外傷も回復し、体力的にも回復した頃のことだった。
  いつものように仕事を終えて、軍の寄宿舎に戻った兪華の元を湖緑が訪れた。
「入りますよ。兪華さん」
  良いとも言っていないうちから、半ば強引に湖緑は部屋に入ってくる。
  何事だろうと身構えていると、湖緑は帽子を取り外してテーブルの上に置いた。
「もう夏になりましたけれど、傷は癒えましたか?」
  なんだ、そんなことか。
  あれからどれくらい経ったと思っているのだろう。もう夏だ。あれから四季が一つ変わっているのだ。
「どうでもいいと感じるくらいには」
  湖緑は口元を緩めて微笑んだ。
「ならばよかった」
  その笑みはとてもやさしいものだったはずなのに、兪華は何だか嫌な予感がした。
  こちらにゆっくりと向き直る湖緑にやや警戒したように、兪華は首を傾げた。
「どうしたの?」
「何をしてもいいんでしたよね?」
  あの地獄で誓った言葉を湖緑は繰り返した。後退った兪華をじりじりと追い詰めながら湖緑は近づいてくる。
  出口のほうに湖緑がいたため、即座に壁際まで追い詰められた。
「ねえ、心の準備ができていない」
  通じるわけもないことを知っていたが、兪華はそう懇願した。
「へえ。嘘ついたんですか?」
「ついてないよ。でも……」
  顎を乱暴に掴まれる。
  湖緑は鋭い視線で兪華を睨みつけた。
「まさかまだ傷口が痛むわけじゃあないでしょう」
  傷が癒えたら何もかも忘れられる体験ばかりなわけじゃあない。
  兪華は最後の抵抗をこめてゆっくり湖緑の胸を押し返した。
「湖緑くん、僕はそういうことされるの、もう怖いんだ」
  湖緑は無表情のままだった。
  ただし視線が一瞬だけ陰ったような気がした。
「馬鹿な兪華さん。私がどれだけ待ってたかもわからないなんて」
「僕の気持ちを考えてよ」
  湖緑は唇を一度結んだ。結んで、ゆっくり開いた。
「いつもそうです。兪華さんは自分の気持ちは察してほしいと言うくせに、私の気持ちは考えてくれていない」
  湖緑はそう告げると、あらん限りの力で兪華を壁に押さえつけた。
  喉元を締め付けられながら、唇を重ねられる。呼吸に喘いで薄く開いた唇の隙間から舌が闖入してきた。
  何度も繰り返したはずの行為なのに、抵抗するように湖緑の胸を拳で叩いた。
  ようやく解放してもらって、酸素を吸う。
  湖緑は眼前で美味しい獲物を発見したかのように舌なめずりをした。
「私はあなたが欲しくない日なんてないんですよ」
  あまりにストレートに欲しいと言われて、少し考える。
  だけど兪華はゆっくり首を振った。
  湖緑の杖が動くのが見えた。壁に拘束具が現れて体を固定される。
  湖緑が杖をベッドサイドに放り投げて、ネクタイを引き抜く。
  兪華は怯えたように首を左右に振った。
「やだ、やだよ。お願いだから酷いことしないで」
「女々しいですね兪華さん。怖いと言うのならばあなたが大好きなものをつけてあげますよ」
  ぴっと引きぬいたネクタイを湖緑は構えた。もう何をされるかわかったが、拘束されたまま抵抗できるわけもなく、あっさりと視界が暗闇に落ちた。
「外して」
  目隠しをされて明らかに動揺を隠しきれなくなった兪華の耳に、興奮気味の吐息がかかった。
「余裕がなくなりましたね。案の定」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
  抵抗むなしく、兪華の服のボタンはぷちぷちと外されていった。
  乳首のあたりに湿った感触。湖緑に突起を舐められているとわかったのは直後だった。 去来した気持ち悪さに耐えて唇を結んでいると、その気持ち悪さは執拗な責め苦の中でだんだんと甘い苦痛に変わっていった。
「んっ……」
  思わず声がこぼれたのに自分でも驚く。
「素直に反応してますよ?」
  湖緑の笑う声が聞こえた。
  翻弄される感覚に兪華は動揺した。
「気持ちいいんじゃないですか? 下もいじって差し上げますよ」
  ベルトが引きぬかれて、軍服と下着が同時に下ろされる。
  兪華は「もう一時的に耐えきったほうがいい」と割りきって、湖緑に陰部を掴まれることにも自分の口から溢れる苦悶の喘ぎにも耐えることにした。
「大人しくなりましたね。暴れてもいいんですよ?」
  兪華は唇を結んで答えない。
「それともこうされるのは好きなんですか?」
  そんなわけがないだろう。兪華は唇をより強く結ぶことで意思表示してみた。
  尻のあたりにひんやりとした液体がついたと思ったら、ずっぷりと鈴口を割って指が侵入してきた。
  これくらいの感覚にはもう耐えられるようになってきていた。あとに待ち構えている相手の雄を受け入れる前段階としてむしろ苦しくても耐えておくべきだ。
  それでも本来の使い道と逆の行為に生理的な涙が頬を伝った。
  くちゃくちゃというローションと体液で自分の体が淫靡な音を立てている。
  早く終わって欲しいと思っているのは確かだ。
  早く終わって欲しいと思うと同時に、焦らされるのも嫌だった。やるのならば早く欲しいと感じていた。
  終われという気持ちと、欲しいという気持ち。
  早くこの目隠しをとってほしい。いつもの自分じゃあないみたいだ。
  深く呼吸をした。自分が快楽に抵抗できないのを責めるのはよそうと思った。

 自分から香っているのか、それとも部屋そのものが性行為をした匂いで充満しているのかわからない。
  拘束具と目隠しを外してもらった時は壁に寄りかかることもできずにずるずるとしゃがんでしまった。
「怖かったですか?」
  兪華は小さく頷いた。
  湖緑のことを直視できなかった。見下ろせば、自分の脚を伝って彼の精液が流れていた。
  虚脱感のある身体でぼんやりとそれを見つめていた。白い体液は兪華の部屋に小さな水たまりを作っていた。
「あなたのことを逃さない。狂った私の手から何人たりとも兪華さんを救える人はいない」
  湖緑に頬を撫でられた。
  振り払おうとして、その指が兪華の流した涙を拭きとったことに気づき、振り払い損ねた。

 

「目隠しは怖い」
  と言ったはずだった。
  もう湖緑の性行為にストップをかけるのが無理だとわかったあとも、目隠しだけはどうしようもなく嫌いだった。
「トラウマは薄れたほうがいいんですよ」
  と湖緑は涼しげに言って、兪華の目を布で覆う。

 外れかけた拘束具がガチャガチャ音を立てている。湖緑に体を穿たれながら、もしかしてこれが違う人だったらどうしようと怖かった。
  もしかしたら近くで湖緑が笑っていて、別の男に犯されてるとしたら。
  湖緑の首にすがりつき、彼のシャツの襟首を噛み締めて声を殺した。頬に長い髪の毛が当たる。
  兪華の不安を知ってか知らずか、珍しく荒げた呼吸が顔にかかった。
「声、殺しきれてませんよ」
  昂揚した声でそう囁かれて耳に噛み付かれた。
  強く突き上げられる。

 湖緑がいなくなって風呂に入った。
  彼に限らず、兪華の体を気遣って避妊具を使ってくれる人なんていなかった。
  風呂に入るという行為は必ずしなくてはいけなかった。そして自ら押し広げられた場所に指を突っ込むという行為、掻きだす行為にももう慣れ始めていた。