35 蝶恋暗殺?
「蝶恋、今度の休日うちに来てくれないか。めっちゃ寂しいんだよ。俺寂しいの! 弟も部下もみんな相手してくんなくってさ、え? ああ、お前も忙しいんだよな。ごめん、えぐっ、えぐっ。嘘泣き? そんなことないって。俺涙で顔が汚れてるよ。え? 都合のいいときだけ呼ぶなって? ざけんな、普段から俺のことを財布や下宿所だと思ってるくせによ。ああ? ざけんな、ファック、そうだよ殺してやるから来いよ。最後くらいいい目みさせてやんよ、あ? チンピラだと、チンピラですともチンピラですとも。でぃーえーれーん、いいから来いよ。二人ですするカップラーメン美味いだろ? なーなーなーなーなーなーなーーーーーーーー……うん、わかった。明日来てくれるのな。ありがとう、愛してる」
蝶恋は最後に「ダウト」と言って電話を切った。
蝶恋にはいちおう殺す指示が出ているということを遠まわしに知らせた。気づくかどうかは蝶恋次第だ。
明日が来なければいい。明日、蝶恋が来ませんように。
大嫌いな幼なじみ様。尊大なバイオレンス女。明日こっちに来るな。そして逃亡しろ。シエルロアからずっと遠く離れた土地で、ひっそりとその歌声を響かせろ。
「寂しいっての嘘でしょ」
蝶恋はカップラーメンの入ったビニール袋をこっちに投げつけてきた。最期の晩餐にもうちょっとマシなものを買ってきてほしかったのはこっちのほうだ。
「鳳に殺せって言われたんでしょ。あんたが私の幼馴染だから」
「うん」
「最後くらい優しい嘘ついてくれたっていいのにね。カス男」
吐き捨てるように蝶恋はそう言った。
鳳を異母兄妹だと思っていた蝶恋からしたら、こんなはずでは……というわけでもなさそうだ。
つまり、蝶恋は近いうちに消されると確信していた。
じゃあなんで逃げなかったのだろう。
「なんでこっち来たんだよ? 俺は教えたはずだ。殺してやるって」
蝶恋が睨む。黒狸もナイフを手でくるくると弄びながら、蝶恋を眺める。
「あんた、仕事好きね」
「今は嫌いだよ」
「でも、あんたのボスのために私を殺すんでしょ?」
黒狸は答えない。蝶恋が自分の質問に答えないから。
「なんで来たんだ? 俺を自殺の道具に選んだのか」
蝶恋は答えない。それがたぶん図星だから。
「殺してよ」
「やなこった」
「じゃないとあんたが消される」
「俺のために死ぬってか? いい幼馴染だな」
黒狸ナイフを構える。蝶恋みじろく。
黒狸は蝶恋を壁に追い詰めた。まったくセクシーさの欠片もない、壁ドンだ。間近で見つめ合う。
蝶恋はちょっと前から調子が悪そうだった。黒狸になら殺されてもいいとでも思ったのだとしたら、とても気持ちが悪い。
何故かこの幼なじみとはいい思い出がない。
泥まみれになって殴りあってる小学生の女の子だった。
DV男に別れさせ屋を派遣して、大喧嘩したこともあった。
セックスしようと言ったら「あんた病気だから、やだ」と言われた。
彼女がトップ女優になったときに後ろから刺してきた女もいた。その傷を見せてくれないから服を引き剥がして殴られた。
彼女の母親の死体写真を持ってくるのは黒狸の仕事だった。
蝶恋はふらりと姿を現して、そのたびに自分にイラつく言葉を投げつけた。蝶恋に手を上げたこともあった。殴られたくてうちに来るんだって気づいた日に惨めになって手を上げるのをやめた。
すべてのカス男を代表して言いたい。
俺たちに構うな。幸せになれ。
すべての男を代表して言いたい。
お前を愛してあげられなくてごめんなさい。
すべての人間を代表して言いたい。
お前に何をしてあげられたのだろう。
ただ一人の男になって言いたい。
愛してるんだよ。人間として。幼なじみとして。
幸せになってほしいと願ってた。
不幸せになる道具にしか使ってくれなかった、蝶恋。
「動くなよ」
「なに、んっ……」
ナイフの切っ先が蝶恋の喉に埋まる。
「俺が生き残って、お前が死なない方法がある。だけどそれはお前を殺して、俺が死ぬ方法だ」
喉の声帯まで、ナイフを沈めた。そして、切る。
「お前を殺すなんてまっぴらごめんだ。自分が死ぬのはもっとごめんだ。歌を取り上げて悪いな。これで証言台にも立てない」
シエルロアは筆跡鑑定も優秀だが、筆跡を真似る人間もたくさんいる。重要な証言はすべて証人の声と決まっている。
蝶恋の口が動く。「死にたかった」と。
だけど黒狸は聞こえなかったフリをする。
「帰れよ。もう用事は済んだ」
ナイフを仕舞う。
蝶恋が黒狸をにらみつける。
「帰れよ!」
ともう一度怒鳴る。
ナイフの血を洗い流し、ポケットに仕舞う。
なんもない部屋で疲れてしゃがみこんでうなだれる。
「生きるのってしんどい」
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