02

 手に入らないものなんてないと思っていた。少なくとも、手に入れることに躊躇したことがなかった。
「だからあんたはいつだって全然本気じゃあないのよ!」
  付き合っていた女と別れた話をしたら、幼馴染のベリンダにそう怒られた。
  ちなみにこいつは既婚者だ。ロートシルトとかいういけ好かないスカした男と結婚しやがった。俺という格好いい幼馴染がいながらだ。
「俺のどこが本気じゃあないっていうんだ? いつだってめちゃくちゃ本気だっての」
「そりゃそうよね。落とすまでは本気なのよね。あんたの場合は女を百点から計算して、減点方式で〇点になった時点で放り投げるんだから」
「悪かったな。お前こそ旦那とうまくいってるのかよ?」
「当たり前じゃない。いつだってこっちはアツアツよ」
  面白くない思いがして俺は心底舌打ちをする。
「今、舌打ちしたでしょ」
「だから? 慰めてもらおうと思ってお前ん家きたのに、どうして説教されるわけ?」
「自分の胸に聞きなさいよ、ルーベルト」
  ベリンダは呆れたようにそう言った。
「ともかく、あんたはひとりの人を愛するようにならなきゃ駄目よ。私にとってのローみたいな相手を見つけるのよ?」
「俺は絶対にローみたいな奴とだけは結婚しない」
「じゃああんたが好きな人を見つけなさいよ。こんなところでふて腐れているんじゃあなくてさ」
  クッキーと紅茶をいただきながら会話をしたあと、俺は旦那のロートシルトが帰ってくる前にお暇することにした。
  ベリンダの家は遠い。俺は長い距離を馬車で帰った。
  俺の家は爵位を持っている。親父が早いうちに戦争で亡くなったため、家長は俺ということになっている。
使用人がいることを除けば、弟とふたり暮らしをしている。別に弟と二人暮ししなきゃいけない理由はないが、付き合っている相手と別れるたびにその女を追い出したりするのは面倒なのだ。よって女のところに俺が通うことが多い。
「ヴィリー、帰ったぞ」
  弟のヴィリーの名前を呼んだ。
  外は雪が降っていて寒かったけど、部屋の中に入ったと同時に暖かさが伝わってくる。暖炉にはもう火が入れてあるようだ。
「ヴィリー?」
  もう一度ヴィリーの名前を呼んだ。リビングのほうから楽しそうな声が聞こえる。ここにいるのか? と思って覗き込んでみると
「あ、ルー! おかえりなさい」
  ヴィリーの親友であるシャルロッテが遊びにきていた。こいつが家に遊びに来るようになったのは今から数年前。今では日常風景の中に溶け込んでいる。
  庄屋の娘らしい。身分は随分違うが、金銭面でそんなに差がついているわけではないし、だいたいプレトリウスは身分制度があってもそれに縛られた価値観があるわけではない。使用人と結婚する貴族も珍しくないのだ。
「シャルちゃん、ヴィリーといい子にしていたか?」
「兄さん、子供扱いしないでくれ」
  ヴィリーが面白くなさそうにそう言った。
「いい子にしていたよ。何かお土産買ってきてくれた?」
  シャルロッテが手をこちらにさし伸ばしてくる。俺はコートのポケットに手を突っ込んで、ベリンダが焼いてくれたチョコレートクッキーを手渡した。
「ベリンダが焼いてくれたんだ」
「ベリンダさんの手作り? わー、ルー、ありがとう」
「シャルロッテ、食べるのは食事のあとだぞ」
  シャルロッテを子供扱いしているのはお前のほうだぞ? ヴィリー。
  まあ、このシャルロッテにしろ、あいつにしろ二十歳だからもう子供という年齢でもないわけだけど、二十歳なんて俺から見たら十分ガキだしな。
「ルー、ルー、ハグして」
  両手を開いて軽く弾むシャルロッテを抱きしめる。背中をぽんぽん、と叩いて
「シャンプー何使ってるんだ? やけにいい匂いがするけど」
  と言ってみた。シャルロッテが少しだけ赤面する。そんなシャルロッテから手を離し、次にヴィリーをハグした。
「さて、飯にしようか」
  美味い白ヴルストが買ってあったはずだ。ボイルして食べると最高。それにブロッコリーや人参の温野菜も添えて、その日の食事は終わった。
  ヴィリーはワインを買いに外に出ている。俺は外の雪を見つめていた。雪は綺麗だと、ベリンダが昔言った。だけど俺はたまに怖くなる。
ともすれば雪明かりの中に、今まで失ってきたものが映って見えるような気がした。そんなおセンチな気分になっている俺を、シャルロッテが見つめていることに気づく。
「何見ているんだ? シャルロッテちゃん」
  にやっと笑った。シャルロッテは困ったように笑って
「何を考えているのかなって。なんだか辛そうだったから」
  と言った。俺はシャルロッテの顎に手をかけると上を向かせて、口角を上げた。
「お前がいるところで他の奴のことは考えないよ」
  シャルロッテのやわらかい唇に口付けようとした瞬間、シャルロッテが体を引く。
「駄目だよ。ヴィリーが帰ってくるよ」
「おいおい、もうここまで来たらいまさら止まれないだろ? シャルちゃん」
