海賊ヴァッフェンロース号

おかしな二人組み

 航海に出て一週間が経った。
 海は雨で荒れに荒れて、二人だけの海賊船は右も左もわからぬ迷走を続けた。
「おい、リタ。これ航路から随分ずれているんじゃあないか?」
「ずれてるも何も、こう太陽も星も昇らなきゃどっちの方角だか検討つかないに決まってるだろ!」
「頼むぜ、おい。帆も張れない状態じゃ流されるだけじゃねぇか。お前のおまじないの効果はないのか?」
「こんなの迷信さ」
  海に愛されるように刻まれた刺青をそっと撫でてマルガリーテスは苦々しくうめく。
  祖父の刻んでくれたものがまったく役に立たないのは処女航海に出て嫌というほど思い知らされた。
  食料もこの雨の中では魚をとるどころではなく、減っていく一方だ。早いところ軌道修正をして次の島につかなくてはダンテと仲良くミイラである。
「このボロ船、幽霊船になっちまうんじゃあないかね?」
「財宝のない幽霊船なんてロマンのねぇ。怖いだけじゃねぇか!」
  ダンテがぶるっと震えたと同時に船に震動が伝わった。何かにぶつかったようだ。
「また座礁か?」
「まさか。ここは海のど真ん中だよ」
  鉄砲玉のように外へ飛び出していくマルガリーテスのあとをダンテが追いかけた。
「来るんじゃないよ! ダンテ」
  その言葉がもはや最後の言葉になるとは思わなかった。
  刹那――
  耳をつんざくような高音の悲鳴が聞こえたかと思うと、ダンテの足元にごろごろと女の首が転がってきた。
  一瞬それがマルガリーテスの首に見えて、ぞっとしたが、すぐに違う者のだとわかった。
  じゃあいったい誰のだろう。そう思って甲板を見ると、そこには大きな鳥の死体が転がっている。
「セイレーンか。こいつが雨を呼んでいたのか……」
  絶叫したまま絶命したセイレーンの死体は、自分に何が起こったかわかっていないようだった。そして、それは甲板に呆然と立ち尽くすマルガリーテスにも言えることだった。
「リタ、どうした?」
「…………」
  やられた。
  マルガリーテスの口がそう動いたが、声が出ない。ぱくぱくと口が動くだけだった。
  ダンテも様子がおかしいのにすぐ気付いた。
「声が、でねぇのか? おい、いつものしゃがれた声はどうした?」
  ボカ、とダンテを殴る凶暴な手はいつもどおりだった。
  しかし災難というものは立て続けに襲ってくるもので、今度はヴァッフェンロース号の後ろに何かがぶつかる音がした。
「ちっ、今度は船底か」
  ダンテが毒づいてサーベルを抜くと甲板の裏手のほうへと回った。
「ねぇ、これってやっぱり海賊船かしら?」
「ついてねー。立て続けについてねー」
「でも助けてくれるかもよ?」
「そのあとは奴隷船行きってか?」
  交互に若い女の声と男の声がした。
  声の様子から戦い合う空気ではなさそうなので、サーベルをおろして船の後ろを見下ろす。
  そこにはイカダに乗ってオールを持った女と、フライパンを持った銀髪の男がいた。なんだろう、この状況とミスマッチな組み合わせ。
  男のほうが大声でダンテに呼びかけた。
「あのー、海賊の方ですか?」
「あのー、遭難の方ですか?」
  遭難しているのはどっちもいっしょだったが。
  おおかた向こうはどこかの海賊に襲われて身包みはがされたあげく、気まぐれによって殺されずに放り出された行商かなんかだろうと思った。
「こちら見てのとおり海賊だよ。なんか用か?」
「こっちは見てのとおり、ただのコックと航海士です」
  男がそう自己紹介する。
  どう見てもオールを持っているだけの女とフライパンを持っているだけの男にすぎなかったが、危険性がないとも限らない。
  なんせ、不測の事態の最中である。
  だいたい、このセイレーンがうろつく豪雨の中、イカダでここまで漕ぎ着けるなんて胡散臭いことこの上なかった。
  だが、人手がなければここでみんなでお陀仏というのもたしか。
  ダンテはとりあえずマルガリーテスに声をかけて、ふたりでその男女をヴァッフェンロース号へと引っ張り上げた。

 船室の中に入ると、女はあたりを見渡してから言った。
