。ばーかばーか」
  ついに自棄になりはじめた森下に西園寺が泣きはじめる。
「えーん、こいつら裁判投げやがった」
  鈴木は笑っているだけである。裁判長が木槌を鳴らした。
「被告人泣かない! 弁護側は自棄っぱちにならない。検事側、ブルセラではありません、お下がりコーナーです。続きをお願いします。えーと、五十嵐……どこまでいったっけ?」
「西園寺が犯人だとわかったあたりです。判決をどうぞ」
「五十嵐くん、嘘教えちゃあ駄目だよ」
  山住は思った。裁判部の人間の大半が投げている。西園寺が負けだと全員が思っているからだ。小さく裁判長に「西園寺の動機です」と教えてあげると裁判長は、
「西園寺の同衾(どうきん)です。検事側は西園寺の同衾について話してください」
  西園寺が大泣きした。鈴木が爆笑している。もう山住はつっこみきれない。陸はそこらへんさらりと流して
「動機ですか。動機なんて簡単です。西園寺は鈴木君に恨みがあった……もう十分な理由じゃあないですか」
「そりゃあやっぱり鈴木君に興味があったからじゃろう」
  空乃はそのままの意味で受け取った。海馬が立ち上がる。
「ちょっと空乃、根拠のないデタラメ吐くんじゃあないわよ!」
「うるさいわ海馬。疑われるは罰せられるんが常だとあんたが言っとったんじゃ」
「ぼかぁまともだ……ぼかぁまともなのに……」
  めそめそしている西園寺に森下がハンカチを乱暴に投げつけた。
「まともならばアイコラなんて作らなければいい。もう駄目だ、馬鹿ばかりで話が進まない。裁判長、あなたが投げた爆弾です」
「え? 私何か間違ったこと言ってましたか?」
  言い間違えにすら気づいていない。裁判部は皆徹夜明けだからである。徹夜二日目の放課後に入ってそろそろ皆脳内の物質が氾濫しはじめているのだ。
  裁判長が木槌を打ち鳴らし、
「とりあえずパフォーマンス重視はよしましょう。話を随分前に戻しましょう。西園寺はたしか現行犯逮捕でしたよね?」
「はい裁判長、そのとおりです。西園寺は鈴木君のロッカーを物色しているところを鈴木君と加藤君に発見されて現行犯逮捕されました。証拠物件Aとして、鈴木北斗の体操着を提出します」
  証拠物件として出されたのはきれいに折りたたまれてクリーニングの袋に入った体操着である。裁判長はそれを確認して一言、
「クリーニングに出してあるようですね」
  ここは反撃のチャンスだと海馬が立ち上がる。
「そのとおりです、裁判長。これはクリーニングに出してある……鈴木の体操着はご丁寧に畳まれてクリーニングに出してあるのよ。鈴木が出したのか……違うわ、これは西園寺が出したのよ。これはおかしい……ブルセラのウリは何かといえば使用済みであること。西園寺が本当にブルセラに売ろうとしていたのだったらばクリーニングは商品価値を下げるだけなのよ!」
「ブルセラではありません、お下がりコーナーです。お下がりはクリーニングして渡すのが常識です」
  裁判長が常識ぶって言う。海馬がごん、とコップを突き出した。
「いいえ裁判長、このお下がりコーナーはとんでもない奴らなのよ。証拠物件Bとしてこのコップを提出します。誰のか分かる? アタシのコップが売られていたのをさっきがた競り落としてきたのよ!」
「このコップは珈琲の残り汁がこびりついています。人に譲れるものじゃあありません。ついでだからこれも提出します」
  と、森下が木のアイス用のスプーンを提出した。裁判長が顔色を変える。
「そ、それは!?」
「裁判部部長、河野里枝使用済みのアイスのスプーンです。金なんて出したくなかったけれども五円だったので買ってきました。証拠物件Cです」
「ブルセラ部を今すぐ検挙しましょう! これはどう見ても犯罪です」
  このスプーンに関しては、森下のでっち上げだった。裁判長を味方につけるために部長の道具を探したのだが見つからず、仕方がないので部室にあったゴミ箱からかっぱらってきたのである。海馬がやっと調子づいてきたように言った。
