湖緑が女の人だったらなあ。
  そう思うことがよくある。そうしたら僕はこんなに自分の感情で苦しんだりはしないのだろう。
  医学上、たった一人の同性を好きになっただけでは同性愛者とは診断しないらしいと聞いたことがある。
  僕は湖緑以外の男性に対してそういう感情を抱いたことがない。だけど湖緑とキスをしたいか、抱きたいかと聞かれれば男とそういうことをする気持ちがよくわからない。
  僕は湖緑とどうなりたいのかよくわかっていない。このままがいいと思いながら、このままじゃ嫌だとも思う。触りたいと感じるけれど、それ以上進みたいとは思わない。

 そんな折り、父である木蓮の執務室に呼ばれた。
  部屋に入ると自分とは全然顔の似ていない父親がいた。人払いしてあるようで、僕と木蓮以外誰もいなかった。木蓮の眼の前には黒い装丁のアルバムみたいなものがあった。
「それは?」
  仕事の重要書類のようには感じなかったので、質問してみる。大方予想がついていて、そして嫌だったけれども確かめるしかなかった。
「お見合いの写真だ」
  やっぱり。今時お見合いなんて時代錯誤なことやるのは行き遅れた女性か家柄に縛られた保守的な人間だけだ。
「写真見ないのか? 湖緑に似ているぞ」
「は?」
  思わず木蓮が上官だということも忘れて悪態のような返事をしてしまった。木蓮は珈琲を口に運ぶと、僕に見えるようにアルバムを開いた。そこには黒いストレートの髪をした、上品そうな女性が椅子に座って映っている。なるほど、湖緑が女性だったらこんな雰囲気かもしれないと思った。
「ところで何故湖緑くんに似ている写真を?」
「ああいう雰囲気が好きなのかと思ってだ。もちろんわかっているだろうが、彼と結婚するのは許さない」
「何を言ってるかわかりませんよ。お父さん」
  何を血迷って湖緑と結婚なのだ。その身代わりに湖緑と髪型が似ているだけの女性とお見合いしろだと? 巫山戯るのもいい加減にしてほしい。
「お前と湖緑がふしだらな遊びをよくしているのは有名だ。私の顔に泥を塗る真似は許さないぞ、兪華」
「すみません。以後目立たないように気をつけます」
  言ったあとにふしだらな遊びってなんだろうと思ったけれども、今の返答だと認めた形になってしまった。
「そういうことじゃあない。湖緑とお前が幼馴染なのは知っている。仲がいいことも。だけどあっちも名家なんだぞ? 男同士付き合っていたら両家とも絶家になる。結婚でもすれば湖緑のことは気の迷いだったと気づくだろう」
「気の迷いも何も、僕と彼は幼馴染以上のなにものでもありませんよ。僕が彼に懸想しているのだと思っているならば、誤解です」
「ならば結婚して子供を作れ」
  極端な話だ。何故湖緑に恋していない証明のために結婚して子供まで作らなければいけないというのだろう。僕の眉根にシワができた。
「あっちの女性は合意なんですか?」
「顔を合わせるくらいならいいだろうと言っているらしい。あっちもいい家柄の女性だ。付き合ってみるのには相応しい相手だと思う」
「そうですか」
  あなたはそう思うのですね。そう続く。僕はそうは思わない。
「次の週の休日は空けておくように」
「代休はありますか?」
「仕事じゃあないんだぞ。どういう口のきき方だ」
「ずるいです。仕事でもないのに執務室に呼び出して。私的な用事ならば公私混同しないでください、お父さん」
  僕はあえて「お父さん」と口にした。今の木蓮は上官というより、ただの父親だと思った。しかし彼はこう切り返してきた。
「じゃあ上官命令だ。代休はやるから、次回の休日に彼女とお見合いをするように。命令は以上だ、帰りなさい」
  僕は仕事だと言われて敬礼して執務室をあとにした。断る、断るぞ。仕事で恋愛や結婚まで制限されてたまるか。