  シャルロッテの座っているソファに腕をついて体重を支える。少し倒れこむような姿勢になりながら、俺はシャルロッテにキスをした。やわらかいというよりは、しっとりとした唇の感触が伝わってくる。
  シャルロッテは反射的に目を閉じていた。そんなあいつの顔を見つめながら、ふと横目でリビングの入り口のほうを見る。少し開いた扉の向こうから気配がする。きっとヴィリーはもう帰ってきているのだろう。
  俺は見せつけるようにシャルロッテの唇に口角を変え、何度か口付けた。舌をいれることなく味わうように啄ばむ。シャルロッテがねだるような熱の篭った視線でこちらを見上げてきた。そこで意地悪な俺はキスをするのをやめる。
「ヴィリーがそろそろ帰ってくるんじゃね?」
  俺は大声でそう言った。それにあわせてヴィリーが静かに部屋に入ってきた。
「よお、ワイン、いいのあったか?」
「あったよ。この産地のでいいんだろ? 兄さん」
  ヴィリーは近くのワイナリーで買ってきたワインを片手にそう言った。
「ヴィリー、ヴィリー、ごめんね! 寒い中買いに行かせちゃって」
  シャルロッテがばねのように起き上がると、ヴィリーのほうに走っていった。怖がらせちまったかな? と思ったけれども、嫌がってはいなかったからいいかな。
  ヴィリーはシャルロッテの頭を撫でながら
「嫌なら嫌だと言っていいんだぞ? シャルロッテ」
  と言っている。シャルロッテはその言葉に口ごもった。
「嫌じゃあねぇんだとさ」
  俺がにやつきながらそう言うと、ヴィリーは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに黙った。
「そういうことは人目につかないところでやってくれ」
  そうとだけ言って、ワインとつまみをテーブルの上に並べた。

 しばらくして、俺とヴィリーはいい具合に酔っ払い、シャルロッテは酔いつぶれた。
「こいつ、お酒弱いのかな?」
「兄さんが強すぎるんだよ」
  シャルロッテのほっぺたをつつく俺を見て、ヴィリーがそう言う。たしかにヴィリーも心なしか顔が赤い。
「じゃ、こいつ寝かせてくる」
  俺はシャルロッテを片腕で抱き上げるとかつぎ上げて、そのままベッドまで連れていった。
  幸せそうにむにゃむにゃとしているあいつの額にキスをひとつ。
「おやすみ、シャルロッテちゃん」
  耳元で囁きかけて、再びヴィリーのいるリビングに戻った。
「シャルロッテは?」
「俺のベッドに寝かせてある」
「兄さんのベッドに?」
「お前のベッドがよかったのか? ヴィリー」
  俺はにやりと笑ってそう言うと、ヴィリーが赤面した。俺は先程まで飲みかけだったワインに口をつけた。
「兄さん……シャルロッテにちょっかいを出すのはやめてくれないか」
  二人きりになったとき、ヴィリーは俺にそう言った。
「どうせ兄さんは、あいつのことも飽きたら捨てるつもりなんだろう?」
「あ、ひでーな。そういうこと言うわけ?」
「俺はただ、シャルロッテに傷ついて欲しくないだけだ」
  わからないわけではない。シャルロッテはヴィリーにとって唯一無二の親友だし、遊びで傷つけてほしいわけがないことくらいわかっている。
「兄さんは本気なのか?」
  ヴィリーがこちらを見て、真剣に聞いてきた。普段なら二つ返事で「ああ本気だ」と答えるところだけど、俺は珍しく黙りこむ。
「まだ、わからない。本気なのか」
  正直に俺はそう言った。この前の彼女と別れる結果になったのも、結局はシャルロッテの存在がちらついていたからだ。
  好きでなくなれば別れればいい。愛していない人に愛を囁き続けることより苦痛な愛はない。俺はそう考えている。
だけど次から次へと乗り換えていくのにはやっぱり抵抗があって、特にシャルロッテに乗り換えるのについてはことさら抵抗が大きい。
  シャルロッテはヴィリーの親友だ。俺も傷つけたくない。だけど自分の気持ちに嘘をつくこともしたくない。
  だから俺は聞くのだ、「俺はこいつに本気なのか?」と。
「本気かどうかも分からないのに、手を出さないでくれ」
  ヴィリーは俺の恋愛遍歴を知っているから今度も遊びだと思っているのだろう。俺自身どうなのかわかっていない。
「俺が本気だったら、シャルロッテちゃんに手を出していいわけ?」
  俺の質問にヴィリーが黙り込む。ああ、わかるよ。それでも手を出して欲しくないんだよな、お前は。
「兄さん、あなたはモテるんだし、相手は他にもいっぱいいるだろう」
  言いたいことはわかる。よりによって自分の親友にしなくてもいいだろうと言いたいわけだ。
「あいつは、本当に兄さんのことを――」
  ヴィリーがそう言いかけた瞬間、俺はヴィリーの唇に人差し指をあてた。
「お前の席を譲れと言っているわけじゃあない。俺もシャルロッテちゃんを好きだって言っているだけだよ」
「兄さん……」
「お前が心配なのはわかるよ。傷つけないようにする」
  ヴィリーがなんともいえない表情をする。
「あいつを泣かせないでやってくれ」
  頼み込むようにヴィリーは言ってきた。こりゃあ平行線だな、と思った俺はおやすみを言って、リビングを後にした。