06/18

 ギーは引越しに向けて荷造りをした。もともと荷物はあまりなかったのであっさりまとまったが、荷物の整理よりも心の整理のほうが難しい。
「ギー」
  荷造りの途中、一休みしているとマリー・ルイーズが部屋に入ってきた。
「行かないで、って言っても……引っ越しちゃう?」
「まあ、決めたことなので」
  曖昧に頬笑むと、彼女は顔を曇らせて、言った。
「兄さんのことを気にしているなら、いいのよ。あの人あなたに甘えているのであって、腹を立てているわけではないわ」
「それはどうでしょうね。僕は昨日こそエミールを怒らせてしまった気がします」
「どうして?」
「僕が彼に引っ越す理由を話さなかったからです。彼が思考を読み取れるというのを見越して、言いにくいことを言わなかった」
  マリー・ルイーズは口をきゅっと結んで、悲しそうな顔をした。
「それでも、ここにいてもらっちゃだめ? 兄さんなら私が説得するから」
「どうしたんですか? マリー・ルイーズ」
  あまりにも彼女が必死なために、どうしたのか気になった。
「あなたが、死ぬ夢を見たの」
  マリー・ルイーズは予知夢の能力がある。そうでなくても、引っ越す相手がその先死ぬ夢を見たらいい気はしないだろう。
「どんな夢だったんですか?」
「わからない。私はあなたのお葬式に参列していて、あなたの顔はあなたとはわからないくらいぐしゃぐしゃだった」
  あまり綺麗な死に方をしないらしい、ということだけはわかった。
「お願い、ここにいて。とても不安なの」
  マリー・ルイーズに縋るように抱きつかれて、そう言われた。
「マリー・ルイーズ」
  そっと彼女の肩に手を置いてどうするべきか迷っていると、扉の向こうからレインマンがちらりとその様子を見てそのまま無視して消えていくのが見えた。彼はどうやら許してくれる気がないらしい。
「別に死ぬと決まったわけじゃあないし、引越し先はパリですから、すぐに会えますよ?」
  やんわりと肩を押して、そう説得してみた。マリー・ルイーズは何か言いたそうな顔をしたが、とりあえず「我侭言ってごめんなさいね」と最後は笑った。
「変な夢を見てナーバスなだけね。ギーが死ぬわけないじゃない」
  自分に言い聞かせるようにそう言って、いっしょに荷造りを手伝ってくれた。

 フランチェスカの家は古い石造りの家屋だった。
「築百年ってところかしらね……」
  彼女はそう言った。老朽化が激しいために安かったらしい。しかし柱のつくりはしっかりしているため、崩れ落ちてくる心配はなさそうだった。
  荷物を片付け終わる頃にフランチェスカがナスとズッキーニのラタトゥユをつくってくれたので、夕飯の時間になった。
「フランチェスカは料理の腕をあげましたね」
「何言ってるのよ。これでもショコラのお家で働いていたのよ? お料理が得意でないとでも思った?」
  フランチェスカが笑いながらワインを飲む。ボードレール家のハウスワインと違い、正真正銘の安いワインだが、それを彼女はとても美味しそうに飲んだ。
  なんだか懐かしい気がした。家族と食事をするときは、こんな風に楽しく食卓を囲んでいたと思う。
「どうしたの? まじまじとこっち見ちゃって」
  どうやら知らないうちにフランチェスカを見つめていたらしい。ギーは笑って、
「フランチェスカといっしょに食事ができて嬉しいな、と思って」
  と言った。
「私もギーと食事ができて嬉しいよ」
  チェスターと食事をするのとも、ボードレール兄妹と食事をするのとも違う、とても懐かしい気持ちだった。