13
◆◇◆◇
「暇だなあ……」
俺は万年筆を指で遊びつつ呟いた。十二月は忙しいが、明けた新年からいきなり忙しくなることはまずない。
「なんか面白いこと起きないかなーなんて。ハハハ」
誰もいない執務室で独りごちた。まあ、ここ最近平和だし、何も起きないのはわかっていたわけだけど。
そのとき、電話がリリリと鳴った。
「はい。シュトックハウゼン伯爵ですが」
――こちらロートシルトです。いつも妻がお世話になっています。
普段ベリンダと会話することはあっても、公式な場以外でロートシルトと会話することはあまりなかったから、ちょっと畏まって「なんでしょう」と俺は返事する。
――実は妻、ベリンダのことでお電話を差し上げたのです。あなた、うちの妻と仲がよろしいですよね?
俺はいよいよロートシルトが
「私の女にちょっかい出すな」
と言い出すのではないかと思い、こっそりと唾を呑んだ。
――ベリンダを預かっていただけないでしょうか。娘と息子もいっしょに。五年戦争のときにこちらが預かりましたし、勝手なお願いだとは存じているのですが……。
「何か、あったんですか?」
――実は一部の資本家たちが、自分たちの重税を理由に革命を起こしまして。私はなんとかするつもりですが、その間妻を安全なところで預かっておいてほしいと思った次第です。
革命だって? イリヤが言っていた話は本当だったということか。あのとき流さずにしっかり情報を聞いておくべきだった。
――お引き受けしていただけますか?
「あ、はい。護衛をつけてそちらに向かわせます」
二、三言話したあと、電話を切る。ロートシルトの政策に不満のある奴がいるなんて思ってもいなかった。あれだけ福祉の充実した領地はないから、てっきり領民は幸せなもんだと勘違いしていた。
これから少し忙しくなるのだろうか。ロートシルトが死ぬなんてことにならなければいいが、と心配になった。
数日後、ベリンダは二人の子供を連れて俺の館へとやってきた。
四歳になる長女の名前はクラーラ、そして一歳の長男はテオと言うらしい。
「ほら、クラーラ、挨拶しなさい」
ベリンダに促されてクラーラが俺にお辞儀をする。髪の色とか外見とかは小さい頃のベリンダそっくりなのに、目だけ親父のロートシルト似なんだな、とか思った。
「よろしく、クラーラちゃん」
俺はしゃがんでにっこり笑ってみた。
「お前、ママのこと好きだろ」
いきなり第一声でクラーラが言った言葉に心臓がばくんとした。
「いつも遊びにくるし、話してる」
ああ、そういう認識か。安心した俺はへらっと笑い
「ベリンダとお兄さんは幼馴染なんだよ。当然ベリンダのことが大好きだよ」
と言ってみた。するとクラーラは聡明そうな顔をしかめて、言う。
「お兄さん?」
一呼吸置いて、追撃があった。
「おじさんでしょ」
「こらっ」
ベリンダが思わずクラーラを叱る。俺が薄笑いを浮かべながら
「四歳児から見りゃそりゃおじさんだ、おじさん」
と言うと、ベリンダは
「失礼な子に育たれると困るのよ」
と言った。まあそりゃそうかもしれないが、それはお母さんであるベリンダに任せるとして、俺は変なおじさんでも構わないじゃあないか。
「ヴィリー、ちょっとクラーラの面倒を見てやってくれないか?」
ヴィリーがクラーラを肩車して居間のほうに行ったのを確認し、俺はベリンダと向き合った。
「俺の屋敷狭いからさ、使用人のベッド使わせるわけにもいかないし、親父とお袋のベッドを三人で使ってもらってもいいか?」
「子供たちもまだ小さいし、構わないわ。迷惑かけてごめんなさいね」
「いいんだよ。お前こそ疲れてないか? 子供ふたり連れて移動してきたんだし」
「平気よ。いつも育児しているんだから」
ベリンダはにっこりと笑った。腕に抱っこされているテオの頬を俺がつつこうとすると、手をはたかれた。
「ばい菌がうつるから手を洗ってからにして」
「…………」
お前のその一言のほうがさっきのおじさんより堪えるんだけど。
「ロートシルトのほうはどうなんだ?」
「あの人、何も私に言ってくれないのよね。中途半端に知ってるほうが危険になるって」
ベリンダは笑って肩を竦めた。たしかにロートシルトならそうするだろうし、俺もそうするかもしれない。
「さて、腹減っただろ? 食事にしようか」
俺の提案にベリンダはにっこり笑った。
|