変なタクシーの運転手

 刑務所を出たあと、シャリーフは「どっちに逃げる?」と聞いた。
「俺は北へ逃げたい」
  とジェルヴェが言った。フェリクスはにこにこしながら
「俺はカモミールを見に行く」
  と言った。シャリーフはこの二人と別行動をとったほうが賢明だと考えたのだろう。
「ここで別行動をとろう」
  と言い出した。
  たしかにまとまって行動するよりリスクが小さい。その上、この寒い時期に北に逃げるなんて言う素人脱獄囚と、のんきにカモミールの花のことを考えている無差別殺人犯といっしょに行動するのは避けたいのだろう。ギーにはよくわかる。
「じゃ、俺は右に行くからあんた左ね」
  フェリクスがあっさりと応じる。二方向に伸びた道の真ん中でジェルヴェが「お、俺は!?」と聞く。
「突っ立っていたら捕まるだろうね」
  フェリクスはそう言いながら右の道をギーを押して歩き出す。シャリーフは反対の道を歩き出す。ジェルヴェは交互にふたつの道を見たあと、自分を弾除けにしそうなシャリーフと一緒に行くのはやめにして、フェリクスのあとを追いかけた。
  フェリクスは道路の端に止まっていたタクシーに近づくと勝手に扉を開けて後部座席にギーを押し込みながら乗った。隣からジェルヴェもフェリクスを押し込んで座る。
「勤務時間外だ」
  サンドイッチに噛み付いたまま運転手のアラブ人が迷惑そうに言った。
  フェリクスは銃をそちらに構えて「車を出せ」と言った。アラブ人は銃を見て少しだけ目を細めると、サンドイッチを口から離して膝の上に置いた。
  そうしてその近くにあったらしい、彼の銃をフェリクスに向けて「出て行け」と言った。
  銃と銃が至近距離で向き合っている。どっちか一方が死ぬかもしれないとギーは思った。
しかしフェリクスは危険を犯すことなく、あっさりと銃を下ろし「金はある。車を出してくれ」と低姿勢で言った。
  運転手は銃を構えたまま
「いくらある?」
  と聞いてきた。
「せんせー、いくらあるの?」
  フェリクスはもちろん金の持ち合わせがない。最初からギーの財布を頼りにしていたようだ。ギーは財布を取り出して、フェリクスに渡す。
  フェリクスはその財布の中身を確認し、それを窓の外に放り投げた。
「ああ!」
「レシートしか入ってなかったからレシート捨てておいたよ、先生」
「財布ごとじゃあないですか。パン屋さんのシールが貯ってたんですよ!? 三ユーロ割引になるはずだったのに」
「やる気あんのか、脱獄囚ども」
  レシートしか入っていない財布を持ち歩くギーと無一文のフェリクスたちのやりとりを見て運転手は低く呻く。
「金がないなら出て行け」
  運転手がもう一度言った。フェリクスは銃をギーの頭に突きつけるとこう言った。
「この車でこの男を殺すぞ。そしたらこの車で仕事ができなくなるな」
  銃口を向けられたまま沈黙していると、運転手は銃を下ろして車を発進させた。
「どちらまで?」
「とりあえず北に検問を迂廻しながら走ってくれ」
「面倒だな」
「大丈夫。俺たち脱獄ほやほやだから、検問なんてほとんどないと思う」
  フェリクスが幼い口調で運転手に指示をした。北に向かって走りはじめる車の中で、ギーはフェリクスに聞く。
「カモミールを見に行くんじゃあないんですか? 南のはずです」
「かく乱目的だよ。最初からそっちに向かっちゃ捕まりに行くようなものだ。まだ寒いし、きっと南に逃げるってみんな考える。裏をかくんだよ」
  長い旅になりそうだと思った。
  パリの郊外に出たあたりで、ジェルヴェが口を挟む。
「シャンティーの森を通るなら、そこで俺を下ろしてくれないか?」
「おい、シャンティーの森なんて今の時期寒いだけだろ。そんなところに何の用だよ?」
「家族がいるんだ。会いに行きたい」
  ジェルヴェが真面目にそう言った。フェリクスはへらへら笑うと銃をジェルヴェに向ける。
「シャンティーの森で下ろしてほしいなら下ろしてやるよ。だけど嘘をつかれるのは嫌なんだ、本当のことを言え。じゃないと殺す。チャンスは一回きりだ」
  ジェルヴェが息を呑むのがわかった。彼は気弱な声で「わかったよ」と言った。
「俺がひき逃げをした日の話だ。俺の車には脱税で貯った金が積んであった。それを土の中に埋めておいて、あとで自分が見つけた形で申告すれば綺麗な金になると思った。誰にも気づかれないようにライトを消して走ってたのが間違いだったんだよ、人を轢いた。俺はいったん逃げて、金を埋めてから出頭したんだ」
  なるほど。シャンティーの森に金があるということか。フェリクスは納得したように銃を下ろす。
  すると運転席のほうから声が飛んできた。
「その金、どれだけあるんだ?」
「さあ。けっこうな額だったと思う」
「その埋めてある場所まで連れていってもらおうか。金は全部俺がいただく」
「えっ……?」
  ジェルヴェがぎょっとしたように言った。フェリクスに取られることは考えていたが、運転手に取られることは考えていなかったようだ。
「シャンティーの森までの運賃だよ、運賃」
「無茶苦茶だ!」
「ちゃんと反論すればー? あんた気が弱すぎ」
  金にはあまり興味がなさそうなフェリクスがジェルヴェの気の弱さに呆れて呟く。
  よくこれでひき逃げする度胸があったものだ、とギーも思った。もしかしたら怖くなって逃げたのかもしれない。逃げの人生、常に負けの人生、自分に近いものを感じる。
「行き先はシャンティーの森、金の近く」
  運転手がそう言った。
「ちゃんと北に走ってくれるならば寄り道くらいはいいけど」
  とフェリクスは放置気味だ。どうせ欲に目のくらんだ運転手に言うことを聞かせるのは難しいと判断したのだろう。目的を先に解決してしまったほうが早い。
  車はボードレール家のある方向、シャンティーへと向かった。