捜査・取引

「さて、協力しあうと言っても、これからどうします?」
  レインマンはアランの出方をうかがう。まだ昼間と言っていい時間。脱獄囚の足跡が残るまでにもうちょっと時間がかかるだろう。手がかりはゼロだ。
「犯人の中にたしか、アラブ系がいた」
「シャリーフ=アル=クトゥブのことですか?」
「たぶんそいつのことだな。パリでアラブ人が一番目立たないのはこのベルヴィルだ。きっとここに最初逃げてくる」
「なるほど。それでここで物色していたわけですね」
  レインマンは周囲を見渡す。怪しい心の声は聞こえないか耳を澄ました。しかしこれだけ人が多いと声がうるさすぎて、誰の声が誰のものだかわからない。
  アランとしばらく棒立ちしていたが、午後の三時を回ったあたりで彼は移動し始めた。どんどんと治安の悪そうなほうへと歩いていく。レインマンはこの男からはぐれたら、自分も危ないかもしれないと考えた。
「ここらへんで犯罪者も泊めるような宿はどこがある?」
  床にしゃがんで物乞いをしている浮浪者にアランが聞いた。浮浪者は「あっちにあるよ」と指差した。
「レインマン、謝礼だ」
「あなたは持ち合わせがないんですか」
  財布から紙幣を取り出して浮浪者に渡しながらアランのあとをさらについていく。昼間だというのに裏路地の影にあったその宿は、うらぶれた外見な上に看板すらついていない。本当に宿屋なのかも怪しい。
  アランは構わず中に入る。宿屋の受付をしていた中年の女は、安そうな口紅のぬられた唇から煙草を離す。
「いらっしゃい。おふたりなら……」
「泊まるわけじゃあない。ここにアラブ人は泊まっているか?」
「さあ」
  女主人は肩を竦める。アランがレインマンを振り返る。さあ、金を出せといわんばかりの表情で。
自分の協力って金だけではないだろうな? と疑いたくなるような気持ちで財布から紙幣を数枚取り出した。
「二号室にひとり泊まってるよ」
  金を渡すと女主人はあっさりと教えてくれた。アランはお礼も言わずに奥の廊下へと歩いていく。レインマンもその後を追う。
  アランは扉の前で立ち止まると、大きな足をすっ、と動かした。
  一歩遅れて、ばしーん、と扉を蹴破る。
  中にいた男がびっくりしたような顔でこちらを見た。アランはずかずかと中に入って行くとその男の胸倉を掴む。
「誰だ、てめえら!」
「お前の名前はシャリーフか?」
「ちげぇよ!」
  男は大声で否定した。後ろからレインマンが入ってくる。
「シャリーフであっていますよ。強盗殺人犯、窃盗罪の余罪数多。もっとも強盗殺人というのも、空き巣に入ったところの家主を結果的に殺してしまったというものですが」
  シャリーフが顔色を変えた。
「殺す気はなかったって言葉を警察ですら信じてくれなかったのに、何故お前が知っている? ですか」
「何者だ? お前ら」
「何者なんでしょうね。変態と化け物ですよ」
  レインマンが涼しい顔をして言う。アランが隣から低い声で
「どっちが変態でどっちが化け物だ? ただの画家と占い師だろう」
  と言った。お互い、ただの占い師でもただの画家でもないくせに。
「お前たちと一緒に連れて行かれたカウンセラーは今どこにいる?」
  アランはシャリーフに聞いた。彼はかぶりを振った。
「知らない。変な殺人鬼と同じほうの道を歩いていった」
「無事なのか?」
「もう殺されているかもな。お前らはワロキエ先生の友達か?」
  そう聞かれてアランは口を歪めると、「友達?」と聞き返した。おかしかったようでくつくつと笑い出す。
「な、なんだよ」
「彼はギーくんのおめめを狙うただの変態殺人鬼ですよ。友達ではありません」
  隣からレインマンが説明を付け加える。シャリーフが複雑そうな顔をした。
「でも、僕も彼も、それぞれどんな理由であれ彼を助けたいと思っているんです。手がかりになりそうな情報はありませんか?」
「知っていたとして、教えると思うのか?」
  シャリーフがそう言うとひとしきり笑い終わったアランが「もういい」と言った。
「こいつは殺そう。どうせレインマンの能力を使えば死体からでも記憶は割り出せる。生意気な口を利かないだけ静かに捜査ができるさ」
「あなたねえ……」
  死体の記憶を読み取るなんて不気味なことをさせるつもりか、とレインマンは眉をひそめる。その前に目の前でひとり殺すつもりだろうか。後味の悪い。
「彼はおそらく本気ですよ」
「お前ら人間なのか!?」
「だから言ったでしょう。変態と化け物だって」
「画家と占い師だ」
  あくまでそれを強調するアランだった。シャリーフは必死に何かを思い出そうとしている。レインマンは彼の情報をその端から読んでいった。
「思考の声がうるさすぎてよく記憶が読み取れません」
「やっぱり殺して静かにさせたほうがいいか?」
「思い出す! 何か思い出すから」
  必死なシャリーフとアランの間に入り、レインマンは言った。
「あなたは家族がいますね。家計を支えるために窃盗をし、捕まっては投獄され、戻ってきてはまた窃盗をしながら支えてきた」
  レインマンは一呼吸置く。
「家族がどうしているか教えてあげますよ。何か彼らの持ち物ありませんか?」
  一瞬何を言われているかわからなかったが、シャリーフは慌てて首に下げていたロゼッタを外した。それの上から手を乗せて、レインマンは言う。
「残念ながら、ちょっと元気とは言いがたいですね。子供たちは学校に行けていないし、母親が賄をして育てている現状です。それにもうすぐ強制退去させられるみたいです」
「なんだって!?」
「周囲の目が冷たくなってきたみたいです。引っ越すお金もないし、入国手続きも正式なものではないのでしょう?」
  レインマンは彼に取引をしないかと持ちかけた。
「僕の父親は、今は亡くなってますが、政界にもコネのある大物だったんです。家族を助けてあげられるかもしれません」
「本当か?」
「親の七光りだな」
  アランの嫌味は絶対言われると思っていた。
「七光りでもなんでも、奪うより与えられるほうがいいに決まってるじゃあないですか。シャリーフが協力してくれると約束するならば、僕はなるべく努力します」
  シャリーフは即、「協力する」と言ってきた。
  アランはレインマンを見て
「殺すほうが楽だろうに」
  と言った。まあたしかにそっちのほうが物理的な労力も、精神的な労力も小さいのだろうとは思う。脱獄した凶悪犯だ、罪に問われることもない。
「人へのアプローチの仕方が、あなたと違うだけです」
  別にアランが間違っているとも、自分が正しいとも思わない。これが自分の性格なのだから。