09わかりたくもなかった

 終わりがあるから美しいなんてわかりたくもない。
  失ってから気づく大切さなんて知りたくもない。

「仕事以外で可愛い女の子といちゃいちゃしたい」
  俺の当然感じている葛藤を口にしたのは初めてだと思う。
  モテるんですねという皮肉を言われたことはあっても、あまりモテると思った試しはない。素敵だと思った女性は多いが、失恋することのほうが多い。
「仕事以外で愛し合いたい、書類よりラブレター書きたい。あいしてるって書くのすごくつらい。あいしてない人にあいしてるって言うの超苦しい」
  ぽつりぽつり呟くと、エルムがフォローできないとばかりに沈黙する。
「メール嫌いだ」
「だ、代筆しましょうか?」
「あいしてるがどんどん薄くなってく。あいしてるってこんな苦しさない。あいしてるってすげーうきうきした気持ちだぞ。うわーん!」
  デスクに伏せて泣き真似をちょっとした。そしてすぐに顔を上げる。
「さて、仕事するか」
「ちゃんと仕事してたらご飯ぐらいなら付き合いますから」
  つい可哀想だと思ったらしく、エルムがそういうフォローを入れてくれた。思わずガッツポーズをとって「よっしゃゲットした!」と俺は叫んだ。即座に軽蔑の視線を感じる。
「……やっぱやめていいです?」
「エルムさん何が食べたいですか? 美味しいトラットリア知ってますから」
「何うきうきしてるんですか。あー……じゃあ、ラーメンとか」
「ラーメン好きなの?」
  なんだか意外だ。案外庶民的なものが好物だったようで。
「……好きですが。ラッセルとよく行く店もありますし」
  彼女の恋人の名前が出てくる。そうだ、彼も利用しようと頭の中である算段が働く。
「俺のラーメン食うか? 家でよく作るけれどうまいぞ」
  思っていることを行動に移すために伏線を張る。当然エルムは少し警戒の表情を見せる。
「黒狸さんの家に行くんですか?」
「そうだよ。食べたいよね? ラーメン」
  こんなところで異能を使うなんてこと、普段は仕事でしかやらないのだが。エルムの目を見つめて、じっくりとラーメンが食べたいという感情を刷り込む。
「うーん……じゃあ、ラーメンにしますか」
  彼女はあっさり信じ込んだ。見抜く異能があるからといって無効化できるわけじゃあない。

 眠ったエルムをベッドにそっと横たえる。
  ラーメンに混ぜた眠り薬に彼女は当然気づかなかった。彼女の胸ポケットを探って携帯を取り出す。カメラで彼女の寝顔をアップで撮る。ラッセルのアドレスを探して今撮った写真にメッセージをつけて送信する。
「オタクの彼女さんが無防備でとても可愛いため、一日お借りしました。眺めて帰します。大切に扱いますが二度目は手をだしますから」
  我ながら変態な文章を考えついたと思った。撮った写真も俺にはお前の女がこう見えるとばかりにいやらしく撮れている。こんないらんスキルだけ高い自分をどうにかしたい。
  ちなみにアドレスに自分の名前は登録されていなかった。そのかわりに「クソ上司」と登録されている名前があり、俺の扱いって最後までこんなだったなと思う。もう関係は今日で最後だ。
  エルムの胸に携帯を仕舞うと、エルムの頬をぴたぴたと叩いて起こした。
「起きろ。満腹になって寝るとは何事だ」
  うっすらと寝ぼけ眼にでこちらを見上げるエルムは、まだ薬が効いているようで今が危険な状況だと気づいていないようだ。
「寝顔可愛くてどうしようかと思っただろ! 仕事できなかったし。少しは自覚してください、あなたがとても魅力的だってことを」
「……何もしてないでしょうね」
  意識を取り戻してきたエルムが体を起こしながら、くもった声でそう言った。
「してないと言って信じるのですか?」
  慎重に言葉を選ぼうとすると丁寧語になる癖をエルムは知っている。しかし止まらなかった。
「信じちゃいけません。男はみんな狼なのよ、女だってだけで性対象なのよ。胸が断崖絶壁だろうと、顔が少年顔だろうと、あなたががりがりだろうと、それは男には関係ないのです。可愛い女の子です。それだけ自覚してください。仕事場戻ります」
  彼女は自分のボディチェックを入念にしていた。そりゃあそうだ、手を出してないという言葉をそのまま鵜呑みにするような女性じゃあない。彼女が大丈夫とチェックしたあとに、いっしょに家を出る。そうして会社に向かい、最後の部下として仕事をしてもらった。
  やがてラッセルが迎えに来るだろう。そうしたら俺と彼女の関係はもう終わりである。
「わかりたくもないね。終わりがあるから美しいなんて」
「言ってる意味がわかりませんよ。クソ上司」
  やがてわかるはずだ。今上司が異動手続きをしていることに気づいていない愛しい愛しい部下のエルムさん。
  あなたは危険のない仕事をして、幸せになりさえしてくれればいい。自分を大切にしてくれる男と結ばれて、あたたかい家庭を築けばいい。
  女性蔑視だと言われるかもしれないけれど、女性にはそれ以外の幸せの形があると言われるかもしれないけれど、自分の体を犠牲にしてまで手に入れた地位や人間関係なんて、そんな悲しい価値に自分を見出さないで欲しい。
  お幸せになってください。エルムさん。