26 休日
「おい、キーリ……」
思わず声が低くなったのは、この男――キリシュが本気で自覚がないことだ。
洗濯物にすべてのズボンをやってしまったようで、丈の長いニットからにょきっと生足が生えている。
黒狸がお友達以上の感情を持っていることくらい、この前の別荘のときにわかっていてもよさそうなのに、これはあざといのかそれとも誘われているのか。
「なんだってそういう格好で歩きまわるかな」
「へ? 何のこと」
「『へ?』じゃねえよ。男だからって対象外じゃないってことぐらい自覚しろよ。何度もヤラれてるくせに」
「次は気をつけるよ」
キリシュはミルクをガラスコップについでいつものように飲んでいる。
黒狸はそのコップを取り上げ、カウンターの上に置いた。
「なんだよ?」
「お前さ、俺をからかってるの?」
拒絶もしないし、自分からさそっているのかと思うとそういう自覚はないみたいだし、何をモーションと受け取ればいいのかわからない。
「黒狸、なんでこっち近づいてく――、わぷ」
キリシュに詰め寄ると、キリシュは後じさり、テーブルにぶつかる。
黒狸はキリシュにのしかかるようにして、むき身の太ももに手をすべらせた。
「丸出しにしてりゃ触って欲しいのかって勘違いする奴もいるぞ!」
「なん、なん……」
目を白黒させているキリシュに、本当にこいつそんな気なくやっていたんだなと思うと呆れた。
キリシュの脚の間に自分の脚をさしこむ。
彼の股間に当てがうようにして自分の太ももをこすりあげるようにぐいと持ち上げた。
「っん、……なに、して」
「すっぽんぽんだと脚でイかせるぞ。服をきっちり着ねえと本気だからな」
「わかったよ。服着るからそれだけは勘弁してくれ」
そう。わかってくれりゃあいいのだと体をどかそうとしたときだった。
後ろでごとんと物が床に転がる音がした。
何か嫌な予感がして、振り返ると、赤毛の女――ネフリータがこちらを見ている。
「黒狸、それキリシュだよな?」
蓮っ葉な口調でネフリータはそう聞いてきた。
はい、これはキリシュです。
いいえ、これはキリシュではありません。
まさにThis is Pen.みたいな文法が頭の中を横切るが、黒狸の回答を待つ前にネフリータは慌てて床に落ちた赤ワインをカウンターに置くと
「邪魔した。黒狸がキリシュとエッチしてたのジュジュ以外にないしょにするから!」
「リータ! 違うんだ、リータ!」
ふと、誰かに腕をつかまれる。その手をつかんだのがキリシュだというのは少し遅れて気づく。
「黒狸、ここまできて、お預けはなしだろ?」
「おじゃましました!」
ばたん、と玄関の扉が閉まる。
一番いかん男に告げ口しようとしているネフリータをどう説得しようか考えながら追いかけようとした。しかし玄関まで行って、何も言い訳できる言葉などないことに気づいてUターンした。
「出前か」
ワインの隣にあるオムライスを見て、ネフリータがおすそわけを持ってきてくれたことに気づく。
もう一度溜息がでた。この前ネフリータが来たときまでは通常運行の祥黒狸だったはずなのだが。
「キーリ、どういうつもりだ?」
「え。黒狸が困るかなあと思って」
悪びれずにキリシュがそう言う。たしかに困ったのはどちらかといえば黒狸のほうだが。
オムライスを食べながら黒狸は考えた。
さっきのあれはなんだったのだろう、と。からかってるつもりなのか、それとも誘惑されたのか。
どうせまた、キリシュは冗談か何かのつもりだったのだろう。
こっちばかりが必死になっている気がしてなんだか少し悔しかった。
食べている間は黙っているキリシュにおもむろに話題をふってみる。
「キーリ、すっげアホなこと考えた。聞いてくれ」
キリシュはまたか、といった表情で「なあに?」と返事をした。
「キーリがもしマフィアの狼班暗部だったとするじゃん? 標的はリネで、俺がキーリに暗示をかけるんだ。『いいかキティ。お前が愛してるのはアマリネという女だ。そして情報をこっちにリークしろ』しかしキリシュはだんだんアマリネを真剣に愛しだすのな。『キティお前の主人は誰だ?』『わかっています』『あいつは誰だ? アマリネ=リリーザはお前にとってなんだ』『愛する人です』『愛して裏切れ』『裏切れません!』」
「……で?」
返事は簡潔だった。黒狸は「えっと……」と小さく呟く。
「映画の見すぎじゃないの? 黒狸」
「熱いだろ! 熱いだろ!」
「はいはい。ホットだね」
キリシュは手をひらひらとさせて黒狸を相手にしない。
「なあ、休日なんだしどっか行こうよ。洗濯物洗ったんだろ?」
「ズボン全部乾いてない」
「溜め込むなよ、主夫」
「あんたが外に出してくれないお陰でね。こんな何もない部屋で」
キリシュは退屈そうにそう呟いた。黒狸はふと部屋を見渡す。遊ぶものなんて、黒狸が昔買ったまま放置したルービックキューブくらいだ。
「ごめん」
「今頃気づいたのか? 俺が暇だってこと」
「なんかキーリの私物増やそうぜ。俺のもんばっかだったら他人行儀だろ?」
「いいよ、そんなの」
キリシュは遠慮しているのか、本当にいらないのかわからない素振りでそう言った。
「箸と歯ブラシとパジャマとあと何がいるんだ?」
「いーらない」
「俺の歯ブラシ使う気かよ」
「じゃあ、歯ブラシだけね」
「なあ、本当にそれでいいのか?」
「しつこいよ、黒狸」
黒狸は食べかけてたオムライスを最後まで食べると、食器洗浄機にキリシュの食器といっしょに自分の食器もつっこんだ。
カウンターごしにキリシュをうかがうと、キリシュはルービックキューブで遊んでいる。
「キーリ、欲しいもん今度買いに行くから必要なもん書いとけよ」
「わかったよ。書いとく」
キリシュはルービックキューブに夢中だ。
せっかく休日だというのにキリシュが遊んでくれないとつまらないなと感じ、キリシュの前を横切りベッドへとダイブした。
「アマリネに刺客を送った黒狸はそのあとどうなったの?」
やっとキリシュが拗ねた黒狸を相手してくれる気になったようで、黒狸はあのストーリーの続きを考えなきゃいけなくなった。
「リネを殺せなかったキーリが俺を殺しに来る」
「黒狸らしいね。自分が殺されるオチだなんて」
「死ぬなんて言っちゃいないよ」
生き延びるつもり満々だったのにキリシュが眉根を寄せて呆れている。
「だって猫に餌やらねーと。飼った奴の責任だろ」
「それだけど……」
キリシュは間を置いて、思い切り黒狸の腹に肘を振り下ろした。
「オレはキティじゃないと何度言えば気が済むんだ!」
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