23 拷問室の黒狸

 普段殺しの仕事は黒狸の専門外である。拷問の類も専門外だ。
  出勤した日、エルムがシャワーも浴びずに会社でずっと仕事をしていたことを知って非常に申し訳なくなった。
  クマのできた目で、脳内物質だけで作ったような笑みを浮かべて彼女は出来上がった書類とディスクを渡してきた。
「優秀な部下で恐縮です」
  優秀で助かるのだが、今回は迷惑をかけすぎているのも自覚している。
「あなたを支えるのが部下の仕事と勘違いしないでください」
「償いはどこかで必ずします」
  エルムの手から書類を受け取り、メルティアのところへ渡しに行く。
  彼は胃薬にストローを突っ込んで吸い上げて、チープな味で有名なファーストフードを口に運びながらキーボードを叩いていた。書類を持って行くと、メルティアはゆっくりと顔を上げる。
「ご苦労さま」
  お前の部下じゃあないのだし、仕事をやったのはエルムなのだから「ありがとう」かせめて「おつかれさま」だろうと突っ込みたかったが、とりあえず指摘はせず書類とデータの確認をお願いした。
「うん、あとでやっとくって。お前の部下にサンキューって言っておいて」
「エルムさんに『ありがとうございます』って言えないのか、メルティア」
「黒狸こそ言ってるのかよ? エルムちゃんにいつもいつもありがとうございますお肩をお揉みしますおみ足をお揉みします胸をお揉みしますぐらい言えよ」
「仕事辞められる上に訴えられるわ。ああ、そうだ」
  蛇班にお願いしようかと思っていたことだが、こいつならば適切な標的ぐらい知っているかもしれない。
「拷問する相手の中に、もう用なしなのいるか?」
「ん? いるけど、殺したいのか」
  すぐに意図を理解したようで、メルティアがストレートに表現してきた。これくらいのストレートさが自分にもあればキリシュもエルムも苛つかずに済むのだろう。逆に他の問題も浮上しそうだが。
「確かめたいことがあるんだ」
「いいよ。ボスから一人殺せって言われてる。鍵貸すから、中に居る奴殺しちゃえ」
  メルティアが笑顔でナンバーのついた鍵を渡してくれた。その鍵を握りしめて、無言で拷問室のほうへと向かった。
  確かめなきゃいけない。マフィアに入った当初に殺しの技術は教えられたし、忠誠の証に殺しをさせられたこともあるが、あのとき感じた気持ちを今も感じているのか。
  暗い階段を降りていく。無機質な鉄板で仕切られた小さな小部屋がいくつもあり、中からうめき声が聞こえるところもあれば、つんざくような悲鳴も聞こえる。
  狐班に所属になったのは自分の得意分野も関係あるが、あまりに荒事が不得意すぎたからだ。人の痛みがわかるなんて言いやしないが、痛いとわかっていること、苦しいとわかっていることはしたくない。
  売春と子供を殺すスナッフポルノと拷問の類は特に苦手だった。すごく苦手なのだ。大嫌いだった。
  鍵の番号を確かめて、ナンバーと同じ小部屋に突っ込む。
  扉を開ければ相当長い間傷めつけられた男がうなだれている。髪の毛の色がやや青みがかっていて、もうちょっと違う毛色だったらまだ楽だったのにと思ってしまった。
  苦しめるのは嫌いだ。
  黒狸は懐からワイヤーを取り出した。ナイフ、銃、ワイヤーを持ち歩いているが、銃じゃ殺したという感じがしないし、ナイフも今回は違うと感じる。確実に、自分で殺したとわかる手法で、なおかつ相手が苦しまない方法。ワイヤーで縊り殺すのが一番だろう。
  そっと彼の首にワイヤーを巻くと、一気に引き絞った。ワイヤーの軋む音といっしょに、男の口から涎と泡がこぼれる。糞尿を垂れ流す匂いで死んだのがわかり、手をゆるめる。
  一方的な殺人だ。無抵抗な、自分にとっても組織にとっても不要な人間を殺しただけなのに……。
「きもちわるい」
  一言ぼつりと呟き、絞めたワイヤーを地面に捨てた。再びポケットに仕舞う気になれなかった。
  同じことをしてみても、やっぱり同じになれなかった。
  殺して気持ちがいいと、血が出たり、死んだ人間の垂れ流す色々を見てすっきりしたと思えなかった。そこはやっぱり、マフィアだろうと、クズな男だろうと、黒狸にとっては変えられない部分だった。