01だいたいこんぐらい上司

「ヘイリー、あれじゃエルムが可哀想よ」
書類を渡したタイミングでそっとレノリアに耳打ちされて初めて俺の部下の扱いが悪かったことに気づいた。

エルムレス、23歳独身、女。本名および出身地不明。所属紅龍会狐財務班。
ざっとプロフィールをあげてみるも、部下のことをほとんど何も知らないと言っているようなものだった。三年間自分の下で働いている部下についてわかっているのは、彼女が頑なで真面目な性格で損をしていることくらいだ。
紅龍会の中でも狐の役職は特に統率した行動をすることが少ない。レノリアは狐の人事的なところを任されることが多いし、モルヒネは麻薬を、そんな感じで俺はマネーロンダリングがメインの担当だ。基本的に部下をぞろぞろ連れ歩く仕事でもないため、窓口係の狐は広く散らばって仕事をする。
エルムが自分の部下になたのは三年前の20歳のときだった。俺はそのとき28歳。ちょうどネフリータが家を出ていったタイミングで彼女は自分の部下へと配属された。
それまで自分の部下らしい部下もいなかったが、三ヶ月と経たずにどんどん相棒候補が異動願いを出すので有名だった。自分が悪いのがわかっているが、自分のやり方に慣れない奴はどのみちこの仕事に慣れないだろうと思って放置していたところ、仕事を一人で処理しなければいけない状態になった。
煮詰まった頃に入ってきたのがエルムだ。もちろんすごく助かった。彼女はとても優秀だからだ。
「黒狸さんはだいだいここらへん、だいたいこんな感じ、だいたい押さえなきゃいけないポイント、だいたいあってる……こんな認識ですよね?」
エルムから初めて苦情が出たのは二年前くらいだ。それまで黙々と頼んでいた仕事をしてくれていたエルムがついに口火を切った。
「ミーティングもしなければ、急用で入った仕事を休み時間や定時直前に押し付けてくるし、予定はぜんぜん立ちません。しかもあなたの予定に合わせて動かなければいけないため、私はどこかで自分の時間を削ってつじつま合わせをしているんです。ご存知でしたか?」
目をぱちくりとさせて、部下のエルムを見上げてしまった。デスクでバナナをかじっている俺をみつめる彼女の目は怒りというより、不満に満ちたものだった。どうしてこんな不当な扱いを受けているのかというそんな視線。
「いや、知らなかった」
ぽつりとそう答えて、自分の予定に合わせるために自らの時間を削ってくれていた部下にありがたさと同時に申し訳なさを感じる。
「でもな、エルム。難しいことかもしれないが、俺もそういうことはしょっちゅうあったぞ? というか柔軟な対応ができなかったらこの仕事は向かないと思う」
エルムの柳眉がきりっと持ち上がった。化粧気のない少年顔で睨まれる。辞めると言われるかもしれないと思った。辞めると言われるとしたらこのタイミングだと思った。
「つまりついて来れるようになれってことですね。わかりました」
エルムはぴしゃりとそう言うと、ディスクを黒狸の机に置いて自分のデスクへと戻っていった。
そうして今に至るまで彼女は俺の下で仕事をしている。俺の雑用を全部一身で引き受けてくれている。

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