16

◆◇◆◇
  その日僕は馬車に乗ってくるのを忘れて、大通りのど真ん中で貸し馬車が止まってくれるのを待っていた。
  だけど馬車が止まる気配はない。嫌われコルサコフを乗せるのは嫌だとばかりに、右から左、左から右へと空の馬車が移動していく。
「はあ……」
  僕はため息をついた。運動不足だから歩こうなんて思わなければよかった。靴はぐちゃぐちゃだし、なんだか疲れてるし、やたら寒くなってきたし、いいことがない。
「誰かー、止まってくれませんか?」
  声を投げかけてみても、見事にスルーだ。ここまで無視されるといっそすがすがしい気さえしてくる。
「あれ? イリヤ、今日は歩き?」
  馬に乗ったジミーがゆっくりと近づいてきた。僕はジミーの登場に安心する。このまま乗せていってもらおう。

「駄目だねえ。ちょっと歩いただけで体力尽きたって、歳なんじゃない?」
  ジミーが笑いながら手綱をひいた。僕は後ろに跨ってジミーの肩に手を置いたまま
「運動不足が予想以上で……」
  と呟いた。
「ところで肩に手を置くだけじゃあ落馬するぞ。腹に手を回せよ」
「そんないやらしい真似できません」
「何。いやらしいことする予定あんの?」
「ありません!」
  と、馬鹿馬鹿しい会話をしながら街中を歩いていたときだった。目の前にいきなり子供が飛び出してきた。
  馬が嘶き、僕は思わずずり落ちないようにジミーにしがみついた。
「危ないなあ。気をつけろよ?」
  ジミーがそう言うと、少年は泣きながら馬を見上げる。
「みんなが、北の地雷原に入っちゃって、出てこれなくなった」
「なんだって?」
  ジミーが険しい声を出す。地雷原。かつて五年戦争のときに敵が入ってこられないよう、平原に地雷を埋め込んだ地域のことだ。
  大人たちが定期的に駆除に入るが、普段は危険なため誰も近づかない地域でもある。
「なんで入ったんだ!?」
「ぶえ、だって。マルコが度胸試しだって……俺、みんなを止めたけど、面白がって入っていっちゃって」
「けが人は誰かいるのか?」
「ううん。でも、雪の上に動物が地雷を踏んだ跡あったの見て、みんな怖くなって一歩も動けなく……出てこれなくなって」
「絶対に動かないように言わなきゃ! 坊やは保安官たち呼んできて」
  ジミーは僕を乗せたまま大急ぎで地雷原のほうに馬を走らせた。
  やがて見えてきた雪原は、真っ白な新雪の上に、小さな足跡がいくつか散らばっていた。
  ジミーは馬から下りると、雪原の中でべそをかいている子供たちに
「お前ら、ぜったいに動くなよ!」
  と大声で指示した。
「でもどうします? 大人たちが駆除している間、この子たちに動くなって言っても凍傷になりますよ」
  僕の言葉にジミーは、唇を噛む。それからゆっくりと雪原のほうに近づいていった。
「ちょ、何する気ですか!? ジミー」
「足跡の上は安全が確認されている。俺が先に助けられるだけ助ける」
「危ないですよ。ジミー、やめてください」
「イリヤに行けって言ってるわけじゃあない。俺が行くって言ってるんだから放っておいてくれ」
「放っておけません! ジミーは僕にとって大切な人ですから」
  僕はムキになって怒鳴った。
「ですから、僕が行きます」
  この言葉にジミーが面食らった顔をした。
「お前は運動不足がたたって、今足がぐらぐらだろうが。そんなので入ったら危ないぞ」
「いいんです。ジミーが危険になるくらいなら僕が行くって言ってるんです。これでも武器のスペシャリストですよ? 地雷なんて怖くないです」
「じゃあその膝がくがくって武者震いか?」
「これは寒さから……」