「あら、立派でレトロ! 少し旧式だけれどもちゃんと航海室までついてるなんて素敵。ねぇ、ディラン?」
「これでキッチンがあれば最高なのにな。というかお仲間様はみんなお休み中ですか?」
「…………」
「フル稼働中だ。つまり、こっちのリタと……船長の俺だけだ。このヴァッフェンロースご――」
  ごん、と後ろからマルガリーテスに殴られた。近くにあったスプーンで机を叩きながら彼女は主張する。
「これは、ブラック・パール号だ」
  と。
  ディランと呼ばれた男が手をぽんと叩いた。
「ああ! ブラック・パール号と大海賊リーフ! 知ってるぜ、新型でれ助火縄銃で撃たれてお宝と共に沈んでいった伝説の船。立派だった。俺は今でも覚えているぜ、あの勇姿と見事な散り際」
「ややや、沈んでないから。お爺も生きてるし」
「なんだ、お前の言うことはいつも嘘ばっかじゃねーかよ。クローセル」
「あら、沈んだなんて言ってないわ。撃たれたと言ったのよ」
  クローセルと呼ばれた黒髪の女がしれっと返した。後ろで激しくスプーンを打ち鳴らしているマルガリーテスを見てクローセルはダンテに聞く。
「彼女さっきからスプーンでモールス打っているけどどうかしたの?」
「ああ、さっきからなぜか声が出なくなったみたいでな。俺としてもどうするべきか途方に暮れていたところだ」
  実際には途方に暮れる暇さえ与えられず、彼らが乗り込んできたわけだが、この状況は早く打開したいところだ。
  クローセルは「ふぅん」と呟きマルガリーテスを見た。
「見たところ、喉に損傷はないわね。ラム酒焼けもしてないようだし……私は医者じゃあないけれども、何かあった?」
「さぁな。こいつがセイレーンを切り落とした後にそれっきりしゃべれなくなっちまってな」
「あら、セイレーンを殺したの? だめよ、殺しちゃ。叩いて追い払うの。オールとか使ってね。ね、ディラン」
「ね、っと言われてもよ。初めてだよ、フライパンでセイレーン殴ったのはさ」
「初耳だな。なんで殺したらだめなんだ?」
「あら知らないの? 船長さん。セイレーンなんて迷信になりかけているけれども、私は出身が北方だからお話はおばあ様からよく聞かされたわ。セイレーンは殺した相手の声を奪うのよ」
  なんということだ。だからマルガリーテスは自分に「来るな」と言ったのか。
  絶望に打ちひしがれるダンテの後ろでマルガリーテスがスプーンを打ち鳴らす。
「まだ、手はある」
  と。
  それを補足するようにクローセルが言った。
「あのね、声は、まだ遠くまでいってないと思うの。今から探せば間に合うかも」
「まだ遠くまでいってない?」
  ダンテが鸚鵡返しに聞いた。クローセルは頷く。彼女は近くにあった海図の上で指で測量して何もないところを指差すと言った。
「ここ、今ここにいるわ。ここはたぶん伝説で言う竜宮ね。潮渦の中に水竜が住む岩場があると聞いたことがあるわ。この中のどこかにいる竜を説得すれば、もしかしたらここから出ることができて、あわよくば彼女の声……ここの水竜が持っているかもしれない」
「げっ! マジかよ、水竜に会いに行くのか? またお前の作り話じゃないだろうな?」
「うふ。だとしても船長さん、賭けるんでしょう?」
  頬笑むクローセルにダンテはにやっと笑って答えた。
「おうよ。リタ、必ず声取り戻して来るからな! 待ってろよ」
  今度はダンテが鉄砲玉のように飛び出していく。
  その後ろをマルガリーテスが大刀を持って追いかけていった。

◆◇◆◇
  残されたディランがクローセルに聞いた。
「おい、俺たち行かなくていいのかよ?」
「またオールとフライパンで戦うの? それより私たちがやらなきゃいけないことがあるはずよ?」
「とりあえずこの船の内装の確認かな。今は味方でもこの雨が止んだら俺たちは捕虜だ」
「もっと必要なことがあるでしょう?」
クローセルは唇に手をあてて、また「ふふっ」と笑った。
「温かいスープの準備よ」

◆◇◆◇
  外に出てみると、岩場には今まで流れ着いたと思われる船がいくつも団子状に繋がっていた。
  そのどれもが、今は主を失っているのは見るからに明らかで、ここの水竜とやらは一筋縄には行かないことがうかがえる。