「これでこのお下がりコーナーの品位の低さは証明できたわね。西園寺はクリーニングに出した、これは西園寺が無罪であることを証明しています!」
「さてそりゃぁどうじゃろう。じゃぁどうして西園寺は服を持っとったんか? 本人の口から聞きとうございますな」
「うぐっ……」
  海馬が言葉に詰まる。西園寺に視線が集中し、やっと涙の止まった西園寺が口を開く。
「実は……僕は鈴木の服がブルセラで売られるのを見て、とんでもないことなので取り戻して、クリーニングに出して、たたんでロッカーに返そうとしてたんだ」
  嘘ではなかった。ただ西園寺の口から聞くととんでもなく胡散臭く聞こえた。陸が聞き返す。
「売られるのを見た……? では、ブルセラで買ったってことですね?」
「かっ、買ってない! 取り返したんだ!」
『買った』と言ってしまうのはまずい。思わず否定する西園寺に空乃が追撃を喰らわす。
「しかも、クリーニングに出したんじゃろ? こりゃぁ怪しいわ。なんでわざわざクリーニングに出したんじゃろう?」
「西園寺君は綺麗好きなのです」
  海馬がフォローしてみたが、やはり胡散臭い。
  まさか臭いを嗅いで臭かったからなんて言えるわけもないが、空乃は森下と海馬の顔色を見てにやりと笑った。
「そりゃぁ違いますわ。髪の毛のネットリぐあいから見て西園寺が清潔系じゃないなぁ目に見えてますけぇの。つまりこうよ。こぉてきた服を性的行為で汚してしもぉた! じゃけぇクリーニングに出した! 違いますか?」
「殴るぞ! クソアマ! 西園寺侮辱罪だ! たたき出してくれ!」
  思わず西園寺が腹を立てて叫んだ。
  さすがにこの発言には他の三人も、傍聴席の人間もどう言おうか迷った。間違った方向で騒然となる法廷内で森下が「異議あり」と立ち上がった。
「性的処理の痕跡の残ったものを人に洗わせるなんて、そんな神経が図太いのは空乃くらいしかいません……と海馬が言いたいそうです」
「アタシかい!?」
「トイレに行ったあとに自分の尻を自分で拭かない人はいないように、クリーニングに出すのはおかしいです。このようにちゃんと畳んであるのは彼の純粋な厚意によるものです」
  純粋という言葉がこれだけ似合わない森下が言うのもなんだが、性格は悪くても人ウケのいい言葉を言うのは得意な森下はそのまま饒舌に語った。
「彼が鈴木に寄せる思いは空乃の言っているようなものではありません。鈴木のことをライバルと認めていて、対抗心で満ち溢れていますが、それと同時に尊敬もしているのです」
「異議あり。尊敬しとる相手のアイコラを作るなぁどがぁな神経か? 性的処理をしたもんを人に押し付ける空乃でもわからん」
  空乃のごもっともなつっこみには反論できなかった森下は話題を少しだけすりかえることにした。
「それに彼が男に欲情するわけがないんです。なぜなら、彼はホモアレルギーだからです」
「ほ、ほも……」
  皆が薄々避けてきた言葉を森下が使ったために思わず誰かの口からその単語が洩れた。裁判長が眉を顰める。
「ホモアレルギー? それはなんですか?」
「えーと……海馬、パス」
「それぐらい自分で言いなさいよね! 何お上品ぶってんのよ」
  森下が着席すると同時に海馬が立ち上がった。
「アタシもよくは知らないけれど、西園寺はあっち系の人に触るとじんましんができたりかぶれたりするそうなのよ。証拠に誰かあっち系の人に触ってもらいましょうか。えーと……わかりやすい加藤君がいないみたいなので、かわりに……裁判部を代表して山住で実験したいと思います。彼はアタシの目から見ればあっち系なので」
「言いがかりだ!」
  端っこでアシスタントをしていた山住が自分に話題を振られて驚愕した顔で言った。鈴木がまた笑っている。鈴木の笑いのストライクゾーンがおかしい。
  陸が山住をやぶ睨みして唸った。
「オカマの目から見てそうならばきっとそうなのね。異議なし、確かめてもらいましょう」
「では山住、お願いします」
「なんだ裁判長、そのホモ決定みたいな視線は! 自分ホモじゃないから触ってやりますよ!」