  なんとなくジミーのやめておいたほうがいいという発言は正しい気がするのだけれども、だからといって彼女を危険に晒しておいて、武器の専門家である僕がそのまま待っておくわけにはいかない。
「よし、じゃあ二人で手分けしてガキどもを回収してくる。それなら半分の時間で済むし、OK?」
「わ、わかりました」
  僕たちは覚悟を決めて、地雷原へと入っていった。
  小さな足跡を、大人の大きな足で踏む……こんなに怖いことはない。そっとそっと、足の先で雪の感触を確かめながら、ひとり目を救出。ジミーがもうひとりを救出。最後にちょっと遠く離れたところにべそをかいた男の子。そこまでの距離がけっこう長いのだ。
「俺が行くよ」
「いいえ、僕が行きます」
「お前の勇気は証明されたって。ここは保安官に任せておけよ」
「あなたが非力なのは知っているんですよ。あの子ちょっとぽっちゃりしているし、すべって落としたら二人ともアウトです」
  僕の言葉にジミーが黙り込む。僕はそっと、地雷原の奥へと進んだ。
  極限の緊張感の中だと寒さも感じないのか、さっきまでがくがくしていた膝は思いのほか踏ん張りが利いた。
  ようやっと男の子の元へと着くと、僕は男の子を抱き上げて、ゆっくりと足跡を戻ろうとした、が……。行きはよいよい、帰りはぽっちゃりくんを抱っこしたままバックだ。これはけっこうきつい。
「イリヤ、大丈夫か!?」
「うっ……ちょっときついかもしれません」
「何ぃ!?」
  ああ、格好悪いなあと思いつつ、嘘をつくのも事態の悪化を招きかねないと思って正直に言った。
「この子だけでもどうにかそっちに……」
  僕は子供を抱き上げたまま、必死に考えをめぐらせた。
「ジミー! この子をそっちに投げます!」
「はあ!?」
「受け止めてあげてください」
「ちょ、投げるってそっから投げるのか!? 地雷原に落ちたらどうす……」
「僕は鍛冶屋の息子です。腕力だけは自信があります!」
  お父さん、力を貸してください。と強く願った。あらん限りの力をこめて、後ろ向きにぽっちゃりくんを放り投げる。男の子の悲鳴と、向こうのほうでジミーの「げふっ」という声が聞こえた。キャッチしてくれたみたいだ。
  そこに遅れて街の人たちが駆けつけた。中には子供たちのお母さんもいるみたいで、無事を喜んで泣いている声も聞こえる。
  僕は孤独だった。孤独に放置されていた。
このまま、誰も助けてくれないかもしれないと思った。嫌われ者だし、僕なんかいなくなっちゃえと思っている人、大勢いるはずだ。そう思っていた。
「コルサコフさん、足大丈夫ですかー!」
  後ろから男の声が聞こえた。続けて
「今から駆除に入ります。少し辛いでしょうけど、待っていてください」
  という声も聞こえる。知っている部下の声で、「駆除機ありったけ貸します」という声も聞こえた。
  僕は背中を向けたまま、その声に耳を傾けていた。背中を向けたまま、泣いていた。
  みっともないと言われるかもしれないけれど、本当に嬉しかったんだ。僕はまだ、がんばれると思った。ちょっとやそっとじゃ人の目なんて変わらないけれど、いつかみんなと楽しく過ごせる日がくるんじゃあないかって希望を持った。

 数時間後、救出された僕は流した涙も鼻水も凍り付いて、顔も霜焼けで、本当酷い顔だったけれども、誰も笑わなかった。
  ただ、あたたかい拍手と、労いの言葉と、子供たちやお母さんからのお礼の言葉だけだった。
  雪球も石も馬糞も飛んでこなかった。
「ほらよ、スープ」
  ジミーが水筒から温かいスープをついで渡してくれた。かじかむ手でそれを包んで、そっと口に運んだ。熱かったけど、特別美味しくてまた泣いてしまった。