04 暗示再び
キリシュがジンクロメートギルド団に今は所属しているということは、紅龍会の情報網を使えば案外簡単に手に入る情報だった。
ギルドはシエルロアで通称"ゲーム"と呼ばれる統治権争いが行われた際、キール=ジンクロメートという青年が立ち上げた組織だ。民間人で戦う意思のある者たちが集い、ゲームで統治権を手に入れるべく戦った。
現在ゲームは終了しており、ゲームの審判である運営組織が現在結果を集計中である。
黒狸にキリシュの情報を渡してくれた諜報管轄の鴉班のニカは、
「こいつ、リータねえちゃんの恋人と軍学校時代先輩後輩の関係だったみたいだぞ」
と言った。リータはネフリータのことだ。ネフリータの恋人はたぶんジュリオのことだろう。ジュリオの年齢がたしか今年で二十二歳だったはずだから、渡されたプロフィールを見る限りだとキリシュが三歳年上ということになる。
黒狸はキリシュの経歴のところを観察して、軍学校時代以前と、軍学校以降ギルドまでの情報がすっぽり抜けているのを見つけた。
「おい、ニカ。記入漏れがあるぞ」
「鴉の他の奴がもってきた情報じゃわかんなかったんだよ。それよりたぬき野郎、そいつに今度は狙われてるのか?」
「今度は、ってなんだよ? 俺はそんなしょっちゅう命を狙われるような悪いことはしていません」
マフィアに所属しながら何を言っていると自分でも思ったが、普段そろばんを弾いているだけで何故こんな危険な目に合わなければいけないのか、黒狸としては理解できない。
ともあれ、ニカにはお礼を言った。手に入った情報はキリシュが現在ギルドにいるということ以外、あまり詳しくはわからなかったが、住所はないようだし、おそらくはギルドの本部で寝泊まりしているのではないかと推測した。
キリシュの行きつけの居酒屋の場所も書いてあるし、普段は定職につかずに日雇いの仕事をしたりぶらぶらしたりしていると書いてあることから、会うとしたらここがいいだろうと黒狸は決めた。
「いらっしゃいませー」
臙脂の着物に同じ色のスカート、黒いエプロンをつけた店員の女性が笑顔をつくって出迎えてくれた。
「一名様ですか? 禁煙席もありますけれども」
「人を探しているんだ。眼帯をつけた青い髪の奴なんだけど、ああ、あそこにいたいた」
カウンターで一人呑みをしているキリシュを発見すると、店員の女性に笑顔をつくり、キリシュのほうへと向かった。
「よっ」
なるべく親しげに声をかけると、キリシュは少し酔っ払って紅潮した顔で黒狸を見上げた。
「あんたか。あのあと気づいたら外にいたんだけど、あんた理由知ってる?」
「いや。トイレだって言ったきりあんた外に出ていったじゃないか。俺のほうこそ探したよ」
黒狸はキリシュの隣のスツールに腰掛けて、ビールを注文する。
「お通し食べてもいい?」
「どうぞ。なあ、オレたまに記憶がなくなるんだけど、困ってるんだよね。あんたのことを知っている気がするのはそのせいじゃないかって気がするんだ」
「ふうん。記憶障害ってやつ? 大変だな」
黒狸はキュウリに味噌をつけてぽりぽり齧りながら、キリシュの目を見つめた。眼帯で隠れてないほうの目だけを、疑わしいとばかりに細めるキリシュ。
「この前あれだけ逃げようとしたくせに、どうしていきなり現れたんだ?」
キリシュの問いに答えるかどうか一瞬考え、質問には答えず、黒狸はこう切り返した。
「実はあのあと、キリシュが誰だったか思い出したんだ」
「ふうん……」
キリシュの目は疑心に満ちている。しかし、何か知っているならば探ろうという目でもあった。
「それで?」
「ええと、ようく思い出したんだけど、そういえばずーっと前にそういう友達いたなあって思って。ほら、俺忘れっぽいからお前のことすぐに思い出せなくて」
「の割りには、慌ててたじゃないか?」
「それなんだがな」
黒狸は正面を向きあって、真剣な目で言った。
「キリシュって名乗っただろ? 似たような名前の奴とちょっと前にトラブってさ」
キリシュは頬杖をついたまま、黒狸の言い訳をどう次はつなぐのだろう? のような視線で見ていた。しかし黒狸が何を考えてるのか読み取ろうと、こちらをじっと見ている。
黒狸はキリシュの目をじっと見つめた。
キリシュは眼力に負けたように、少しだけ焦点をずらそうとした。
今度は黒狸がキリシュの肩をこちらに向き直らせた。両肩をがっちりつかみ、「こっちを向けよ」と一言呟く。
「キーリだろ? あんたが思い出せなくても俺は覚えているよ。ずっと前、キーリに助けられたんだ。あのときはありがとう」