  山住は大股で西園寺に歩み寄ると、思い切り頬ををばしんと叩いてやった。
  それにカチンときた西園寺はあっち系かどうかではなく、パーセンテージで言ってやることにした。
「45%」
  周囲の視線が山住をおそった。
「うっそ!? 何かの間違いだー!」
  海馬がにやりと笑い、
「ごらんの通り、肌に反応が出ました」
「ちょちょちょちょちょっと海馬先輩待ってください。今のはきっと自分が強く叩きすぎたんで赤くなったんですよ。裕香ちゃんちょっとそんな目で俺を見ないでください!」
  書記の太田に顔を明らかに歪められて山住が慌てる。が、海馬はそのまま西園寺の弁護を続けた。
「西園寺がホモだとしたらこんな反応は出ません。よって彼はホモではないので、鈴木の服なんて興味はないのです。お分かり? 腐女子ども」
  満足げに着席する海馬に森下は言った。
「相変わらず汚い手を……山住かわいそうに」
「じゃああんたに触らせればよかったかしら?」
「山住でいいや」
  あっさりと答えを覆す森下。
  ノーマルの男でも30〜40%ぐらいでると昨日西園寺は説明してくれた。つまり山住はほぼノーマルなのだ。本当のホモとは60%からぐらいらしい。
「でも聞けないんだよな。自分たちが何パーセントかなんて」
「西園寺が普通にしているんだから普通なんでしょう」
  やれやれ、これで一安心だと海馬と森下が胸を撫で下ろしたところで西園寺が立ち上がった。
「はっ! ばーか、広島弁女。鈴木が嫌いな僕が鈴木に惚れるわけないだろうが」
「馬鹿はお前だ!」
「一言多いんだ、好きってことにしておけよ!」
  森下と海馬が悲鳴をあげる。陸がにやりと笑って立ち上がった。
「あーら、おかしいわね。さっき……尊敬しているとか恥かしげもなくほざいていた馬鹿がいますけれど」
  陸にちらりと見られて森下がひきつった笑いをした。せっかくフォローしたものが馬鹿ひとりのために壊された。
「やっぱり私が最初に言ったとおり、鈴木君に恨みがある線が強いわ! 恨みがあれば当然嫌がらせをしたくなるわよね、アイコラとか、売っちゃったり、買っちゃったり」
そう、西園寺が鈴木に恨みがある……これは揺るぎがたい事実である。そしてこの西園寺は嘘をつくわりにはすぐばらすという正直者の典型である。
  このまま陸が西園寺に尋問でも開始すればどんどんと怪しい発言が飛び出してくるはずだ。彼は限りなく黒に近い。
  森下が思わず渇笑した。
「あはは、身動きとれないや」
「森下、笑ってないで次の手考えなさいよ」
「駄目だ。どうせこのクライアントが自分で壊してくれるんだから……そうか、西園寺に今のところ話題が集中しているから墓穴を掘るんだ。他の方向にずらすというのはどうだろう」
「よし、その手で行きましょう森下。クソアマどもに一泡吹かせてやりたいわ」
でも本当に一泡吹かせてやりたいのはこの馬鹿な依頼人である。海馬は立ち上がった。
「みなさん考えても見てちょうだいよ。なぜよりによって男の子の鈴木の服がブルセラにでまわってるのか……普通はありえないわ。これは裏で仕組んでる人間がいます」
  堂々としていればいい、西園寺は無罪なのだ。真犯人がいる、それも事実だ。
  空乃が笑った。
「ほう、それならその真犯人とやらをたたきだしてもらいまひょか。西園寺以上にあやしい犯人がいるとするんじゃったらば」
「げぇ……こいつより怪しい犯人……」
  海馬が唸る。森下はとっさにでっち上げた犯人の名前を挙げた。
「一年三組の井上園子です。彼女ならば同じ教室だし盗むことは可能じゃあないですか? 裁判長、彼女を証言台へ召喚してください」
「……っは!? ……許可します」
  うとうとと眠りかけていた裁判長が森下の声に目を覚ました。口の涎を拭いながら指示する。
「放送部、一年生の井上さんを放送で呼び出してください」
「はぁ……井上さんですか? 井上さーん……」
「はぁい! なんでしょう? また証言していいんですか!? 任せてください」