 仕事だと言われたので、軍の正装でお見合い用の料亭へと向かった。この格好に袖を通したのは久しぶりだが、こんな機会でもない限り着ることなんて滅多にないだろう。
「蘭花といいます」
  女性はそう言って深くお辞儀をした。僕の家系のほうが格式が上なのだろう。僕は「兪華です。よろしく」とぺこりとお辞儀しかえす。
  さて、蘭花さんは写真で見るよりもずっと綺麗な人だった。そして僕より少し年上な気がした。失礼があってはいけないので、僕はそのまま庭園へとエスコートした。エスコートしながら、気に入られず、失礼にならない方法を考えた。
「蘭花さんはご趣味は何なのですか?」
「趣味ですか? そうですねえ、テレビを見ることかしら。すみません、趣味らしい趣味なんてないんです」
「いえ。うちの母親もテレビのバラエティやドラマが好きで」
「兪華さんは好きな番組ありますか?」
「天気予報です」
  あれだけは見とかないと次の日困るから欠かさず見ている。
「じゃあ、兪華さんの趣味はなんですか?」
「趣味、とは違いますが、欠かさず行なっているのはドレインです。人の精神力を吸い取らないと僕は気が狂いそうになる」
「はあ」
  生返事は覚悟の上だ。嫌われることなく問題のある男性だと思われれば僕の勝ちだ。
「僕と結婚する人は毎日ドレインされるかもしれませんよ?」
「日課なんですね」
  蘭花さんの切り返しは微妙にズレてて僕は一瞬だけ肩がこけた。
「好物とかありますか? 僕は料亭の上品な味噌汁が嫌いなんです」
「私もです。味噌汁は麦みその田舎味噌汁が好きです」
「僕はチープな合せ味噌の味噌汁が。あと友達の作る味噌汁がすごく美味しいんですよ」
  湖緑の味噌汁は美味しい。あれは出汁と味噌だけで作ってるって嘘だろうと言いたい。
「味噌汁の具に私はらっきょ入れるんですけれども、絶対に合わないってみんな言うんですよね。兪華さんどう思われます?」
「らっきょの味噌汁は食べたくないですね。ところでアロマテラピー用の精油に詳しい男性についてどう思いますか?」
「アロマテラピーのできる男性は素敵だと思います。ところで瓦が十枚素手で割れる女性についてどう思います?」
「格好いいと思います」
  蘭花さんと僕は会話しながら、お互いの意図を確かめた。彼女も乗り気じゃないんだ。そして僕も乗り気じゃない。そろそろ答え合わせしてもいいだろう。
「兪華さん、実は」
「蘭花さん、やっぱりそうですね」
  僕らは思いが通じ合った恋人のように見つめ合い、同時に言った。
「このお見合い、断りましょう」
「ええ!」
  お見合い破局決定。二人とも恋が実ったかのように幸せそうに笑みを浮かべた。
「よかった。気に入られたらどうしようかと思いました」
「僕もどうしようかと思っていたところです。でも蘭花さんも乗り気じゃないと分かってよかった」
「あはは。すみません……私、実は恋人を病気で失ったばかりで、父が似たような顔の軍人を見つけてきたって……。失礼な話だと思いながら、あの人とそっくりな兪華さんと会ってみるだけでもいいかなって」
  僕の笑顔が凍った。僕もそんな感じとは言いがたい。だって、僕の投影していた相手は蘭花さんに髪型だけ似ている男性だなんて言えやしない。
「でも、会ってみたら雰囲気違うの。当然だって分かっていて、やっぱり期待していたみたいで。失礼だったわ、ごめんなさい」
「いえ。僕も蘭花さんから正直な本音が聞けてよかったですよ」
  蘭花さんは僕を大きな黒い目で見つめて、小首をかしげた。
「あなたも好きな相手がいるんでしょう?」
  回答に困った。
「蘭花さんそっくりの女性に憧れたことならあります」
  無難に回答した。
  こうして僕のお見合いという仕事は、残り時間暇つぶしをするだけだった。蘭花さんといっしょに庭を散策してやぶ蚊をはたき落とす蘭花さんを見たり、僕が庭に咲いている沈丁花を見て、「沈丁花のお香ってないんですよ」と話したり、いっしょに料亭の食事を食べたり。
  そして最後に彼女は、素手で握手してくれた。そして僕はここぞとばかりにドレインしてしまい、彼女が卒倒したところで仕事は終了した。当然僕は木蓮にとても叱られたなんてものでは済まなかった。

 さて、お分かりだろうが、お見合いは向こうのほうから断りの連絡があったらしい。僕に失態があったからだと木蓮は責めたが、たしかに僕の失態なので「すみません」と謝った。
「お見合い相手をドレインしたって?」
  射撃場で的を狙っていると、隣で耳あてを装着しながらレオンがそう聞いてきた。ニヤニヤしているところを見ると、ちょっと噂になってるのかもしれない。
「うん、そうだよ」
「相手は湖緑にそっくりだった奴用意されてたらしいな」
「髪型は似ていたかな。素敵な女性だったよ」
「その素敵な女性をドレインしたと。お前馬鹿だな。お前にお見合い相手見つけてくるのに親は相当苦労したんじゃね――」
  僕はレオンの声を遮るように大型のハンドガンを的めがけて何発もぶっぱなした。音で彼の言ってる内容は聞こえない。
「うん。聞いていたよ」
「聞いてなかっただろ。お前結婚する気ねえんだろ」
「ドレインする父親、ドレインする夫、どっちも破局が見えてるじゃない。無理だよ」
「ドレインしないで生活しろよ。好きな相手ができたらドレインすることしか考えないからいけないんだよ。関係が壊れるのが怖くてドレインできないくらい臆病になる恋愛したことないのか?」
  ないなあ。ドレインしたいもの。だけど関係が壊れたら嫌で、進めたくないものは僕にだってある。
「恋人は必要としてない」
  それは本当だった。僕は湖緑と恋人になりたいわけじゃあない。今しばらくいっしょにいたいだけ。
  レオンは諦めたように銃に弾を装填するのに集中した。