10 友達解消したら?
しばらくぶりに一人で夕食を作って一人で食べた。
部屋の片付けをして、傷んだ野菜を捨てたり、不要になったものをまとめてゴミ袋につっこんだりして夕方過ごした。
休みの日はなるべくオフのまま過ごしたいと思うほうだ。
どうせ、仕事はいつになったって終わる気配がないのだから、どこかで休みをとらないと体か心がどうかしてしまう。
ベッドに転がり、チェストの上に置いてある音楽再生機にディスクをセットする。
流れてくる音楽は聞き流ししながら、ベッドサイドの本を手に取った。
たしか映画を見る機会を逃してしまったので店頭に並んでいた文庫本を買ってしまったというものだ。
自閉症でなおかつ七歳程度の知能しか持ちあわせていない父親が、なんとかして娘を取り返そうとするお話。
なかなかヘビーな題材を扱っているはずなのに気持ちが重くならないから好きな話だった。
黒狸にはこのお話で楽しみにしている大好きなシーンがあるのだが、最初から読み返してそのシーンに行き着く前に、チャイムが鳴った。
本の中では娘と父親が離れ離れになるシーン。そこで黒狸も本を置いて玄関へと向かった。
扉を開けると、今日は帰ってこないと言ったキリシュがいた。
「おかえり」
「ただいま。寒いから入れてくれよ」
キリシュを部屋の中に入れて鍵をかけた。
キリシュは肌寒そうに両腕を抱えたまま、リビングへと向かった。
「コートは? 持ってないのか」
「持ってない」
「冬どうする気だったんだよ?」
「なんとかなる」
キリシュは確実になんとかするような口ぶりで「なんとかなる」と言った。
なんともならないと思ってしまう黒狸だが、コートを一枚も買わずに乗り切るにはシエルロアの冬は寒すぎるのではないだろうか。
キリシュは冷蔵庫からミルクを取り出し、冷蔵庫の中身が整頓されて自分のおかずがないことを確認すると残念そうに肩を落とし、ミルクだけコップに注いだ。
「アマリネのところで食べてくると思った」
「そのつもりだったんだけど急いで帰ってきたんだよ」
「どうして?」
「言わせんな。あんな別れ方しておいて。黒狸が心配だったからだよ」
自分が心配されるというのが意外だった。
キリシュがミルクをちびちび飲んでいるのを思わずじっと見つめてしまったくらいだ。
キリシュはミルクを飲みながら黒狸を横切り、「でも元気そうだな」と言った。
「リネにどう言われようと俺がどうにかできる問題じゃないしな」
「リネさん、普段ああいう人じゃあないんだけれど」
「虫の居所が悪かったんだろ。あとキーリにはそういう態度とらないんだろ」
黒狸は口にしながら、自分に不機嫌のスイッチが僅かに入っていることに気づいた。
自分がそんな些細なことを気にしてうじうじしていると思われたのが癪に触ったのだろうか? と自問してみるが、違う気がした。
「もう帰ってきたあとに言うことじゃあないかもだけど、俺は別にキーリにどんな交友関係があろうと、何か口出しできるわけじゃあないからさ」
「そういう言い方されるとあまりいい気分じゃないな。何が言いたいんだ?」
キリシュはよく、「何が言いたいんだ?」と黒狸に聞いてくる。そこでふと、何が言いたかったのだろうと黒狸は自分で考えなおす。
「俺がどう感じているかは無視してくれて構いません」
「それって無視されたくないときに言う台詞だろ? 黒狸」
キリシュの反撃に黙りこむ。「そんなことないよ」と言うのは簡単だが、図星な気がしたからだ。
「どうして欲しいんだ? 黒狸はどうしたら満足なんだ」
馬鹿馬鹿しい質問で、馬鹿馬鹿しい回答しか思いつかない。自分よりも仲のいい知り合いとつるまないで下さいなんて言う気にもなれない。第一そんなことは望んじゃいない。
だったら何を望んでいるのかともう一度考える。
「キーリ、俺にかまえ」
キリシュの肩がこけたのがわかった。そんなくだらない理由で拗ねていたのかとバレてしまったが、他に言い訳が思いつくわけでもない。
「ほらほら、かまえよ。寂しがりの黒狸にーさんにかまえよ」
「お前……本当に大人かよ?」
ハグを要求するように両腕を広げると、キリシュは呆れたようにコップをテーブルに置いて黒狸と向き合う。本当にハグするべきか悩んでいるようだったが、子供をあやすように抱擁して、黒狸の後頭部を撫でてくれた。
「しょうがない大人ですみません」
「反省しているならちょっとは大人になってくれよ。黒狸にーさん」
「お前が子供になったっていいんだぞ? 少し身長縮めよ」
「無茶言うな」
キリシュは肩ごしに「はぁ」と溜息をつき、黒狸から体を離した。
「思ったより元気そうでよかったよ」
「あれしきの拒絶で心がくじけるようじゃマフィアなんぞ務まらないぞ」
「そうじゃあなくて……」
言いかけてキリシュが黙る。キリシュが何を心配していたのかよくはわからなかった。
「なんだよ? 言いたいことはなんだ? これお前の口癖だぞ」
別に言ってくれなくても問題はなかったが、気になったので聞き返してみた。キリシュはややも間を開けて、口を開く。
「黒狸の表情不安そうだから。俺がよそ見して気づくとこっち見てる目が不安そうだから」
「……は?」
思わず黒狸は目が点になった。自分が不安だと? それもキリシュがよそ見した程度で不安になるだと?