  放送部のカメラマンの声に、井上が傍聴席の後方で起立する。森下が渋い顔をした。
「井上園子……いたんだ。やばいな、今までの裁判かなり腐っていたし」
「増長させられるわね。かわいそう、山住」
  自分でやっておいてかわいそうもクソもないわけだが。
  いそいそと証言台につく井上を見ながら森下は言った。
「とりあえず彼女だったら普段の恨みもこめてどれだけだって汚せるよな?」
「汚すもくそもなくあのアマは汚れているからね」
  どっちにしろ、海馬と森下にかかればどんな善人だって悪の親玉に捏造するなんてわけないわけだが。
  井上は落ち着いているというよりもむしろ楽しそうにしている。証言台に近づく海馬ににっこりと笑って、
「海馬先輩、それに西園寺君もおひさしぶりぃ〜。揚足裁判の時に鈴木受けについて語ったとき以来?」
「そんなの語った覚えはないわよ!」
  語ってはいない、一方的にしゃべられたのだ。いきなり井上のペースに巻き込まれながら、海馬が尋問を開始する。
「な……何しゃべらせようかしら……」
「鈴木君と西園寺君はぁ〜」
  何も聞いていないのに井上は一方的に話しはじめた。
「最初は西園寺君の一方的な片思いなんですよ。自分で触ることができないものだから、遠くから写真とか作ってアイコラとかつくりつつ、自分はホモじゃあないホモじゃあないと思いながらも鈴木君のアイコラで…」
「やややややや、もうそれ以上言わなくていいから!」
  海馬が慌ててさえぎる。鈴木がきょとんとした顔で、
「そうなのか? 西園寺」
「……んなわけあるか!」
「ほら今、沈黙が入ったよね!」
  嬉しそうに井上が言った。西園寺が井上を汚物を見るような目で見ながら、
「ちがいますぅ〜、鈴木がそんなこと聞いてくるなんて思わなかっただけだい。馬鹿にするな!」
「それに鈴木君にキスして押し倒した時だって……」
  もう既にそういうことに井上の頭の中ではなっているらしい。
「その時、加藤君も混ざっていたんだよね?」
「きさんの脳味噌はどれだけおどろおどろしいんじゃ!?」
「だって秋野先輩も見ていたって……」
「捏造よ! 私たちはそんなの見てないから。加藤だってちゃんと出てきたわよ」
  思わず陸が救いの手を出してしまった。が、井上の妄想は止まらない。
「加藤君は普段鈴木君と(放送禁止用語)……るからその場でやらなくてもいいもん。一回味わったものはなかなか忘れられなくて西園寺君は選挙後も鈴木君を呼び出して(放送禁止用語)とか(放送禁止用語)とかそのうち鈴木君も慣らされていって(放送禁止用語)……」
  だんだん皆が青ざめていく。ときめくどころかおぞましい。実在する人物をこれだけ歪んだ目で見ることができるのも彼女くらいだろう。彼女、いつも周りをそんな目で見ているんだ…と皆の中に刻まれる。
  根拠もない妄想の数々なのに、どうしてかこの井上が黒幕なんじゃあないかという疑念が皆の中に生まれた頃、海馬が疲れたように言った。
「……わかったわ、話題をかえましょう。時に井上さん、アナタ広報部だったわよね? 今日もその関係でここにきたのかしら?」
「はい、いつも担当してるのは違う人なんですけど〜今回は譲ってもらいました。締め切り近いし、ぜったい面白くなりそうだし!」
  その瞬間海馬は井上の中に潜む何かどす黒いものを感じ、突付いてみることにした。何かボロを出すかもしれない。
「つまり、アナタはネタに詰まってて、しかも暇だった! だから無理に事件を起こす必要があった! それで西園寺に疑いがかかるように仕組んだんじゃあないですか?」
「ひ、酷い。わたしそんなこと……面白そうでやっちゃいそうでぇす!」
  邪笑する井上に海馬が食い込む。
「つまりそれって犯行を認めているのかしら?」
「面白そうな話ですよね? 誰だって私を、犯人だと思うよね! でも〜、真っ先に疑われる人がやるわけ無いじゃん? それに〜本当に私だったらもっと……うふ」
