18

「シュトックハウゼン伯爵、このたびは妻と子供たちが大変お世話になりました」
　 後日、ロートシルトは謝礼として毛織物を何枚か持って訪問してきた。
「いや、五年戦争のときはこちらがお世話になったわけですから、どうぞお気になさらず」
　 珍しく丁寧語で俺も応じる。
　 ベリンダとクラーラは持ってきた荷物を馬車に詰め込んでいる真っ最中で、俺は苦手なロートシルトとふたりきりだ。
「まさかこんなに長引くとは思っていませんんでしたので、本当にご迷惑をおかけしました」
「いやいや、本当お気になさらず。困ったときはお互い様ですから」
「いやいや」
　 俺、今日何回いやいやを言っただろう。ロートシルトと合計すると一生分くらいいやいやを言っている気がする。
「これからも妻と仲良くしてやってください。なにぶん勝気な性格なもので、あまり貴婦人たちとなじめないようなのです」
「へえ、そうなんですか。てっきりアンハイサー領ではうまくやっているとばかり」
「もちろん、私どもはうまくやっております。ベリンダは最愛の女性ですから」
　 さりげなくのろけまで披露された。だけどなんだか昔ほど腹が立たなかった。俺の中でも色々ケリがついたからかもしれない。
「クラーラがシュトックハウゼン伯爵の顔に穴をあけたと聞きましたが、申し訳ありません」
「ああ、鼻の穴が少し広がっただけだから気にしないでください」
「もっと大人しくするよう厳しく躾ます。お心遣いありがとうございます」
「いや……子供の躾にまで口を出すつもりはありませんが、ベリンダも昔はあれくらいやっていましたよ。大丈夫です、それでも立派な殿方に見初められましたし、今では立派なお母さんですから」
　 そんな散々疲れるやりとりを繰り返したあと、俺は次第と小さくなる馬車をヴィリーと見送った。
「さあて、寂しい兄弟ふたり暮らしに戻ったな」
　 俺が横目でヴィリーを見てそう言うと、彼は仏頂面のままいつものように言う。
「そんなに寂しいと思うならば、シャルロッテを呼べばいい」
「そうだな。あいつの今度の休みっていつだっけ？」
　 そう言ったら、ヴィリーが神妙な顔で俺を見てきた。
「兄さんは、シャルロッテと結婚する気がないのか？」
「は？」
「そろそろ結婚を考えてもいい年齢だろう。それとも彼女じゃあ不満なのか？」
「いや、そういうわけじゃあないけど、早過ぎないか？」
「何が。お互いを知る時間は十分すぎる」
「そりゃ三年間家族同然で暮らしてきたけどさ、シャルロッテはどう考えているんだろうな。あいつまだ二十歳だぞ？　ベリンダが結婚した年齢より若い」
「兄さん」
　 ヴィリーは低い声で聞いてきた。
「結婚したいのか、遊びなのか、どっちなんだ？」
「極端な奴だな」
「兄さんがいい加減なんだ」
　 別に結婚しない女性はみんな遊びなわけじゃあないぞ？　ヴィリー。そこには男と女が触れ合ってみないとわからない奈落のような溝があるわけだ。飛び越えられれば結婚にゴールインだけど、飛び越えるのに勇気がいるときだってあるんだぞ。
「まあ、結婚するとしたら……」
「するとしたら？」
　 俺の言葉に、ヴィリーが鸚鵡返しで聞いてくる。
「シャルロッテちゃんは白のプリンセスドレスだよな」
「シャルロッテに好きなドレスを選ばせればいい」
　 こんなところでまで意見が割れた。俺はやれやれとため息をついて、笑う。
「じゃ、俺、行ってくるよ」
　 ヴィリーは「どこに？」とは聞かずに、黙って笑った。
　 俺は馬車が通ったばかりの雪道を、表通りへと向かって歩いた。

　シャルロッテが賄いをしている仕官学校の食堂は、元学生ならば自由に食事をしていい。俺はそこでスープと骨つき肉を注文して、それを食べながらシャルロッテの仕事が終わるのを待った。
「終わったよー」
　 ようやくエプロンを外したシャルロッテのご登場だ。
「もうへとへと。寮に帰ってばたんきゅーしたい」
「じゃあ寮まで送っていくよ」
　 シャルロッテの首にマフラーを巻いて、俺たちはいっしょに歩いた。
「ルーとふたりきりで歩くの、久しぶりだね」
「そうだな。あの南プレトリウスの夜が最後かな？」
　 そう言うとシャルロッテはあの夜を思い出したように赤面した。
「いやー、あの休暇は幸せだった」
「私も幸せだった！」
「またシャルロッテの家族と会いたいなあ。今度はビッグニュース携えて行きたい」
「ビッグニュース？」
「シャルロッテちゃんと結婚しますってニュース」
　 シャルロッテがびっくりしたように足を止めた。俺は笑ったまま、続ける。
「もちろんその気が、シャルロッテちゃんにあるならば、だけど」
　 シャルロッテはこくんと小さく頷いた。俺はなんだか安心して、ポケットから箱を取り出す。
「本当はさ、お袋の指輪を渡すのが貴族の伝統なんだけど、でもシャルロッテちゃんは水仕事で指太いから……買ってきた」
「太くないよ。貴族の女の人が細すぎるだけだよ。ベリンダさんとか、折れそうな指しているもの」
　 シャルロッテがそう呟く。俺は笑いながらシャルロッテの左薬指に、指輪を填めた。
「俺さ、本当どうでもいい嘘はつけるくせに、肝心なところで馬鹿正直だから、許してくれる？　一生懸命プロポーズの言葉考えた。スペアリブ食いながら」
　 言ったあとにスペアリブは余計だったことに気づくが、まあそのまま続けた。
「正直俺は大切にしたいものも欲しいものも多すぎて、シャルロッテちゃんだけいればいいよとか、シャルロッテちゃんが一番大切だよとか、そういう言葉はしっくりこないんだ。だからそういう言葉は嘘になるから、プロポーズの言葉として相応しくないと思ってやめにした」
　 シャルロッテは真剣にその言葉にこくこくと頷く。
「だけど、もうシャルロッテ＝ジーゲル以上に愛することのできる人なんていない。この先ずっと、シャルロッテちゃんの替わりなんていないし、探さないし、見つけたとしても、それでも俺はシャルロッテを選ぶ。幸せになりたいし、幸せにしたいけど、いいことばかりじゃあないかもしれない。どんなときでも、いっしょに乗り越えていこうって、俺のこと選んでくれるなら、結婚してくれる？　シャルロッテちゃん」
「はい、喜んで」
　 俺はシャルロッテの返事を聞いてから、彼女を抱きしめた。雪明りの中でそっと唇を重ねる。とても幸せな夜だった。