  ダンテは後ろを振り返ると、無言であとをついてくるマルガリーテスを不気味そうに見た。
「なんだよ、待ってろって言ったのに」
「…………」
「ったく、普段ぺらぺら喋るくせに黙っていると不気味だぜ」
  その言葉に対する返事もない。いつものように殴られることもない。
  それがかえって不気味で、ダンテは舌打ちしてから岩場の奥へとむかった。
  ぐるぐると大きなサザエのように入り組んだ小島は、クローセルが言ったとおり、水がうねりながら内側へ、内側へと流れている。それが岩を削って、この岩場をこんな渦巻状のものにしているのだろう。
  曲がりくねった自然の道を歩いていくと、やがて大きなホールへと出た。天然のホールのようで、そこだけ天井があいていて、雨が降りこんできている。
「水竜ってのはここにいるのか?」
  背後を振り返ってマルガリーテスに聞くが、彼女もまた「さぁ」と肩を竦める。と、その時――
ざばぁっと中央に水柱が立って、中から蛇のような胴体を持った竜が現われた。
「出やがった!」
  ダンテがサーベルを構えて水竜と対峙した。水竜はその厳めしい顔を僅かに歪めてダンテを睨んだ。
「また人間か。おおかたセイレーンの声に蠱わされてこの竜宮までたどりついたのだろう。私に何用だ?」
  思ったよりこの竜、話が分かるかもしれない。ダンテはそう思ってから後ろのマルガリーテスを顎でしゃくった。
「リタ……彼女の声を探している。知らないか? 水竜様」
「ああ、知っている。あるぞ、ここに」
  水竜の喉のあたりにぽう、と白い明かりが光った。
「それを返してくれないか? ほら、彼女おしゃべりだし」
「やらんでもないな」
  しめた! ダンテは心の中でガッツポーズをとった。しかし水竜は続けた。
「彼女を置いていくならば」
「彼女?」
「リタ、と云ったかな? 人間の言葉は発音がしづらい。黒檀の長い髪が気に入った。そいつは人魚だ。体に刻まれた刺青がそう言っている。彼女を置いていくならば声は返してやる。お前もこの渦から出してやっていい」
「んな!?」
  ダンテは一瞬言葉を失った。
  マルガリーテスの躰に彫られた刺青の意味する内容は人魚の砦で聞いていた。しかしそれは人間の中での縁起担ぎか何かで、こんな人外にまで通用する話だとは思っていなかったからだ。
  どうする、彼女を置いていけば自分と、あとさっき拾い上げた二人も助けることができるだろう。下手に水竜の機嫌を損ねるよりは計算上は得策だった。
「合憎計算は苦手でね。誰を置いていけだって?」
  ダンテは悪辣に笑うと水竜に問い返した。水竜は静かにもう一度言った。
「そのリタという女を置いていけ。頭の悪いセイレーンには飽きていたところだ。私のいい話し相手になるだろう」
「リタは置いていけねぇな。俺の、右腕だ!」
「…………」
  双方のやりとりを後ろで聞いていたマルガリーテスが静かに水竜のほうへと歩いていった。ダンテは狼狽する。
「!? おい、まさか……」
  まさかあの水竜のもとへ行く気なのだろうか。
  マルガリーテスは水竜の足元まで行くと、そこで大刀を引き抜いた。
  無言の決断だった。そのまま後ろ手に大刀を横にひくと腰まである長い黒髪をばっさりと切り落とした。
「愚かな……」
  低い声で呟いた水竜に向かって、一足飛びで近づくと彼女は大刀を振り下ろした。
  その一撃は竜の尻尾によってあっというまに跳ね飛ばされ、壁へと飛んでいく。
「リタぁ!」
  ダンテが壁とマルガリーテスの間に入ってクッションのように潰れた。
「へぶらっ」という間抜けな悲鳴。しかしマルガリーテスは後ろを向いただけでぱくぱく、と金魚が水面に浮かんだ時のように口を動かすだけだ。
  またすぐ飛んで行きそうなマルガリーテスの肩を掴んでダンテは言った。
「リタよぉ、お前船長を出し抜きすぎなんだよ。ひとりで突っ込んでいったって同じだぜ?」
「…………」
  言いたいことはすぐに分かったらしい。つまり、二人同時に突っ込んで行けば即席の連携でもなんとかなるのではないかということ。