  この女が何かを隠しているのは海馬には直感的にわかったが、証拠がない。しかし皆の心は今ひとつである。「この女は地獄に落ちるべきだ」やらなければ自分たちがやられる。
「疑われようがなんだろうが、アナタはやる女よ! 弁護側は井上を――」
「でも今回の裁判で結構ネタになりそうなことがたくさんあって園子感激! 今までなしだと思っていたけれども西園寺総受けとかありかもしれない」
  くらり、とそこにいた全員が眩暈を覚えた。海馬も言葉に詰まった。
  西園寺が黙って立ち上がると証言台に近づいていった。やばい、こいつ殴る気だと全員が思ったが、裁判長すら止めようとは思わなかった。
  だが西園寺は井上を素通りして、海馬をずるずると弁護側の席に引っ張って帰っただけだった。
「なによ!? いいところだったのに。アタシはあの女を告発してからしか下がらないわよ?」
「いいから黙れ。今言おうとした言葉を取り消せ!」
西園寺の目が据わっている。ちょっと言い返すのは恐かったが海馬は反論した。
「だってあの子、絶対なにか一枚噛んでるわよ! いいわけ? 自分が犯人になるわよ!?」
「だが、だが……さっきの言っていた言葉がきさんには聞こえなかったのか!? 西園寺総受けだぞ!? やつは絶対ネタで書く気だ! 鈴木みたいにつるし上げる気だ!」
「ただの戯言よ! 書かれたって誰も信じはしないわ! 大丈夫、アタシたちが二度とそんなこと表でできないように――」
  森下が憂鬱そうに海馬の肩に手をかけた。
「やっぱり彼女を犯人にはできない。取り下げよう」
「あんたまで何を言い出すのよ、チキンが!」
「お前こそ何を考えてる? 西園寺総受けだぞ? 誰が攻めになる?」
もう言葉を選んでいる余裕が森下になかった。海馬が何事かと思いながら即答で
「鈴木とかそこらへんでしょう?」
「あまいな。井上を訴えようとしている弁護士は誰と誰だ? ここ数日西園寺の近くにいたのは誰だ? 鈴木じゃない、僕たちだ」
「どうかしましたか?」
  にっこりと笑いかけてくる井上。
「疑われようがなんだろうが! アナタはやる女よ!」海馬の言葉が三人の頭の中にもう一度響いた。
  暫く沈黙していたが、森下は立ち上がって渋々言った。
「弁護側は井上園子が犯人でないことを認めます。彼女は真っ先に疑われる人物です、馬鹿なまねはしないでしょう」
  これでまた犯人が消えたのだった。
  井上が退席してから気まずい空気の中ですっかり夢見の悪そうな裁判長が仕切り直した。
「……で。誰が犯人なんですか?」
「井上が違うなら、やはり西園寺ではないかの? どうじゃ、鈴木君?」
「ぇえ? うん、西園寺じゃないんですか?」
「お前らなにそんなに投げやりになっているんだ!?」
  これだけ黒っぽい女がグレーで無罪になったあとには誰だって投げやりになる。
  それにしても、さっきから何か不自然な物を感じている西園寺だった。
  今日に限って鈴木のツッコミがない。流れに任せて、高見から見学しているように見えた。まるで自分とは無関係のように。
  西園寺は「もっと怒り狂ったらどうなんだ、鈴木」と睨み付けてやったが、なぜか意味ありげな微笑みが返ってきただけだった。
  と、その時……廊下側から走ってくる音が聞こえたと思うと、派手に法廷の扉が開いた。
「この裁判待ったー!」
  必要以上に派手な演出の加藤と、いままで姿を見せてなかった冬姫がそこにいた。
  ずかずかと傍聴席を掻き分けて、加藤が冬姫の手を引っ張って裁判長の前までやってきた。
「姫を証言台にたたせたいんだけど、許可を」
  加藤はなにか自信ありげに笑っている。何か重要なヒントを手に入れたのだろうか。
  空乃と陸は顔を見合わせる。
「でかしたわい、加藤君!」
「わかったわ。飯島さんを証言台に召喚したいと思います」
「まかせておけって。なぁ姫? 皆がぶっ飛ぶような真相をくらわしてやれ」
  だが、冬姫は乗り気ではなかった、鈴木の顔をちらりと見ると俯いたまま証言台に歩いていった。