不条理な殺人

 運転手はジェルヴェといっしょに金を掘りに行ってしまった。
  人気のない森の脇に止まった車の中で、ギーはフェリクスのほうを見る。
「あなたはお金に興味がなさそうですね」
「あるに越したことはないけどね」
「けっこうな額みたいですよ? 脱獄したあと、先立つものが必要になるんじゃあないでしょうか」
「俺、カモミールを見に行くだけだし」
  まだ言っている。案外カモミールを見たあとはギーを解放して刑務所に戻ってくれるのかもしれない。逆に用なしとばかりに殺される可能性も視野に入れていたが。
「カモミールを見たあとはどうするんですか?」
「その先なんてないよ。そこでおしまい」
  本当に彼が刑務所に戻ってくれるのならば助かるのだけれども。
  ほどなくして、運転手が帰ってきた。しかしジェルヴェは一緒ではない。
「あれ、気弱なおじさんは?」
「置いてきた」
「よく金を諦めたね、あのおじさん」
「俺が銃を持っていて、あいつが丸腰なの忘れたか?」
  運転手が手のひらの銃を見せて、助手席に金の入った袋を置くと、運転席にまわって座り直した。
フェリクスは首をかしげる。
「あ、おじさんは諦めたんじゃあなくて、殺されたとか?」
「殺してない。ただ置いてきただけだ」
  運転手は口の中に眠気を飛ばすためのガムを放り込む。
「お兄さん、名前なんていうの?」
「リヤード=アリ=ウルワ」
「じゃあリヤードって呼ぶよ。運転手って呼ぶの失礼だし」
  フェリクスがそう言うと、リヤードはまったく興味がないようにガムをくちゃくちゃ噛みつつ、車を発進させる。
「そろそろこの車を替えたほうがいいかもな。足がつきそうだ」
「じゃあどこかで盗もうよ」
「盗難車は持ち主が届け出ると足がつきやすい。中古をどこかで買うことにする」
  リヤードはえらく犯罪の道に詳しいタクシー運転手である。もしかして犯罪者だったりしたことがあるのではないだろうか。
  こんなところに中古の自動車屋などあるのか? と思ったが、リヤードはあっさりと見つけて無難な車を買うと、荷物を乗せかえて、さらに北へと車を走らせた。
  やがて周囲が暗くなってくる。そろそろ日が落ちる時間だ。暖房が入っていない車の中が少しだけ肌寒くなってきた。
「そろそろ泊まる場所探さなきゃ。リヤード、てきとーに民家ない?」
「ここらへんは何もないなあ」
  リヤードが呟く。あったとしても親切に泊めてくれるとは思えなかった。
  やがてひとつの小さな家を見つけて、リヤードは車をサイドに止めた。
「さて、見つかったはいいが……どうやって泊めてもらうんだ?」
  リヤードも同じことを思っていたらしい。
  フェリクスはきょとん、とした顔でこう言った。
「そんなの、殺してしまえば関係ないでしょ。ベッドが汚れていなければ特に問題はない」
「ちょっ……」
  ギーが止めようか止めまいか躊躇していると、リヤードは
「お好きにどうぞ」
  と手をひらひらとさせた。
  今度はフェリクスが車から降りて、ギーとリヤードが残された。
「何故、あなたはフェリクスに協力するんですか?」
  リヤードはちらりとギーを見て、言った。
「金が必要なんだよ、ジリ貧な生活から抜け出すためには。善悪なんて二の次だ」
  昼間食べ損ねたサンドイッチに噛み付きながらリヤードは続ける。
「金がないということは、身分が違うということは、それだけで劣等感を感じるんだ。金は欲しいが、金持ちにはなりたくない。俺たちを見下してきた連中といっしょになりたくはない」
「あなたの知り合いに嫌な金持ちがいるんですか?」
「いるいる。俺の恋人がそんなところだ。高学歴で使用人がいるような家に住んでいて、コネも金もある。あいつの金持ち特有の無神経さが大嫌いだ」
「別れればいいじゃあないですか」
「俺の金づるだから」
  根こそぎ絞り取るぜ、とリヤードは邪悪に笑う。ギーは困ったようにため息をついた。
  本当に善良な市民はごく一部だ。
「お待たせ」
  フェリクスが玄関を開けて、ふたりを手招きした。リヤードが車を降りたのでギーも仕方なくついていく。
