19 気持ちの整理

 朝起きたらキリシュをがっちりとホールドして寝ていたことに気づいた。
  間近で寝ているキリシュの睫毛が青というよりも藍色に近いことや、唇の形があひるのように少し飛び出していることなどに気づく。
  それにしても近くで見れば男の肌とは思えないほどきめ細かい。こいつ本当に男なんだろうな? と思うことは今までもよくあった。
  そのたびにがっかりする結果が待っている。野太い声や、男らしい豪快さ、下半身についている物などなど。
  とりあえず抱きついていた手を緩める。上の手はあっさり離れたが、下の手を抜こうとしたときにキリシュが目を覚ました。
「キーリ……おはよう」
「起きたな。酔っぱらい」
  キリシュは呆れたようにそう呟くと、黒狸が起き上がるよりも先に腹筋ひとつで起き上がった。
「あんた、ずっと恥ずかしい愛の告白してたぞ。『結婚してください、幸せにする自信はないけれど』みたいなことずっと言ってた」
「恥ずかしい奴ですみません」
「まったくだよ」
  キリシュはやれやれと肩をすくめてベッドから立ち上がった。
「幸せにしてくれてもいいけれどもね」
  キリシュが呟いた「期待してないよ」という嫌味は寝ぼけた頭で一瞬スルーして聞いていた。
「幸せにできるとしたらさ……」
  半歩遅れてそう呟く。
「迎えに行けるかな」
  キリシュから返事はかえってこない。
  しばらくして向こうでベーコンを焼く匂いがした。聞こえていなかったようだ。
  だんだん意識がはっきりしてきて、さっき言った台詞を聞かれなくてよかったと感じた。非常に恥ずかしい。
  だいたいプロポーズなんてできるわけがない。相手は男なのだし、シエルロアの婚姻の法律はよく知らないが、まずそういうビジョンはうまく描けない。
  あまりに幸せなキリシュが想像できなかったのが原因だ。
  幸せにできる自信がない。キリシュは黒狸といっしょに居てもきっと何ひとつ変わらないだろう。
  キリシュだってあんな事件があった直後に「結婚してくれ」なんて冗談だって聞きたくないに決まっている。
  酔っ払ってキリシュに迷惑をかけた自分に「馬鹿」と呟いた。
「黒狸、早く起きないと遅刻するんじゃないか?」
「おう」
  起き上がってのろのろと洗面台へと向かった。
  昨日飲み過ぎたせいか、あまり表情にメリハリがない。
  顔を洗ってヒゲを剃って、顔そのものがさっぱりした頃にはダルさは半分くらい抜けていた。
  さて、今日も仕事にでかける準備をするかと洗面台に背を向けたときだった。さっぱりした思考にさらに追い打ちがくる。

(プロポーズなんて恥ずかしいと思った理由全部、好きじゃあない女には感じないようなものばかりじゃあなかったか? 将来を捧げて幸せにしたい女以外には今まで感じたことのないものだよな……?)

 ということは、もしかして、自分はキリシュに惚れているのか。
  いやいや、まさか男に恋をするなんて自分に限ってあるわけがないだろう。
  落ち着け黒狸。お前は今までの人生で男にときめいたことが一度でもあったか? キリシュを除いてなかっただろう。と自分で呟く。
(キリシュを除いて……)
  繰り返して、認識する。
  もう認めるしかない。
  恋してる。

「黒狸、ベーコン焼けたぞ。まだ顔洗ってないの?」
「おう」
「早く洗えよ。冷めるぞ」
  思わず動揺して間違った返事を返してしまった。

 動揺しているだけかもしれない。
  普通に男を泊めたり世話したりしたこと、他にもあったんじゃあないか?
  そう繰り返して考えてみるが、やっぱりない。
  男と聞いて血圧とテンションと体温が降下した気がしたことはあっても、ときめきを覚えたことなんてない。
  家に泊める理由もなければ、同居する理由なんてない。生活を保証してやる必要なんてない。
  幸せにできるか考える理由なんて愛してるから以外に何があるというのだ。
  間違いない。恋してる。

「黒狸。もう八時になるぞ」
「今行く!」

 仮に、仮にとしておこう。
  もしこの気持ちがずっと続くようなら、それはもう認めたほうが早いんじゃあないだろうか。その時は自分の心に素直になろう。

「もういい、先食ってる」
「ハニー待てよ」
「ウザい。早く顔洗って食いに来いよ」
  自分で言っていてウザったいと感じる。
  この感情や態度は男に対してやるものじゃあない。キリシュの気持ちになったら鳥肌モノだ。
「キリシュくん、すみません」
  相手は男だと自覚するために「くん」付けしてみた。もう一度キリシュは男だと頭に刻もうとした。
  だんだんなんでキリシュが男なんだ? という疑問に変わってくるから自分は深刻な恋の病なのだと自覚した。
「謝るんなら食いに来いよ。冷めるぞ」
「はい」
  もういい。これは恋だ。
  三度目の正直。これは恋だ。祥黒狸はキリシュ・入間に恋をしているのだ。