「気のせいだと思いたいけれどもな」
「気のせい。キーリが他の奴と遊ぶ程度で不安になったりしません」
安心させるためにそう言ったものの、自分で本当にキリシュが夜遊びしているとき不安じゃなかったかと自問した。先程広がった不機嫌さの正体と近い感情はこれじゃあなかったかともう一度自分に聞いてみる。
「黒狸、オレ別に他の人と話してるときも黒狸のことどうでもよくなったわけじゃあないからな?」
「よくわからないけれどもさ、俺は平気です。キーリのほうこそどうなんだよ? 俺が不安そうに見えるっての、そのままキーリが不安ってことはないわけ?」
意地悪な言い方をした自覚はある。
キリシュは少し考えて「そうかぁ」と呟き、笑った。
「オレ、もしかしたら黒狸が友達じゃあなくなったらどうしようって心配してたのかもな」
その素直さに逆に黒狸の肩がずるりとこけかけた。
「キーリ? 友達ってそんな心配するもんじゃあないと思うけど」
「そうなのか?」
「友達って別の友達と遊んでたら減ったりするもんじゃないだろ。自然消滅したケースはあるにしろ、独占したりするもんじゃあないし」
「そうなのか。オレの友達、黒狸しかいないから知らなかった」
あっけらかんと黒狸限定の友達という枠に何やら違和感を覚えながら、黒狸は自分のくだらない疑問をこの機会にぶつけてみた。
「俺しか友達がいないならさ、リネやスパローはなんなんだ?」
「あれは仲間だ」
「仲間……と、友達、はどう違うんだ?」
「友達って仲間や味方とは違うもんだろ? どうって説明できないけれど、もっと近いっていうかさ、心の距離とか色々なところで」
黒狸にとって仲間・味方・友達の位置づけはそんなに変わらないが、キリシュにとって友達は仲間や味方よりもずっと親しいもののようだ。
「んー、そうか。その友達の俺が他の仲間とつるんでるときに不機嫌そうだから友達解消されるんじゃないかってキーリは心配だったんだな」
「あれ? そうなるのか……」
先程の黒狸と逆の立場にキリシュを追い込んでしてやったりと思ったところ、キリシュはずっと考えこみだした。
「仮に、友達解消されたとしたら、黒狸はもう友達じゃあないってことになるんだよな」
「おい。小学生の絶交じゃないんだぞ、軽々しくそんな真似するわけないだろ」
「友達じゃなくなったらどうなるんだ? 元友達って言うわけかな」
「知り合いとか……昔友達だったとか、言い方は色々ありそうだけど……やめろやめろ、俺まで不安になってくるだろうが。そんな未来想像すんな」
黒狸はめずらしくややこしい考えを持ってきたキリシュの背中を叩いた。
「今友達ならそれでいいだろ。恋じゃないんだ、終わりなんて早々来ないさ」
「……そうだな」
キリシュは考えこむのをやめて笑った。
そのタイミングでキリシュの腹が鳴ったので、黒狸はインスタントラーメンを出した。
「オレのごはん、これだけ?」
「おかず残ってないから、それだけ」
キリシュが不服そうな目でカップラーメンを見下ろしているところに、ポットからお湯を注いだ。
加薬と醤油のいい香りがしてくると食欲のほうが優先したらしく、キリシュは箸を構えて待機しだす。
「あつっ、ラーメンうまーい」
ここまで空腹で来たらしいキリシュが湯気をさましながらカップラーメンを食べているのをじっと見ていて、自分も腹が減りそうになったので隣の部屋へと黒狸は移動した。
そうしてキリシュの声がリビングから「うまーい」と聞こえるのにどこか安心している自分がいることに気づいた。
友達解消したら、なんてキリシュが言い出すからいけないのだ。
そんなことになろうものなら、黒狸はまたキリシュの暗殺に怯えなければいけないし、キリシュも友達いないに逆戻りだ。
このままこれが続けばいいね。そうするように努力しようね。
それでいいじゃないか。
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