  てっきり中には酷い光景が広がっていると思いきや、にこにこと笑っている老婆が椅子を揺らしていた。
「ボケてた。俺のことを息子だと勘違いしているんだ」
  フェリクスはそう説明すると、老婆に向かって「おかあさーん、俺お腹すいた」と言った。
「鍋の中にポトフがあるわよ」
「ソーセージ入ってる?」
「かわりにロールキャベツが入ってるわよ」
  本当にボケているようだった。具の中身は覚えているようだが、フェリクスのことを息子と思って疑っていない。
  リヤードとフェリクスは勝手に食事をすると二階にあがっていった。ギーもちょっと遅れて食事をする。
  老婆はひざ掛けをして椅子を揺らしながら、編み物をするわけでもなくただぼんやりとしている。
  周囲は何もない。逃げたとしても風邪をこじらせるか、凍死するのが関の山だろう。誰も助けてはくれない。
  きっと、自分だけではなく、この老婆もここで孤独な毎日を送っていたのだと思った。
  菜園の野菜だけでつくられたシンプルな食事をとったあと、フェリクスが上にいることを確認して、ギーは静かに携帯を手にとった。
  ここからメールだけでも送っておけば、レインマンが警察に情報を届けてくれるはずだ。
  GPSで現在の居場所を割り出す。アンテナのない地域だから電波状況が悪すぎる。苛々しながら待っていると、老婆が近づいてきた。
「あなたはセザールのお友達?」
  セザール、それがきっと息子の名前なのだ。
「マダム、彼はセザールではありません。凶悪犯です」
「きょうあくはん?」
  老婆は可愛い目をぱちくりとさせ、にっこりと笑った。
「さては、あの子に何か悪戯をされたのね?」
  話にならない。この様子ではフェリクスが二十代の男に見えているかも怪しかった。
  ギーは携帯を見下ろす。エラーと表示されている。もう一度やり直した。
  そうしているうちに、ギーが寝室に来ないことを気にしたリヤードが下りてきた。
「ギー、明日は早いから寝ろよ」
  すぐ携帯を隠したが、リヤードはそれに気づいたようだった。近づいてきてギーの携帯を取り上げる。
「あんた、俺が金を隠さないうちにあの囚人の情報を流すのは許さないよ」
「そんなこと言ってる場合ですか? 彼を捕まえた賞金が出ますよ。それでいいじゃあないですか」
  声をひそめて話し合う。
「あの袋の中身見たか? 家が買えるくらい金があるんだぞ。それを手に入れたあと、あいつを通報すればいい」
「そうして賞金も手に入れる、ですか?」
「そうだよ」
  にやりとリヤードは笑う。金持ちは嫌いと言っているくせに、十分強欲だ。
「ともかく今はやめておけ」
「あなたはあの凶悪犯がどれだけ凶暴かわかってないんです」
「可愛いじゃん。口調幼くて、けっこういい顔してるし」
「何言ってるんですか。あなた正気ですか? 凶悪犯なんですよ、無差別殺人ですよ。無期懲役なんですよ?」
「俺には関係ない。お前がどうしても通報するって言うなら、この携帯は没収する」
  リヤードとそうやりとりをしていると、ぬっと影が伸びてきた。
「なーに、話してるのかな?」
  フェリクスが顔を突っ込んでくる。リヤードとギーを交互に見て、にっこりと笑う。
「俺を通報する話?」
  ギーは息を呑んだ。フェリクスが片手に持っていた銃の安全装置を外す音がした。
  殺されると思った。しかし殺されたのはギーではなかった。
  フェリクスは銃を老婆に向けると、発砲した。確実に死ぬように数発。
  呆気にとられているギーに向かって寂しそうに笑う。
「次に裏切ったら、こうだよ? 先生」
  何から言えばいいのかわからず、頭の中がぐるぐるした。何故自分でなく老婆を殺すのだ? あの人はフェリクスのことを息子だと勘違いして自分たちをもてなしてくれたではないか。
「なんでばあさん殺したの?」
  ギーのかわりにそう聞いたのはリヤードだった。
「ポトフ美味かったし、いいばあさんだったのに」
  リヤードも納得していない様子だった。
  フェリクスはへらへらと笑って
「何言ってるの? 老い先短い人間から死んでいくのは摂理でしょ?」
  と言った。不条理すぎて納得がいかなかった。