  急ぐ必要はなかった。互いに自分たちの呼吸と、相棒の確認をするように岩場をぐるっと向かい合いながら、水竜と対峙する。
  ひゅんひゅん、と空を切る刃の音がふたつ聞こえ、水竜はその同時を見ることができずに交互にふたりを見た。
  マルガリーテスを向いた瞬間が合図だった。ふたりが同時に水竜へと向かい地を蹴った。
  マルガリーテスが邪魔な尻尾の動きを誘導して、ダンテが水竜の喉元を狙う。
「おおおおお!!」
  雄たけびと共にダンテのサーベルが水竜の喉を貫いた。その痛みに暴れまわる水竜の首をマルガリーテスが大刀で跳ね飛ばす。
  最期に大きく跳ねたその長い胴体がふたりを床に叩きつけようとした。マルガリーテスは躰を捻って床に受身をとり、ダンテは水の中へと落ちて一命をとめた。
「声は返してもらったよ。水竜様」
  しゃがれた低い声でマルガリーテスが呟いた。
「ぶはっ!」
  ダンテも水面から顔を出して呼吸を整える。マルガリーテスのもとに戻った声に安堵の表情をした。
「びっくりしたぜ。このまま声が戻らなかったらどうしようかって」
「何言ってるんだい? まだ手はあるって言ったろ。だいたいそこらへんのサザエ探せば声は残っているんだよ。今回はこんな大層なサザエだったから取り戻すのに時間かかったけど。ほら、手を貸しな船長」
  自然と船長という言葉につられて手を伸ばした。海から引き上げられた頃は雨はやんでおり、ホールに光が差し込む。
「髪の毛、惜しいことしたな」
「いらないよ、あんなもん。それより船に戻らないとあの二人組に船を持っていかれちまうよ。まあ、ヴァッフェンロース号の舵はなぜかあんたの言うことしか聞かないから、大丈夫だろうけど」
  ぴた、とダンテが足を止めた。
  続けてマルガリーテスが振り返るように立ち止まる。
「今、なんて言った?」
「あ? 大丈夫だろうけどって……」
「その前!」
「ヴァッフェンロース号の舵はなぜかあんたの言うことしか聞かない」
「それだ! ヴァッフェンロース号、いい響きだ。ようやくリタもこの響きの素晴らしさを理解してくれたか」
  殴られるかな? と身構えてみたが、反応はあっさりしたものだった。
「いや、名前もひとつに統一しておいたほうが何かと便利かと思ってね。帰るよ、船長」
「お、おう」
  ずぶ濡れの提督服を脱ぎながらダンテがマルガリーテスのあとをついていく。マルガリーテスが自分のことを意識して船長と呼んでいることを気にしながら。

「おかえりなさい。あら、リタさんったら髪の毛を切ったのね」
「あ、ああ。変かい?」
「いいえ、似合ってるわ。低いバリトンの声にとも相性がいいみたい」
  クローセルとディランはてっきり逃げているかと思ったが、暢気にレンズ豆のスープをつくっていた。
  このスープというのが、豆しか使っていないとは思えないほど格別に美味しく、ダンテは三回もおかわりしていた。
「それにしてもあの潮渦から出れて本当に良かったよな。奴隷船行きだとしても生きているほうがいいしな。はは」
  ディランがエールを飲みながら爽やかに笑う。ダンテが不思議そうな顔をした。
「誰が奴隷船に行くんだ? ひょっとしてあれか、お前そんな涼やかな顔で奴隷に鞭振るうのか?」
「え、いや……クローセルと俺が、奴隷に」
「馬鹿野郎! こんな美味しいスープをつくれる奴をみすみす奴隷船なんかに売り飛ばすものか。あと航海士、これもいなきゃ話になんねぇ。お前らここで働くつもりはないか?」
「……へ?」
「きゃー! 海賊ね海賊ね! ロマンチック」
  間抜けな返事をするディランとはしゃぐクローセル。ダンテは続けた。
「それ、と。俺はダンテ。“さん”づけはいらない。船長でもいいがな。やっと、それらしくなってきたし。なぁ、リタ?」
「あたしはマルガリーテス。リタでいいよ」
「ダンテとリタね! よろしく」
  クローセルがふたりと握手して喜ぶ。
  順調に航路に戻った頃、ディランが
「そういえば……」
  と口にした。
「この船の名前は本当はなんなんだ? ふたつあったみたいだけど」
「ああ、それはだな……」
  ダンテとマルガリーテスの声が見事なくらいに重なった。
「「ヴァッフェンロース号」」