視線を合わせたまま、じっくりと自分のついた嘘を信じ込もうとする。黒狸がそれを本当のことだと思うのと同じくらいの時間をかけて、キリシュの精神にじわじわとキリシュと黒狸は友達だというつながりが侵入していく。
キリシュの目から疑いの眼差しが消えていき、人懐こい笑みがこぼれた。
「ああ、あの時のあいつか。チンピラに狙われるとか、マフィアのくせにおっちょこちょいな奴だと思ったよ」
キリシュはけらけらと笑う。黒狸も「いやあ、あの時は困った」と同じように笑った。
「元気にしていたか? 今もまだ軍に所属しているの?」
「ん? ちょっと色々あって、軍には戻れなくてさ。今はギルドにいるよ」
「なんかあったのか? 俺でよけりゃ協力するけど」
「あ、いやいや。ギルドのリーダーが匿ってくれてるから大丈夫」
キリシュは何か理由があって軍に追われる身になっているようだ。つまりもう暗殺者として黒狸を狙う理由はないということだろう。
なんだかほっとしたような気持ちになって、メニューを手にとった。
「オススメあるか? 俺、ここの居酒屋初めてなんだ」
「オレ、やっすいメニューしか頼まないけれども、厚焼き卵は美味いぞ」
「厚焼き卵は大根おろしのってるのか?」
「ううん、出汁で食べる」
「うまそー」
テンションの上がった声でキリシュといっしょにメニューを覗きこみ、キリシュが「あとこれと、これも美味しい」と説明してくれるのを聞いた。
「よくここ来るんだな」
注文を電子版に打ち込みながら、キリシュを振り返る。
「うん。美味いから!」
キリシュが完璧なにっこりを作って明るくそう言った。
あまりの無防備な気心知れた友人に見せるとっておきを見せられ、思わず心臓がドキッと鳴った。
「どうかしたのか?」
「ん? 酒も注文しようかなーと思って」
黒狸の顔色を読んだキリシュの切り返しに、思わず関係のない嘘をつき、黒狸はビールを飲むふりをしてごまかした。
無防備すぎる笑顔を作られると少し罪悪感がある。これでよかったのだが、これでよかったのだろうか、と。
「とりあえず生追加。キーリの分も生でいい?」
「あ、いや。オレ金がないから」
「安心しろ。給料日の俺は最強だ。好きなもの頼めよ」
「……いいの?」
「友達ですから」
「友達だからいいのか!」
キリシュのテンションが跳ね上がってるのは酒のせいだけじゃあなさそうな気がしてきた。
黒狸はさりげなく、キリシュに聞いた。
「他の友達はおごってくれたっりしないのか?」
「オレ、ずっと縦社会で育ったから友達いないんだ」
「そうなのか」
ほらやっぱり。確認して、キリシュがメニューを入れるのを悩んでいる横から、指でメニューボタンを押していく。
「残したら詰めてもらえばいいんだし、横一列注文しちゃえ」
「太っ腹だな。友達め」
「友達だけど黒狸って名前があるからな? キーリ」
わけのわからない会話をしながら、次々と持って来られる酒やら料理やらに手をつけた。
黒狸は酒がそれほど強いわけでもないので、ビールを二杯飲んだところであとは烏龍茶に切り替えたが、キリシュはそのあとも酒をどんどんと注文していった。
「キーリって酒強いんだな。でもそんなちゃんぽんしてて平気なのか?」
ほどほどのところで切り上げないと、べろべろに酔って帰れなくなるのではないかと考えていた矢先、とろんとしたまぶたがおりて、キリシュがこちらに寄っかかってきた。
「おっと。キーリ、飲み過ぎだぞ」
「ふあ?」
なんだか同性が出す声としては可愛すぎる寝ぼけ声がこぼれる。
「へいりー……」
ふわふわした声でキリシュが寄りかかったまま、見上げてきた。
「泊めて?」
甘えるような声と、不安そうな目でキリシュがそう言ってきた。一瞬、自分の中にぞくっとした恋にも近い感情が走るが、慌てて蓋をする。
「他に行くところないんだ。黒狸なら安全だし」
何が、自分なら安全なのかよくわからない。
「友達だよね?」
へらっとキリシュが笑う。ああ、友達ってそういうものだと思っているんだな。黒狸は胸に体重を預けたままこちらを見上げているキリシュを見下ろした。
これは友達というより……
「友達だもんな!」
自分の思考もごまかすことにした。これは錯覚だ。
「仕方ねえな。汚い部屋だけど、泊めてやるよ」
「ありがとう」
キリシュはまた緊張感のない笑顔を作ると、それっきりこてっと意識を失った。
「すみません。友達寝ちゃったのでタクシー呼んでもらえますか?」
これは、不可抗力だ。黒狸はそう自分に言い聞かせた。
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